歴史は史料、史跡、物語として、あるいは発掘されるか発見されるかして後世の人の目に触れる。歴史を営んだ人々の精神がひょっこり現代に顔を出すことがある。蘇るほどに価値があったからであろう。
その一)グアラニー戦争の伝説的英雄セペ・ティアラジュがパジェ教区で模範的聖性を認められて、リオグランデ・ド・スル州(以下RS)で殉教者として崇拝されている。法王庁が承認すれば正式に福者となる。日本でも一番新しいところではキリシタン大名高山右近が列福されている。
セペの名は飛行場の名、街の名にもなっている。損得を度外視して最前線に立つ漢気が当時の牛追い(ガウチョ、メスティーソ)のアイデンティティと響き合い、今では、RS州民が誇るガウーショ魂の象徴となっている。
その二)20世紀後半以降の土地なしSem Terra農民運動の発展
2023年の夏、成田闘争の現地見学会に参加した。旧労農合宿所をのぞいていて下掲の旗が壁にはってあるのが目にとまった。印字されているブラジル語の横文字Movimento Dos Trabalhadores Rurais Sem Terra (略称MST)は土地なし農民運動の意である。
土地なし運動の最初の里程標は1960年にブラジル南部リオ・グランデ・ド・スル州のカンポ・ヴェルデで始まった。300家族が50年間住んでいた土地を追われようとするのを左派知事が軍警を派遣して阻止したのが始まりと云われている。土地の占拠ではなく土地に通じる道に沿ってキャンプする形だった。
州憲法を援用して、空いている、または非生産的であると見なされる土地を収用、分配するこの運動(Movimento de Agricultores Sem Terra)(MAST 土地なし農民運動)は州政府の支持により発展したが、1964年から20年間つづいた軍事政権に潰された。その間大規模機械化農業により大土地所有者へのさらなる土地集中*が進み、1980年代には480万世帯,1500万人もの土地なし農民が生じた。
*1960年代、ブラジルでは、土地集中が近代化の桎梏であることが広く認識され、農業改革が左派の政策目標となり、日本の農地改革が模範とされた。わたしは校内で、日本のグラン・レフォルマ・アグラリアを研究する留学生たちに出合ったことがある。
1979年、MASTはMSTとしてRS州で草の根から蘇った。舞台は200年より前にグアラニー・ミッションがあったRS州北西部である。
発端は、ノノアイの居留地から追い出されて彷徨していたおよそ千家族のカインガング族(ジェ語族)が、全国で同時進行中の先住民権利運動に刺激され、マカリ農場とブリリャンテ農場を占拠して、大反響を呼んだ事件だった。
それに鼓舞されて1985年、すぐ近くのアノーニ農場をMSTによって組織された土地なし農民1500家族が占拠した。この農場は播種*したアフリカ原産の牧草が飼料に適さず放棄状態で非生産的土地となっていたのである。
*わたしの想像にすぎないが、モンサントの遺伝子組み換え種子だったかもしれない。
その占拠は、2年前から綿密に準備された計画に従って、軍警の監視の隙をついて、夜間の定時に決行された。州内の応援者7千人が150台のバスとトラックで駆け付けた。あまりの数に軍警は手出しできなかった。下掲写真、占拠当事者の緊張で笑みのない顔がかえって真に迫って印象的である。
2024年、設立40周年直前のアノーニ農場 出典: Pedro Stropasolas/Brasil de Fato
Brasil de Fatoによると、農場の生産組合は9300haを有し、七つの入植地で423家族が多様な食糧生産と遺伝子組み換えのない大豆生産の実験を行っている。私見では、その農場の面積は青森県と同等であり共同体の理想であるエコ農業の実現には広すぎる。残念なことに同農場はやむなく除草剤を使用している。
1984年、「解放の神学」というマルクス主義の影響を受けた神父たちが組織する「土地司牧委員会」*の支援を受けて、南パラナの土地なし農民が遊休農地を占拠し、訴訟で勝利した。金七紀男『図説 ブラジルの歴史』p85
MSTは機に乗じて大々的に州南西部のカスカヴェル市で決起大会を開催し、組織を全国化するステップとした。
*1991年、土地なし農民運動/土地司牧委員会はライト・ライヴリフッド賞(スウェーデンの財団)を受賞した。
1987年、国は該当土地を地主から強制的に買い上げ、農民にその借地権を与えた。沿道に並ぶ廃材小屋で野営して分配を待つ家族の光景は今でも珍しくない。今年2024年のMSTニュースによると全国で定住保証を待っている野営家族は6万以上にのぼる。MSTはブラジル銀行に定住資金の融資を求めてデモをしている。
1988年制定の連邦憲法第186条は「所有権の社会的機能」を規定した。アムネスティ国際ニュース2016年4月15日の記事※土地なし農民運動はつぎのようにMSTを概括している。
農村の貧困者を組織化し、権利意識を高め、変革のための行動を促す社会運動。憲法の「すべての土地は生産活動に利用されなければならない」を法的根拠に、耕作されていない大農地を占拠し、土地なし農民に再分配するほか、生産協同組合をつくったり、教育・ジェンダー・環境・健康など、生活全般の向上を図っている。
若干補足する・・・。
①ここで扱う土地なし運動は、社会変革(農業・商業の改革)の理想をもち、法に則ったMSTの事業であり、アマゾン等の先住民保護区を食い荒らす不法入植者、金採掘者ガリンペイロ、地主子飼いの用心棒のたぐいは含まれない。また、土地なし農民運動の団体はMSTが最大、最強であるが唯一ではない。わたしには、ブラジル中部より北の複雑で悲劇的な土地なし農民運動に触れる余裕はない。
②MSTの教育と実践による社会変革運動は、パウロ・フレイレ(1997年没)の『被抑圧者の教育学』を哲学的基礎としている。MSTの成功は、最初から教育に重点をおいて単に仕事に役立つだけでなく公正で支え合う社会づくりにつながる教育を意識的に行ったことによる。その成果はいつしか公教育に組み込まれ、国の教育行政に影響をあたえる存在になっている。
文末で紹介する田村梨花論文によると、MSTは民衆教育にも力を入れて、「2005年にはサンパウロ州ガラレーマに高等教育機関フロレスタン・フェルナンデス国立学校を設立し、年間約1200人の学生を受け入れている。」
入植者の子供たちは、定住地で初期教育から高等教育まで学ぶことができる。待機キャンプのこどもですら公費の移動式学校で勉強できる社会は他にないであろう。わたしがこどもだったころ、田舎の労働者のこどもは通学できる学校がなかった。
③MSTの活動・組織形態には、イエズス会ミッションの伝統が受け継がれている。MSTは、自分たちの運動は、セペ・ティアラジュの戦いを嚆矢とする先住民、黒人、貧しい農民の戦いの相続、歴史の継承であると十周年刻みの記念日ごとに強調している。
④その組織の特徴は、ボスが支配するのではなく、全員参加の民主主義を保証することである。役職の男女比に差はない。MSTは、土地を占拠するまでの待機キャンプで、あるいは土地占拠闘争の中で、皆が組織の運営を学びあう。
待機キャンプの運営は全員参加が原則である。炊事や薪取りは家族ごとか共同か?飲酒を許すか?などキャンプ運営に関わるあらゆることが議論され、納得するまで話し合われる。大集団の場合は、まず「意識の高い」10~20家族で「核グループ」を構成し、各グループから代表を選び、教育・健康・ジェンダー・生産の各部門別会議で議論をし、全体の意思を形成する。
定住後も、男女別なく全員何らかのグループに属し、役割を与えられる。生産委員会は、入植者が生産に困らないようにプロジェクトを推進し、生産物を流通させるルートを探す。また、いったん土地を得た人々は、これから土地を得たいと思う人々の援助をする。
⑤MSTは、労働党に投票し、かつMSTの議員も出しているが、みずからの政権志向はない。政党でないことと集権的でないことが分裂しない要因になっている。各共同体がそれぞれの実情に合う活動を実践することが常態となっている。
⑥行政が収用した土地の耕作権を共有し、生産組合をつくって協力し合って生産し、人と土地の健康に資する有機・循環型農業を営む。販路を開拓し、流通の自己決定権を貫き、世界貿易機関WTOと新自由主義的グローバリズム経済を拒否する。
モンサント社(除草剤グリホサートとそれに耐性のある遺伝子組み換え種子を研究、販売したアメリカの多国籍企業)の施設を占拠したこともある。
⑦気候変動・地球環境保全で広く国際NGOと協力関係を築いている。UNESCOとUNICEFから資金援助を受けている。ジェノサイドにさらされているガザに大量の救援食料を送っている。
⑧私の力不足で、占有後公認された土地所有権がどうなっているのか不明のままになった。所有権の譲渡が自由であれば売買され、MSTに「意識化」してない会員が入ってくる危惧があり、共同体そのものが危うくなる。
⑨MSTは本部をサンパウロに置き1州を除く全州に支部を置いている。会員数は150万、定住家族数で約40万、ほかに待機家族数が約7万である。
2024年10月、国会議事堂周辺で農地改革の促進を求めるMSTデモ
Photo:José Cruz/Agência Brasil
おすすめの資料
・里見 実著「パウロ・フレイレ『被抑圧者の教育学』を読む」
太郎次郎社 2010
・田村 徳子「 ブラジルにおける土地なし農民コミュニティに対する教育-土地なし農民運動(MST)に着目して-」 検索☞PDF
京都大学大学院教育学研究科紀要 第59号 2013
・田村梨花「土地なし農民運動とコミュニティ再生」
日本ブラジル中央協会会報『ブラジル特報』2006年5月号掲載
・https://mst.org.br 検索☞日本語版、英語版
豊富なニュース、画像をフリーで利用可
・MSTのラディカルな占拠、デモは、メディア、行政と軍警、大土地所有者に敵視され、無数の犠牲者をだした。行政の調査資料で暗殺、行方不明の数を集約した研究論文のPDFを保存していたが見当たらない。犠牲者の大半はMSTに属さない弱い立場の土地なし農民だったと記憶している。