自分史 物怖じしない国際人を育てるヒント集

近現代史に触れつつ自分の生涯を追体験的に語ることによって環境、体験、教育がいかに一個人の自己形成に影響したか跡付ける。

西日本大水害

2013-06-25 | 体験>知識

1953年6月25~29日、60年前、西日本を未曾有の洪水が襲った。
梅雨前線末期の停滞した湿舌により九州最大の河川、筑後川上流では1日に最高400ミリを越える降水、5日間で1000ミリを越える総雨量を記録した。
これではダムも堤防も橋梁も鉄道、道路もたまったものではない。
筑後川は氾濫し同学区の大橋村は草野駅から眺めるとさながら対岸の見えない海の中に点在する島々のようであった。
呼べば聞こえそうな近くを泥水が屋根と樹木を載せてゆっくりと流れていた。
WIKIPEDIAによると、西日本で死者・行方不明者1,001名、浸水家屋数45万棟、被災者数約100万人という大災害となった。
学校は休みになった。
水が引くと草野町の生徒は大橋村に支援に行った。
わたしのグループは別の学級のKさんの家に後片付けの手伝いに行った。
男子にも人気のあった彼女は一度も対面せず隠れるように作業をしていた。
水を吸った重い畳を庭に出して干した。
連なった鶏小屋のケージの中で死んだ白色レグホンと木に生ったまま腐りゆく赤い桃のコントラストが印象的だった。

 http://www.lib.kyushu-u.ac.jp/hp_db_f/suigai/

 


友達/支配/反撃

2013-06-04 | 体験>知識

3学級に増えて3年間同じ学び舎で学び遊んだので男子の友達がたくさんできた。
力関係が逆転するのを目撃した。
ある日小学校時代意に反して手下にされていたNとMがIに決闘を申し込んだ。
クラスのほかの男子たちが立会人となって「決闘」は近くの蜜柑畑で放課後に行なわれた。
小柄な2人が石をにぎってさんざん恨み言をいうとIがあっさりあやまってあっけなく勝負がついた。
Iは大柄で運動能力N0.1だったがそれからは運動でも目立たなくなり、後に聞いた話ではブラジルに移住したらしい。

わたしは時々耳にする差別のことばには常に違和感をいだいていた。
しかし人を見下すことなきか、と問われると恥ずかしながら肯定するしかない。
近くの樋口家(共通先祖)の土間で「事件」は起きた。
その家のマー君は障害をもっていて体を移動することができなかったので何時も上がりかまちに足を下ろして横の障子を少し開けて左側の道路をみていた。
中学一年のころわれわれ近所のこどもはそこをたまり場にして土間でよく遊んだ。
ある日、父親が酒と競輪に溺れてたまに勝ったときは家族で派手に金を使うと噂のあった二年のK君をバカにしたため、それまでたまっていた恨みを彼が一挙に爆発させて向かってきた。
いきなり自転車の重い空気入れを振り上げて私の頭に振り下ろした。
わたしはとっさに右手で払いのけようとして親指の拇指球部分を深く負傷した。
空気入れの根本の鉄の突起でV字型の傷跡がつき今も消えない。
自分が悪いので泣くこともなく止血しながら一人で病院に行った。