インド洋の長い航海が始まった。
赤道を越えたが思い出はない。
上甲板では赤道祭りが行われていた。
2等船客の我々には無縁でちょっと覗くとプールがあり乗客はリッチな白人
ばかりだった。
若い船員たちの部屋に遊びに行っていきなりH写真を見せられた。
それ以上過激なものは想像できない交接シーンだった。
絵葉書大のそうした写真は船乗り達の必需品でだれしもが所持しているに
違いない。
束で渡されたが1枚目をみて驚いて放り出し一目散に逃げ帰った。
裸が不道徳視され一般人の目から遠ざけられたのは文明開化によってで
ある。
幕末までは銭湯は混浴であり普通そこでは性が意識されなかった。
当時日本に滞在した外国人は雑貨屋の軒先に浮世絵が並べられていて
子供の目にもさらされていることに喫驚している。
ブラジルの密林で裸族の社会制度と風俗を研究したレヴィ=ストロースの
名言:
羞恥心は社会制度である。
わたしは明治の教育制度の枠内に入ったことはないがその影響を強く受
けて育った。
1951・11・8 モンバサ港 コックの陳さんと
モンバサは赤道に近く熱帯に属している。
当時のモンバサは今のようにアフリカ内陸部の国々とインド洋を結ぶハブ港ではなく大きくない港を複数もつ港湾島だった。
豪華クルーザ客船が出入りする現在の姿は想像できない。
ルイス号が接岸した岸壁のすぐ先はコンクリート造りではなく文字通り岩壁だった。
そこでガキどもと遊んでいて足を滑らせて海にはまった。
ずぶ濡れになったが直後に乗船のクレーンがサメを吊り上げたので着替えることを忘れて見とれてしまった。
手なれた船員がワイヤで釣りをしていたのだろう。
3メートルほどのサメが船上をまたいで岸壁に陸揚げされ、車で運ばれて行った。
今回知ったがモンバサはサメ漁がさかんな島である。