自分史 物怖じしない国際人を育てるヒント集

近現代史に触れつつ自分の生涯を追体験的に語ることによって環境、体験、教育がいかに一個人の自己形成に影響したか跡付ける。

狭山事件/胃の中にトマトは無かった/未使用別件写真を流用

2022-10-28 | 狭山事件

筆跡印影指紋柳田研究所の工学博士・柳田律夫鑑定人は、長年の日本刀銘鑑定でつちかった技に、最新のデジタル科学技術をプラスした鑑定法によって、脅迫状冒頭(左上)のカラスの巣状に抹消された箇所を解析し、消えていた「少時」の時の文字を鮮明に可視化した。

掻き消し痕跡調整写真  

第三次再審請求の為の柳田鑑定書から   www.kantei110.com/case.html

一目瞭然、この草書体のこそ石川無罪を証明し真犯人の真の姿を映し出す物証である。[END]*
*当ブログの過去記事から再録

脅迫状は狭山事件の唯一本物の物証である。当物証から、脅迫状を書いた主犯が物書きに慣れているだけでなく達筆であること、知能に優れ、犯罪フィクションと大事件に蘊蓄があり、みずから完全犯罪を企画するほどの推理マニアであることが想像できる。
2023年5月1日で狭山事件は発生から60年になる。それに向けてこの完全犯罪を解くヒントをいくつか提示しよう。ヒントが狭山事件研究のあらたな起爆剤になればそれ以上の喜びはない。

第1回は、警察権力による偽装工作つまり未使用別件写真の流用について、である。

2か月前に台東区で起こった吉展ちゃん事件が未解決の折に、警察はまたしても杜撰な対応で犯人を取り逃がしてしまった。衆参両院の委員会で国家公安委員長と警察庁刑事局長が喚問、報告を求められた。死体が発見された5月4日には柏村警察庁長官が辞表を提出した。同日、埼玉県警は狭山市堀兼に特捜本部(中 勲本部長)を置いた。
埼玉県警鑑識課医師の五十嵐勝爾作成の鑑定書によれば、被害者の①胃は「大約250竓の軟粥様半流動性内容を容る。消化せる澱粉質の内に、馬鈴薯、茄子、玉葱、人参、トマト、小豆、菜、米飯粒等の半消化物を識別せしむ」となっている。一見、被害者が12時5分ごろに食べ終えたカレーライスの食材が半消化のまま残っているかのように見えるが・・・。 

弁護団は、五十嵐鑑定に①胃内容物の色調についての記載がないことに言及している。②小腸を構成する「十二指腸内並びに空腸内には微褐ー淡黄色半流動性内容ごく小許」「廻腸には黄緑色軟粥様内容と共に小豆のかわ小許」があった、と記載しているのに、胃内容物について色調の記載がないのは、「捜査の拙劣」である、と。
「しかも」と弁護団は続けている。「胃内容については<無定形澱粉質を除き[除いて]、固形物のカラー写真撮影を行った〉との死体材料検査記録が出されているのである。」
そしてカラー写真を撮っていながら色調を記載しない、ということがありうるだろうか、と結んでいる。
カラー写真が無く、胃内容物の色調の記載がないのは、食事後4時間以上経過して胃の内容物が胃から小腸に移動していたから、胃が空っぽだった、したがって不都合な写真しか撮れなかったからである、とわたしは推理する。
ちなみに、消化に時間がかかる食材は、物理的に硬いもの(タネ・いか・たこ等)を除けば、バターがいちばん長く、本件では牛・豚等の油脂で固めたカレールーと脂っこい肉類である。それらは胃内に約4時間蠕動で揉まれながら滞留し、十二指腸に送られてそこで胆汁酸と膵液で消化される。小豆の皮の外皮はセルロース(食物繊維)だから消化しない。消化しない物は小腸(十二指腸→空腸→回腸)を経て大腸で活用され最終的に残滓となり糞便として排出される。
しかるに、十二指腸内と空腸内には「半流動性内容ごく小許」、「廻腸には軟粥様内容と共に小豆のかわ小許」があっただけである。小腸内もほぼ空っぽだったのだ。
ちなみに食べ物がドロドロ状態で小腸内に滞留する時間は4~8時間である。

被害者の胃内容物(五十嵐鑑定の添付写真)

  inaiyo.gif

上掲写真を見ていただきたい。一点を除いて2~3時間で胃液でどろどろになる食材ばかりである。トマトの果肉が観察されることから食後2時間以内の状態と考えられる。
胃液では消化されない脂肪分が多いから滞留時間が長い豚肉[推測]とカレールーの黄色(ターメリックの色)が写ってないということは、この鑑定書の写真は、流用物、偽物であることを物語っている。

「一点を除いて」の一点は小豆の二粒である。小豆は外皮が硬いため噛みつぶさないと消化しない。粒状の二粒は当日の朝食で食べた赤飯の小豆ではない。赤飯の小豆は時間の経過により消化されその外皮が残滓として回腸に移動して記録されているからである。この節は学究内藤武氏の論文「小豆と狭山事件―半消化小豆2個が証明する石川さんの無実―」(2010.4.30)に依拠している。
ほぼ粒のままの小豆がカレーライスの食材であるはずがない。したがって上掲写真は未使用別件写真を流用した偽物であると結論するほかない。

遺体は5月4日午前10時35分頃に消防団員広沢一郎さんと機動隊員(二人で一組)によって発見された。カバンも同時に現場の芋穴から発見されたと本人は後年語っている。一審で発見者として証言した消防団員は別の分団長だった(伊吹隼人氏による検証)。
毎日・読売と異なって朝日だけが発見者を分団長にしている。当の分団長は第一発見者が現場保存のために埋め戻した穴を駆け付けた捜索隊と共に掘り返したにすぎない。捜査本部が重大証拠を「隠し球」として秘匿し検察が都合のよい証人を選んだ、と思いたくなる。
最初に遺体の身元確認のためによばれたのは担任教師と二人の級友だったが、二人は抱き合って泣き崩れてしまい、立ち合いに応じないで「泣きじゃくりながら立ち去った。」
被害者宅には11時ごろに知らされ長兄が報道陣の車で現場に駆けつけ、遺体が顔は見えなかったが妹であると確認した。「放心したようにただ自分のカメラをむけていた。」
遺体は午後2時すぎに幌付き警察車(ジープ)で被害者宅に運ばれ、午後6時頃から庭の物置で解剖(五十嵐鑑識課医師執刀、狭山署長=特捜副本部長立合)に付された。午後10時半県警の中刑事部長(成り立ての特捜本部長)と鑑識課長が結果を発表した。死因は窒息死、食後約3時間経過。司法解剖が指定病院でなく設備のない物置の電灯の下で行われたことに驚く。

3日の午前0時すぎ身代金を受け取りに来た犯人を取り逃がした県警の上田本部長と中刑事部長は身の置き所がないほど思い悩んだ。犯人が逃げたあとに殺されていたら、という恐ろしい想念に取りつかれた。身代金目的の誘拐であることが脅迫状から読み取れるが、気が強くて大人の体格をした被害者を生かしておく場所があるはずがないことから、すでに殺されていて、死体が発見されるとしても食後数時間後の死であって、最長であっても食後36時間以内(取り逃がしは36時間後)の死は動かせない、つまり死は警察の失態のせいではない、と県警幹部は安心したい一方で、解剖の結果で判明するはずの死亡時間に最大のこだわりを抱いていた。
解剖の結果もし胃と小腸が空っぽだったら死亡時間がつまびらかにならず、マスコミと世論による警察非難は厳しさを増し、警察の権威は地に墜ち、治安対策と責任追及をめぐって国政は大揺れすることだろう。県警本部長と県警刑事部長の首がとぶだけでは収まらないであろう。裁判も紛糾し長期化するにちがいない。そういう事態だけは何としてでも避けたいというのが県警幹部の本音だった。
解剖直後に発表された死亡時間は最有力の下校時間証言(3時23分)と矛盾しないものだった。後日提出された鑑定書は食後最短3時間と修正されている。弁護団が二審で提出した上田鑑定書は五十嵐鑑定書を精査して食後2時間以内としている。

五十嵐鑑定書が事件の捜査とそれに続く裁判に与えた影響は計り知れないものとなった。捜査本部は「死亡時間」に合わせて「自白」のストーリをでっち上げた。その結果常識ではありえない超人的犯罪行為のオンパレードとなった。本章の主題でないので出会いと連行の奇妙奇天烈な情景を想像するだけにとどめる。
石川さんを支援する人たちはカレーライスに季節外れのトマトが入っていることから下校途中で誕生祝の食事を身近な男性と共にしたと主張した。いわゆるご馳走説である。ご馳走説は真犯人究明の有力な拠り所とされたが、胃内容物が食後2時間以内だから殺害時刻が6(4+2)時頃になってしまう。2時間を共有できる異性と場所が被害者にあったことになって行き詰まってしまう。
5月1日は露地トマトとナスの植え付けが始まるころである。当時はトマト産地においてすらハウス栽培の揺籃期だったのでご馳走説には無理がある。学者、物書き、探究者等は皆ああでもないこうでもないと大いに迷った。二審の寺田裁判長は農家の子が持ってきたのだろうと推定判決を書いて現地農民の失笑を買った。
私も迷い続けた。関心は持ち続けたが長いこと鳴かず飛ばずのままだった。この度自分史の総決算の一つとして研究を再開し、主に新聞資料を読み返して、胃の中にトマトはなかった、県警本部による鑑定偽造があった、という結論に達した。狭山事件ではニセモノの証拠、証言が数多く露顕しているが、ニセ写真はその嚆矢である。

事件の真相解明に尽力され今も影響力を持ち続けている現役の鎌田、殿岡、甲斐、伊吹、・・・の諸賢とこれからの若い研究者諸氏が、ご馳走説の憑き物があればそれをはらいおとして、なおいっそう真実に迫るストーリに取り組まれることを願ってやまない。

参照 諸新聞記事抜粋集
1) 全国版  「冤罪・狭山事件研究」(代表 内藤武) 「あなたのホームページタイトル」で検索
2) 埼玉版  「埼玉・報道記事集  PARTⅣ」(部落解放子ども会大阪連絡協議会発行)150ページ 私蔵書
推奨  「狭山事件の深き謎と真犯人と疑われた男たちの半世紀」12頁にわたる伊吹隼人氏の力作。別冊宝島(2016.5.26)「昭和史開封」で検索


大腸癌の兆候/下腹部膨満感/見落とした原因

2022-10-14 | 大腸癌闘病記

大腸癌は私にとってもっとも罹患が考えられない病気だった。ここ10数年、腹痛はもとより下痢、嘔吐、便秘と縁がなかった。105歳間近まで長生きした母も胃腸が強かった。私は腸に関しては自信過剰に陥っていた。
さらに舌癌と冠動脈の手術アフターケアとして24年と17年の長期にわたって行われた定期健診で、私の体は、脳、血管、食道、胃、心臓、肺臓、肝臓、腎臓、膵臓、胆道、十二指腸(小腸の主部)、前立腺(これだけは医師に特別に頼んで血液検査項目にPSAを入れてもらった)まで、データと映像による管理がなされていた。お陰で今日まで健康を維持できた。
これらは上腹部検査である。大腸は対象外である。
2,3年前から下腹部膨満感と倦怠感があった。猫の額ほどの庭で午前中1,2時間しゃがんで土いじりをするとお腹の圧迫で体がだるくなって動く意欲も昼食を食べる意欲も落ちた。
定期健診の内科医に相談したが消化剤を処方薬されただけだった。循環器の内科医には心不全のせいではないかと懸念を告げたが検査の結果心血に異常はないと言われた。
私は前立腺手術と関係があるかもと考えて泌尿器科のDr.にも検査してもらったが関連を否定された。
そのころ大腸で腺腫癌が進行していたと考えられるが、私もだが、どのDr.も腸閉塞、大腸癌の疑いに想像が及ばなかった。百慮の一失、残念でたまらない。
総合診療医(ドクターG)のクリニックの必要性を強く感じる。総合病院には総合内科があるが、しかるべき専門医への患者振り分けが主で、みずから病名を突き止める役割は担っていないように感じる。
今年になってなぜかお腹の膨満感が消えた。そして、既述のとおり、コロナ自粛で最もストレスが溜まっていた4月末ごろから、朝食を食べ始めると2,3秒間へその周りを中心に痛みを感じるようなった。5月の中頃、北摂総合病院で受診すると、画像検査で大腸が荒れているようだから[もっと強く言ってもらっていたら、と残念に思う]と、内視鏡検査を強く勧められた。
1か月後の内視鏡検査の結果は、腸閉塞を伴う上行結腸癌だった。至急大腸の上行結腸を切除しないと、その間に腸閉塞で緊急入院となると、W治療になり、治療の困難が増す、と警告された。
手術の結果は既述のとおりで、膨満感が始まったころより身軽で元気になった。

検索してもほとんどヒットしないが、大腸癌の症状に下腹部膨満感→倦怠感(私の場合は最初それしかなかった)があることを知ってもらいたい。
下腹部に膨満感を感じたら、ほかに症状がなくても、腸閉塞か大腸癌を疑おう!