7月2日にマイクロバス2台で一日かけて回った。参加者40人の内10人が青年男女だった。
岩山歴史館、木の根ペンション、東峰共同墓地&らっきょう工場、横堀鉄塔と横堀農業センターを見学し、大木よねさんをはじめ戦い続けて倒れた活動家の墓碑に祈りを捧げた。
それぞれの拠点で責任者の説明があったが、難聴のせいで一言も聞き取れなかった。もったいないが仕方がない。
もっとも印象に残ったのは50年以上の歳月が刻んだ大地の変容だった。拠点に行く狭い道は、高い金属板?に挟まれあるいはトンネルをくぐり、まるで迷路のようであった。横堀鉄塔は頂上である4階(先端部分は撤去されていた)まで上がることが可能だったが、まわりを囲む孟宗竹に視界をさえぎられていそうだ。
一度も切られることなく伸び放題に伸びた孟宗竹は、妙齢女性の胴回りほどの太さだった。その孟宗竹の周囲を空港会社のさらに高いネットと柱が包囲していた。鉄塔からの投石等に備えるためと訊いた。無人の鉄塔に対して監視塔から常時有人監視が行われている状況に、三里塚闘争が終わってないことを思い知らされた。
各拠点が畳敷きの合宿所を維持管理していることにも土地収用に対する闘争が継続している証しを見た。木の根ペンションのプールは改装済みだった。今後合宿イヴェントが組まれると思う。
豚汁の差し入れをいただいて、木陰で持参の弁当を開いた。
かねてから期待していた目的は、わが身の不調もあって何一つ達成できなかった。
始終戦いに生き、今後も多古町で第三滑走路に反対し続ける加瀬勉翁には逢って731部隊研究論文を所望したかった。岩山在住の柳川秀夫氏には地球環境に配慮した農業と腹八分目生活の生きたモデルを見せてもらいたかった。今回事情合ってお二人の登場はなかった。
かつてお世話になった石井節子さんには直接会って、故石井英佑さんに対する不義理を詫び。墓参りしたい、と希望をいだいているが、今回は叶うべくもなかった。石井夫妻と辺田部落に、僭越ながら、かつて三池闘争でヨロン人がコミュニティを創り上げる上で力となった大牟田与論会のモットーを、賛歌として捧げる。部落決議で集団移住を選んで営農とコミュニティを護ったかの人々こそ、このモットーにふさわしいと考えるからである。
服従ハスルモ屈服ハスルナ 常ニ自尊ヲ保テ
与論の民謡が歌い上げる処世訓も掲げておこう。
打ちじゃしょりじゃしょり 誠打ちじゃしょり
誠打ちじゃしば ぬ 恥かしやんが
誠を打ち出せば何も恥じることはない、という意味である。
【参考】当ブログ「ヨロン人と三池闘争/離島差別と戦った歴史」2016.11.18