自分史 物怖じしない国際人を育てるヒント集

近現代史に触れつつ自分の生涯を追体験的に語ることによって環境、体験、教育がいかに一個人の自己形成に影響したか跡付ける。

勝野金政とジャック・ロッシ『さまざまな生の断片』

2021-07-01 | 近現代史 大粛清期の監獄・ラーゲリ体験記

長くなるが、フランス人ジャック・ロッシが綴った大テロル期と戦後の監獄・ラーゲリ体験記を紹介して、勝野の体験記(1930~1934)の内容の裏付けとしたい、さらにロッシで読む「続編」(1937~1956)としたい、という誘惑を抑えることができない。
   成文社  1996年
ジャック・ロッシはコミンテルンの密使だった。1937年スペイン内戦渦中の共和派に暗号と無線機を届けに行った直後、突然モスクワに呼び戻された。そして、監獄・収容所生活が延々と続き、そこから解放されてフランス大使館に鉄柵を乗り越えて飛び込んだのは1956年のことだった。
わたしは、56の短編からなる囚人たちの様々な生の断面の中から『赤露脱出記』時代より「進化」した実態だけ抽出する。進化した地獄から見ればそれ以前は天国であろう。「進化」の事実を拾うのが目的なので、著者が重く暗い事実を軽妙で機知に富んだ筆致で表現した趣向に触れる余裕はない。
・日本人がラーゲリと呼びならわしている強制収容所は、グラーグと呼ばれている。グラーグ(ラーゲリ総管理本部)の下に支部、支所ラーゲリがあり、支所ラーゲリは複数の分点で構成されている。
・「グラーグの特別部門は木材伐採、ある種の鉱山の採鉱、道路、ダム、鉄道、運河、全市街の建設すべてをおこなった。」  特種コンビナートである。
コンビナートの各要素は極寒のツンドラ地帯を零から開発した囚人労働によって創り出されたものである。
グラーグは囚人を管理、監視するために必要な陸海空の軍隊を持っていた。「囚人と役人の人口とグラーグのいくつかの地域コンプレックス(コルイマ¹、ノリリスク²、ヴォルクタ³等)の予算は、グラーグの所在する単位地域の人口、予算をはるかに上回っていた。スターリンの死まで、監獄制度の過酷さは増大しつづけた。」
*1=金鉱中心、地獄のグラーグ 2=ニッケル・銅中心、公害でも世界一 3=石炭産業都市、1942年・1953年に蜂起
・地位と名声の高い被疑者を収容したソ連秘密警察本部のルビャンカ監獄内は、すし詰めになったにもかかわらず、看守が来る靴音が聞こえるほど静かである。規則と監視と懲罰が厳しくなったためであるが、囚人が、密告を義務付けられている状況では、見ざる、聞かざる、言わざるの三猿主義でわが身を護るからである。
・『コルイマ物語』の著者シャラーモフは、拷問は大粛清と同時に1937年に始まったと言っている。私見では拷問を堪え抜けられる人間はいない。ロッシがどうだったかは体験記からは読み取れない。ルビャンカ取調室で「私は手をうしろに組んで二十四時間以上もずっとその場に立ち通しだ。」延べ五日六夜の尋問の後、地下室で殴る蹴るの拷問を受けた。気が遠くなるとバケツの水をかけられた。「吐くんだ! 白状するんだ、このうすぎたないファシスト野郎め!」
・囚人を収容所の正門で受け取って作業所に連れて行くのは警備隊である。隊長と縦隊の囚人たちとの間で毎回規則通りの決まり文句が交わされる。「一歩左でも、一歩右でも、脱走の企てとみなし、警護兵は威嚇射撃をする。わかったか?」「了解!」  続いて、ロッシは二人射殺の始終を記した。
・ラーゲリでは、やくざが跳梁跋扈している。
バラックで牢名主のように好き勝手にふるまい、しばしば当局に協力した見返りに、楽で美味しい仕事(パン配給係、食料倉庫の見張り等)を手に入れていた。
雌牛(やくざの隠語)とは「逃走中に食物がなくなったとき、仲間によって、まだ温かい血と腎臓が食われる人間を意味する。」 ロッシが知っているナイーヴな少年囚が犠牲になった。
「正統」をもって任ずるやくざは、当局に協力するやくざ者、密告する者(カタギをふくめて)、命の綱=パンを盗む者を、掟に反するとしてスーカ(雌犬)と呼び、その一派と血の抗争を繰り広げた。
・当局はやくざの抗争を止めることができなかった。
毎日死人が出て総人数が減った。加えて、やくざを働かせることができなかったから、おとなしい堅気だけがあくせく働くことになる。生産性が落ち、目標達成が困難になる。そうなるとラーゲリの役人が責任を問われる。
困った当局は一計を案じてラーゲリの真ん中に有刺鉄線で「火のレーン」を設けて銃を持った歩哨に監視させた。それでも血の落とし前が絶えなかった。生きたままバラックのストーブに載せて焼き殺した事件があった。
コミッサール(政治将校)に仲間を売った者が楽な仕事にまわされた。先々の班で嫌われ、ついに「一般作業」つまりもっとも過酷な重労働の現場に追い出された。そこは密告されたやくざのたまり場でもある。翌朝切断された首が便所の近くにぶら下がっていた。これはやくざの伝統的な掟破りに対する制裁である。
これらすべてロッシが目撃したことである。

ロッシはノリリスク(北極圏の彼方、フランスよりも広い地域に約20の支所がある第二グラーグ)の体験者である。そこでのいくつかの見聞が記録されている。
ノリリスクで作業場に連れていかれる途中、鉄道線路際に何か丸い物が入った奇妙な袋(リボン付き)があることに気が付いた。
訊かれた男は言った。あれは「カラルゴンの土産」さ。ロッシにはまだわからない。「そうさ、あの封印された袋には首を斬られた死体が入っているんだ。西瓜に似てるのは頭さ。」
「その頭をチョン切るカラルゴンってところは、なにさ?」
「そいつはやくざや、札付きを送り込む懲罰部門さ。やつらは自分たちを侮辱したものの首を斬って決着をつけることになっているんだ。」
囚人に怖れられていたカラルゴンはノリリスク・グラーグの懲罰部門である。ロッシが聞いたところでは石切り場が唯一の作業場である。それ以上の実態は不明だがわたしは地図上の鉄道駅名にその名を発見することができた。

怖い話ばかり切り抜いてロッシの文章の品位を傷つけてしまった。結びぐらいは心温まる話で罪滅ぼしをしたい。
・それは「幸福のおすそ分け」と題されている。
サハリン・アレクサンドロフスク監獄の給食婦はNKVDの兵長である。「我々は彼女がわざわざ桶の中身をよくかきまわしてくれることに感謝している。」  中身は水っぽいスープである。
同囚の大佐(ヒットラー暗殺未遂嫌疑でナチスの監獄を経験したドイツ将校)が飯盒を差し出して「ジャガイモ!」というと彼女はすいませんというふうに、ひとのいい微笑を浮かべた。職員が囚人と個人的な話をすることは規則で禁止されている。
大佐は振り向いてロッシに、喜びにあふれ、ほとんど勝ち誇った表情で言う。「もしあったら、彼女はわしにくれただろう!」
「私は彼が幸福のおすそ分けをしてくれたことに感動する。」
・「刑務所で生まれた友情ほど熱烈な友情は存在しない」と『コルイマ物語』の著者シャラーモフは書いている。ロッシもまた「二十年後」のワルシャワで体験した贋金両替え未遂を記録している。
「なんておかしな話だろう!  二人の外国人がどこか自分の国ではない国の町の通りで出会う。それぞれ自分の監獄の名をあげて自己紹介する。それによって一人がもう一人をだます計画をあきらめる。」
「たいしたものだ。連帯だ。連帯感が存在するのだ!  すべての国のグラーグ経験者に・・・・・・」


お薦め:最新のグラーグ研究   オレグ・エゴロフ『ソ連の[主要な]矯正収容所』(2019)
提供 RUSSIA  BEYONDO  https://jp.rbth.com/history/82758-gulag-soren-no-shuyona-kyosei-shuyojo