自分史 物怖じしない国際人を育てるヒント集

近現代史に触れつつ自分の生涯を追体験的に語ることによって環境、体験、教育がいかに一個人の自己形成に影響したか跡付ける。

資料大整理/行き詰まりを突破したい

2022-01-01 | 資料整理

年賀はがきの売り出しが始まったので滅多にないことだが早々と30枚購入した。書く段になって捜しまわらなくて済むように保管場所に気を使った。
次のブログを書くための資料を揃えるために、家の中のあちこちに雑然と積み重ねて埃をかぶっていたノート、コピー、切り抜き、プログラム、小冊子、書信、写真等をカテゴリーごとに仕分けした。これが大掃除より大変で本日元旦に至ってもまだ終わらない。

その間にせっかく買った年賀はがきの束が行方不明になり年賀状を書く意欲も失せてしまった。いつになるかわからないが出て来た時「ご機嫌伺い」として送ることにした。受け取った人がどう思うかいろいろ想像している。

さてブログの件だが、自分史的体験記の時系列を飛ばして、しばらく舌癌闘病記を綴りたい。その次には心臓冠動脈手術の体験について書きたい。
その間少年サッカークラブの監督をしていたのでその関連語録を、毎回思いつくままに、ブログの末尾に追記して、自分史の欠落部分を補いたい。


#サッカー指導語録 足は蹴ることができない。ボールを蹴るのは精神である。
日本代表選手としてデュッセルドルフ近郊のスポーツ・シューレにキャンプした川渕三郎のちのJリーグ創設功労者が感動した碑文「目は見ることができない。ものを見るのは精神である」から意味借用した。
かれは日常的に老若男女が集い種々のスポーツを享受しているのを観て感動し、そのための最高の環境を創った思想の淵源に哲学があることを脳裏に刻み込んだ。

2022年は、Jリーグ前哨戦(ヴェルディ川崎vs清水)30周年である。Jリーグ創立の立役者はキャプテンこと川渕三郎であるが、そこに至るまでの長い道のりには有名無名の先人のたゆまない活動と
願望があった。その熱望がどれほどだったか、一例として兵庫県の有志とともに神戸フットボールクラブ(サッカー関係社団法人化第一号)を設立した加藤正信ドクターのエピソードを紹介しよう。
日本リーグの人気が長期低迷していたころのある夜半過ぎ、熟睡中に電話が鳴り起こされた。天然芝の大小サッカー場と西欧型クラブsocioを模範とする会員制地域サッカークラブとを創った先達として尊敬し、度々試合をさしてもらっていた加藤先生からの電話だった。話し込むような間柄ではなかったので驚いた。
挨拶もそこそこにプロサッカーの必要性を一方的に長時間説かれた。神戸で目標を達成した先生が日本リーグのプロ化を次の目標に掲げて切歯扼腕するのが目に見えるようであった。わたしは相槌を打つだけだった。先生は1990年2月1日、念願がかなう3年前に急逝された。プロ化の目途がたっていたことがせめてもの慰めだった。
わたしはサッカー狂だったが、漢字学の泰斗・白川静先生の分類によれば「癡」(「痴」の旧字体)の類であった。加藤先生の狂いっぷりは最高位の狂(=賛辞)である。