自分史 物怖じしない国際人を育てるヒント集

近現代史に触れつつ自分の生涯を追体験的に語ることによって環境、体験、教育がいかに一個人の自己形成に影響したか跡付ける。

1969年から半世紀/日大・東大・・・は民主化できたか

2019-11-07 | NEWS/現実認識

1968メキシコオリンピックにおける日本代表の活躍に刺激されて、はじめてTVを買った。カラー時代なのにシロクロだった。
年が明けるとTVの前にくぎ付けになる大事件が起こった。

まず1月18,19日の全共闘と機動隊による東大安田講堂攻防戦である。
発端は卒業生(インターン)の無給研修制反対闘争だった。機械制大工業の時代にギルドの徒弟制を想わせるやり方で医師の養成が行われていることは驚きであった。
50年経っても50の大学付属病院で2192人の無給医(労基法違反)がいることが文科省の調査(報告制)でわかった。日大532人、東大239人、慶大200人など無給医かどうか精査中の大学附属病院がまだあるから実数は3000人以上になるのではないか? 自己研鑽目的の自発的な無給勤務を除く数字だそうだ。無給医ゼロと報告した大学でも月給1万円の医師が多数いるという。中世、最初の大学はギルドの殻を破って自由に羽ばたいたというのに・・・。
大学はどこもブラック企業に沈淪しつつある。非正規雇用でなんとかやりくりしている。ちなみに山中伸弥所長の言によるとIPS細胞研究所の職員は9割以上が非正規である。責任は、若い医者にアルバイトをさせる政府、有能な科学者を金策のために走り回らせる政府の大学管理体制にある。

安田講堂攻防戦は35時間全国放送され全国の大学でバリケード封鎖が常態化した。京都大学では、寮の自治をめぐって寮委員会が学生部を封鎖していたが本部時計台封鎖に拡大することを恐れた奥田総長以下の大学当局が率先して資材とヘルメットを用意して逆に大学を封鎖してしまった。安田攻防戦直後の数日間のことである。当局と民青の合作で強固なバリケードが設けられ検問(「外人部隊」排除名目の学生証確認)がおこなわれた。
風聞にもとづく空騒ぎだったことが分かると風向きが変わりパニックを煽った大学と民青「五者協」に対する責任追及を経て教養部の無期限スト、医学部、文学部のストに発展した。バリケードの中で講演会、自主講座等がおこなわれた。
わたしは高槻から教養部に通ったが何の貢献もできなかった。1回だけレーニンの国家資本主義論を講じた。学生の反応はなかったが創刊間もない『情況』誌の編集部の目にとまり記事連載が決まった。
2月18日東大とともに全共闘運動の二大焦点であった日大のバリケードが陥落した。
3月、ノンセクト・ラディカルの先頭に立って日大の強権的支配体制と果敢に闘った日大全共闘議長・秋田明大が潜伏先の渋谷で逮捕された。昨年アメフト部の危険タックルでクローズアップされた日大当局の体質は旧態依然+みんなが従順になった分だけ悪化、したように見える。

1968年の世界的な文化革命の共通項はコンフォーミズム(権威主義、管理主義、画一主義、男性中心主義)は嫌だ、という気持ちであった。今はどうだろう? どこの大学も
いっそう閉塞状態が強まり、また政府以下会社はもちろん、あらゆる機関、学校でやりたい放題の規則ずくめ統治がおこなわれている。
かの京大でも学生部が戦前のように学生取り締まり部に変容しかかってないか、寮の自治は生き残れるか?  自由圧縮のニュースを聞くたびに気になる。
11月祭で正門に、京大がみずからの「看板」として誇ってきた「反戦自由」の大看板を学生が立てたら、やはり撤去されるのであろうか? 見苦しいといわれないように美術を凝らしてもムダか? 
参考:5月革命(1968年、パリ)で有名になったポスター「街頭のヴィーナス」

二つ目のTVに釘付けは7月のアポロ11号の月面着陸だった。人類の宇宙飛行で後れを取ったアメリカが国を挙げての開発競争でついにソ連を追い越した瞬間だった。当時ソ連はアメリカと覇権を争う超大国でその勢いに脅威を感じてアメリカは「ドミノ理論」を掲げてベトナム戦争を戦っていたほどであった。
アームストロング船長の名言を引いて終わりとしよう。
That's one small step for [a] man, a giant leap for mankind.

50年後の感想。それを人類の終わりの始まりの「第一歩」にしてはならない。宇宙を利用した最終兵器の出現は妄想ではない。


イチローとNOMO/高槻フットボールクラブ創立50周年

2019-04-04 | NEWS/現実認識

イチローの引退会見を見た。
私は野球フアンではない。野茂もイチローも日本で活躍している間はわが脳裏に何の印象も残さなかった。ところが米国で名を挙げた時からサッカー・マニアの立場からそのプレイ・スタイルに魅了されただけでなく、両人の日米スポーツ史における意義を考えるようになった。
私は1968年秋から少年サッカーの指導を始めたが、野茂が1995年にドジャース入団初年度に「トルネード投法」により三振の山を築きMLB新人王に輝くまで、日本のサッカーがフットボールでないのと同様に、野球はベースボールでない、という観念にとらわれていた。NOMOの最終成績:123勝1918奪三振etc.
1965年、日本サッカーは前年の東京オリンピックで釜本たちの活躍で盛り上がったサッカー人気*を背景に日本リーグを立ち上げたが、尻すぼみ的に不振が続き、関係者はプロ化に再浮揚の期待をかけるほかなかった。
*この上げ潮がなかったら私がサッカーに関わることはなかったと言い切れる。
写真 高槻フットボールクラブ一期生 1969年夏 柳川小学校校庭
余談 背景の職員室のTVから流れる高校選手権決勝の実況中継を窓下で聴き耳を立てながらみなで聴いた思い出もまた懐かしい。 三沢高校vs松山商業 延長18回0-0で再試合へ


1993年、単にサッカーの発展振興だけではなく日本のスポーツ文化と国際親善に寄与することを高らかに謳って、念願のプロリーグ「リーグ」が発足した。サッカー人気が爆発し、放課後少年たちが自転車の籠にボールを載せて走り回る姿が至る所で見られた。当クラブも部員が倍増し一時小学生だけで200名以上が在籍していた年があった。
野球人気低落の危機を救った功労者が野茂だった。ブームで驕り高ぶっていたサッカーの頭を押さえ冷やしただけでなく、野球がベースボールであることを世界中に認めさせた野茂の功績は不滅である。
NOMO
の代名詞でもある「トルネード投法」は体全体を躍動させて球速を増す投げ方であるがこれは球技すべてに通じる原理に合致している。

サッカーでは「ロベカル」の名が付けられている弾丸シュートが有名である。ロベルト・カルロス(ブラジル)は濡れた芝生のピッチでポイントのないシューズでボールを蹴って練習したそうである。つまりボールと連動して体も前に滑走するキックである。対照的に踏み足を踏ん張って蹴る山なりのロングボールをわたしは「マツイ・キック」と名付けた。
「ロベカル」の練習を部員にさせるとき「イチロー・キック」と名付けてイチローのバッティングをTVで注目するように言って練習法を可視化させた。イチローが、バットを振った瞬間に体が前にスライドし同時に走り出す打法でメジャーでシーズン最多ヒット記録を塗り替えたことに感動して私はメールアドレスに数字262
を含めた。
またイチローが野手としてもアメリカ人を驚嘆させた先駆者であることは日米で常識である。

引退会見で子どもたちへのメッセージを求められてイチローは語った...。
野球だけでなくてもいいんですよね、始めるものは。自分が熱中できるものを夢中になれるものを見つけられれば、それに向かってエネルギーを注げるので、そういうものを早く見つけてほしいなと思います。
それが見つかれば、自分の前に立ちはだかる壁も、壁にも向かっていける、・・・それを見つけられないと壁が出てくると諦めてしまうということはあると思うので、いろんなことにトライして、自分に向くか向かないかというよりも自分が好きなものを、見つけてほしいなというふうに思います。

私の場合それを見つける
旅を1964年に始めた。発見まで4年かかった。今その道のりを追体験中であるが、今後どう記述するか、筆が進むか気がかりだ。
2019年4月4日は高槻フットボールクラブ創立50周年記念日である。引退して3年たった。引退式も記念式典も断った。わたしの生き方だから寛恕ねがいたい。



清水潔『殺人犯はそこにいる』/冤罪に隠れて/タイムトラヴェル

2014-06-27 | NEWS/現実認識

1979年から17年間に5件の幼女誘拐・殺人事件が栃木・群馬県境の半径10キロ圏内で起きた。
内3件は足利市で起こり、90 年の事件は「足利事件」と呼ばれている。
やがて幼稚園の送迎バスの元運転手菅家さんが逮捕され13時間後!!に自供し3件とも殺害を認めた。
物証があった「足利事件」だけが起訴され2件は不起訴になった。
裁判の途中菅家さんは自供を二転三転させた。
警察庁の科警研が行なったDNA型鑑定が決め手となって2000年最高裁は無期懲役の判決を下した。
それ以後そのDNA型鑑定法が判例となった。
2008年には始終無実を訴えて再審を準備中の飯塚事件久間さんがDNA型鑑定が争点になっていたにもかかわらず死刑判決後2年弱という異例の早さで死刑を執行された。   
執行命令書署名  法務大臣森英介
飯塚事件で用いられたDNA鑑定も足利事件と同じMCT118法鑑定で、鑑定技官も同一人だった。
法務省はまさか菅家さんのDNA再鑑定が白の証明と出るとつゆほども考えなかったのだろう。
2009年菅家さんが前代未聞のDNA型再鑑定により17年半に及ぶ刑務所生活から「再審前釈放」となった。
日テレ報道記者として菅家さんの冤罪キャンペーンを繰り広げていた清水氏が心の中で快哉を叫んだ瞬間だった。
再審判決「当時のDNA鑑定に証拠能力はなく、自白も虚偽であり、菅家さんが犯人でないことは誰の目にも明らか」
ここで二つの新たな問題が生じた。
清水氏が特定した真犯人「ルパン三世」のDNA型が犯人のそれと一致するか?
清水氏は新旧鑑定法で一致する(本田鑑定)と主張し、科警研は旧鑑定法!で一致しないので追及をネグレクトしている。
その上検察は犯人のDNAが付着している「足利事件」幼児の着ていたシャツに限ってのらりくらり言い訳をして母親に返さない。
証拠の隠蔽である。
それを返すと当時の鑑定法の誤りが改めて真っ向から証明され「飯塚事件」の死刑執行等、相当数の捜査と判決が問い返されるのを恐れているのだろう。
一件落着から一転して5件未解決になったが、警視庁と検察庁、群馬栃木両県警は動かない。
動いて自らの傷口を広げるのを恐れているのだ。
科学捜査とDNA判定が揺らいでいる。
理研同様科警研の信用が揺らいでいる。
飯塚事件ではDNA型鑑定写真の改竄が見られる。
ネガの周辺部分が写真では切り取られており、その切り取られた部分から第三者のDNA型が確認された、と弁護団は主張している。
実験ノートもネガも写真も紛失したとされている。
鑑定血液痕も大量にあったのに「使い切った」とされている。
弁護団は再審請求を出した。
小保方さんのSTAP細胞の成否は再現実験ができるが飯塚事件のDNA型は再鑑定できないほど証拠隠されている。滅か蔽か不明。
このルポではじめて知ったが、DNA型鑑定はDNA鑑定ではない!


「秘密保護法廃止を」決議 108の議会/タイムトラヴェル

2014-04-09 | NEWS/現実認識

かつての与党には右傾左傾に対してバランス感覚があった。
今の与党は、公約にもなかった特定秘密保護法を強行採決した。
国民主権、知らせる義務・知る権利の基本的人権と平和主義という憲法の基本原則を蹂躙するものだ。
外交・行政の情報が恣意的に秘密に指定され永久的に闇に葬られるなら戦時への回帰と同じではないか?
敗戦が決まったときから数日間夜も昼も知られてはまずい極秘文書が全国家機関で焼却されたために戦時の歴史総括ができず今なお歴史問題を引きずって戦争を知らない世代が割を食っている。
前向きに戦後処理したドイツとは真逆の方向だ。
検定歴史教科書が政権の意のままに押し付けられ、憲法が政権の思惑通りに解釈されようとしている。
NHK,最高裁の人事も政権の意のままだ。
政権の狙いは平和憲法の国を戦争できる普通の国に造りかえることだ。
これはもはや右傾化ではない。
戦傾化である。
意に反して蚊帳の外に置かれていた国民がようやく動き出した。
国会はダメだが地方議会には常識良識が働く余地がある、ということか。

黒塗りで恣意的に特定秘密を保護しました。



東日本大震災/原発大事故/危険ランク隠しから子供をまもる会

2011-04-19 | NEWS/現実認識

東電、保安院、政府の数ランク低めの危険ランク設定に警鐘を鳴らしてマスメディアに忌避されている異端インテリ達を紹介して自己判断の材料にするよう記事を書いて来た。
個人的には汚染度が4つの地域に色分けされている南相馬市の高齢者支援に最も関心を寄せてきた。
福島県の学校、幼稚園等が再開されるにいたって関心の対象を福島県の子供を被爆から疎開させることに広げる。
チェルノブイリの子供たちの悲劇を繰り返してはならない。
「ふくろうの会」の警鐘を聴き届けよう。
放射線チェックを実際におこなって学童疎開を訴える保護者たちの会だ。
そこに寄せられた子を持つ親の悲痛な叫びに応えよう。
http://fukurou.txt-nifty.com/fukurou/2011/04/svh-652a.html

2011年4月5日から7日にかけて 、福島県内の幼稚園・保育園・小中学校などの校庭1600箇所以上で系統的に測定された 地上高1mでの放射線線量率の地域分布 http://t.co/ZavKCIv

明日は我が身だ。
大阪北部は原発銀座から80km前後しか離れていない。
大阪の水がめ琵琶湖にいたっては20km!

権力、メディアは嘘をつくか真実を隠すかするものだ。
なぜガイジンは即逃げ帰り来日を控えるのか?
かれらは日本からの情報の信頼性を問うことすらしない。
かれらは自国の歴史体験から最高安全を選んでいるだけだ。
日本人はお上に従い最低安全から始めて未曾有の国難まで行く。
その代わり日本人は歴史体験をすぐ忘れて革新することに優れている。
鎖国→黒船→近代化
開戦→敗戦→経済大国
原発国策→FUKUSHIMA →自然エネルギー大国?


東日本大震災/指示はシンプルに、「稲むらの火」を灯せ

2011-03-17 | NEWS/現実認識

自分の考えを押し付けようとは思わない。
脱線ブログから一時退避されても構いません。

地震、津波は強度にしても規模においても先例があった。
チリ、唐山、スマトラ沖、四川、ハイチ・・・。
ただ映像を流し見た程度の観察で終わってサヴァイヴァルに必要な術までは誰も私も学習しなかった。
私はブラジル土産の瑪瑙の風鈴様吊り飾りが鳴って家の横揺れで地震を知った。
TVは休止電源が入っていたが自動では起動しなかった。
教訓1 自動警報のTV,ラジオがあれば万単位の犠牲者は出なかった。
TVを起動すると、マグニチュード8.8の表示はあったが震源については何も出ていなかった。
画面は予想される津波の強度を色分けした日本地図と高台の固定カメラによる気仙沼港の映像一色で、あとはアナウンサーが避難を訴え続けるだけだった。
予想される津波はどこかは高さ6mでどこかは3m,といった地名と数字の羅列が字幕で流されていた。
教訓2 TV,ラジオを視聴していたとしてもこれではミスリードされると後で知った。
自分だけかもしれないが、地名が出ない所のひとは、たとえば仙台は大丈夫と思い込んだのではなかったか。
まもなく大津波が寄せて来ます、できるだけ早く遠く高い所へ逃げてください。
これで十分だったのではないか? 
後知恵だが、平地なら海岸から5km離れていても安全とはいえない。
淀川河川敷なら枚方高槻あたりまで増水すると推測する。知人の河川レンジャーに話すと言下に否定された。

私は永年少年サッカーの指導をしているが、個人力指導のコンセプトを練りに練って4つのキーワードにまとめて選手に伝えている。
これに対応するチームプレイのキーワードを足しても8つのキーワードでサッカーのすべてを網羅して説明できる。
多弁は駄弁、1を聞いて10を知る演繹法を採る。


閑論休題

2011-01-01 | NEWS/現実認識

たとえばなしですが、いきなりHな写真を見せられたとき子供であるあなたは正視しますか?
それとも目をそらしますか?  
「プリモ一家」の回顧の続きに成り行き上そんなシーンが巡って来てしまった。
元旦なのでスルーして話題を変えたいと思う。
今日の世相にからめて時事評論で行きます。
固い話が嫌いな方はパスしてください。

その1)今のままでは日本は人口が減少して必ず衰退する。
マルクス流に言えば、労賃はその社会における家族再生産費に相当する。
グローバリズムという撹乱要因が加わって、日本では労賃が再生産費以下になって、家族を再生産できない。家族数も出産数も減少していく。
その2)すぐれたボスを推せないムレは衰退する。
ボス猿、ガキ大将、独裁者は自分勝手で、公平でもクリーンでもない。
ボス猿を見よ。子分の餌を奪う。
だが自己チュウだけではボスになれない。
自己犠牲の覚悟が欠かせない。ムレを護るために体を張って使命をまっとうする。
龍馬を見よ。
その3)日本ではサムライは時代と共に絶滅した。
侍大将西郷隆盛の切腹とともにサムライは絶えた。
「葉隠れ」に言う。サムライとは死ぬことと見つけたり。
サムライを呼号して、負けて、腹を切ったボスは皆無に近い。東条英機を見よ。 
その4)龍馬はそのクニ造り「八策」でボス候補を〇〇〇とした。意中の人は居たのだろうか?
九分九厘無理だと分かっていても勝海舟だったと思いたい。
今日は尚更〇〇〇を埋めるのが難しい。
誰がなっても同じだし、たちどころに引き摺り下ろされる。



勝ち組と負け組/1946年 移民社会の激震と対立

2010-08-15 | NEWS/現実認識

1945年8月15日正午、65年前の今日、日本国民は昭和天皇の「玉音放送」により一瞬にして敗戦を認識した。
情報途絶の暗闇の中にいたブラジル移民のほとんどは、隠れて聴いていた短波放送の「大本営発表」の勝報しか知らず、ニュース源がなにであれ敗戦の報を聞いても「神国日本が負けるはずがない」という信念を変えなかった。
たちまちのうちに敗戦は敵のデマ、実は大勝利、なる虚報が移民社会を駆け巡った。
報道は正体不明のラジオ放送、謄写版刷りのビラ(有料)でなされた。
世界中に出回ったミズーリ艦上の有名な降伏文書調印式の写真が偽造され連合国敗戦の証拠として回覧された。
わたしが小さいとき親たちはミズーリ艦をミソウリ艦と呼んで茶化していた。
戦中から活動していた興道会/臣道連盟は本気で日本からの軍師と艦隊を歓迎する会を準備する中で多額の寄付金を集めたため後日詐欺容疑で調べられた。
敗戦を認識した有力幹部が将来の移民の社会的地位向上のために積極的に認識普及運動を始めるとウルトラ信念派はあえて忠君愛国道からそれた認識派に対して「裏切り者」「非国民」「国賊」として天誅テロを加えた。
実に1947年1月までに23名が殺害され数十名が負傷した。
父母も信念派だったが活動家ではなかった。
父親は街に行った時は勝ち組新聞「ブラジル時報」を買って来た。
両派とも活動家は相当組織的に動いていたようだ。
わたしは真珠湾攻撃の有名なプロパガンダ映画を観た(見せられた)記憶がある。
巨大戦艦撃沈の勇壮なシーンが目に焼き付いていまだに消えない。
他方で見渡すかぎりの焼け跡の掘っ立て小屋の穴蔵を舞台にしたドタバタ喜劇映画「東京5人男」をみて非常に情けない気持ちになった。
このころ占領下日本の海外向け郵便が解禁され、移民社会に内地の手紙が来るようになった。
オラリア(レンガ瓦製造所)に移ってまもなく、推測では1947年前半、再生紙の封書かハガキが日本の肉親から来た。
GHQの検閲判が押されていた。
最長老の祖父が皆の前で読んでハラハラと涙を流して只一言云った。
「負けた。大東亜共栄圏の夢むなしくCHINAが赤化する」
その後は事業意欲旺盛な一族のなかでは敗戦は話題にも議論にもならなかった。
ひたすら帰国の道を突き進む父母は精神的に孤立したにちがいない。
わたしが生まれた1938年のある信頼できる調査では85%の移民家族が帰国願望で10%が永住希望だった。
終戦直後は90%の日本人が勝利を信じていた。
臣道連盟が幹部逮捕で壊滅する中で敗戦認識が決定的になったこのころには多分数値が逆転したと思われる。
事件は終息し移民社会の亀裂は「勝ち組負け組」事件として記録されるようになった。
そして日本国内の「歴史認識問題」同様、ながらく大っぴらに議論しにくい状態が続いたが、2007年、事件の核心部分が作家醍醐麻沙夫によって解明された。
http://www.brasiliminbunko.com.br/35.Brasil.Katigumi.                 TeroJiken.no.Shinsou.pdf
事実は小説よりも奇なり。
作家の推理パズルを完成させる最後のピースが見付かると事件は意外にも、にわかにわが家の身近に迫って来た感じがしはじめた。
特務機関を騙る戦中からの詐欺師川崎三造の登場に続く。


日米安保強行採決5月20日、あれから50年/タイムトラヴェル

2010-05-20 | NEWS/現実認識

5月20日は日米安保が国会で自民党単独で強行採決された歴史的な日である。
わたしも全学連主流派の一員として活動していた。
軍事同盟だから反対、米国の帝国主義戦争に加担するから反対、を訴えた。
反主流派の主張は米国従属反対、戦争に巻き込まれるから反対、だったと受け止めている。
あるソ連寄りの教授が「ソ連に100年従属することになるならそれには反対」と言ったのを直接聞いて唖然とした。
わたしはどこであれ従属そのものが嫌なのにこんなタームで考える人がいることに驚いた。
1960年5月20日未明、その時からちょうど50年経った。
治外法権、沖縄犠牲の不平等条約を見て見ぬふりをして半世紀が過ぎた。
いや基地の島沖縄は65年間我慢させられた。
安保を戦ったことには誇りを感じるが安保体制下で生き続けて来たことは恥ずかしい。
健全なナショナリズムが育って次の50年にはよりましな国際関係を築いて欲しい。