昨日の「金乗院」の中で、同寺の墓所にあった「丸橋忠弥」の墓の報告を忘れていました。
あの丸橋忠弥です。宝蔵院流槍術の大家で、油井正雪と幕府転覆を企てたが失敗、鈴ヶ森で処刑されたのです。そのお墓が金乗院にあったのです。
お詣りを済ませ御朱印を頂いてさて帰ろうかと思った時、不動尊の御堂の脇に「丸橋忠弥の墓」看板が立っていましたので、ふとお詣りする気になりました。
都会のお寺の墓所特有のびっしり立て込んだ墓石の間を、案内板を頼りに奥に進むと、墓所の一番奥にありました。
墓石には雨除けの屋根がありましたが、「丸橋忠弥の墓」の看板があるだけで何も解説のようなものはありませんでした。
お詣りをして帰ったのですが、その戻る石畳の道の途中にやはり「青柳文蔵の墓」という看板がありました。
こちらには、日本最初の公開図書館を建てた人と書かれていました。図書館が大好きな私としてはお詣りをしないわけにはいきませんでした。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0e/de/99aab76915f0959fd8124062bce55030.jpg)
墓石の表面に刻まれた墓碑も撮影しましたが、薄くなっていてほとんど読めませんでした。
金乗院縁起によりますと、鈴ヶ森で処刑された後一族がひそかに遺骸を貰い受けて紀州に埋葬し、のちに一族の末裔が金乗院に移し、安永9年に墓碑を建てたとありました。
あの丸橋忠弥です。宝蔵院流槍術の大家で、油井正雪と幕府転覆を企てたが失敗、鈴ヶ森で処刑されたのです。そのお墓が金乗院にあったのです。
お詣りを済ませ御朱印を頂いてさて帰ろうかと思った時、不動尊の御堂の脇に「丸橋忠弥の墓」看板が立っていましたので、ふとお詣りする気になりました。
都会のお寺の墓所特有のびっしり立て込んだ墓石の間を、案内板を頼りに奥に進むと、墓所の一番奥にありました。
墓石には雨除けの屋根がありましたが、「丸橋忠弥の墓」の看板があるだけで何も解説のようなものはありませんでした。
お詣りをして帰ったのですが、その戻る石畳の道の途中にやはり「青柳文蔵の墓」という看板がありました。
こちらには、日本最初の公開図書館を建てた人と書かれていました。図書館が大好きな私としてはお詣りをしないわけにはいきませんでした。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0e/de/99aab76915f0959fd8124062bce55030.jpg)
墓石の表面に刻まれた墓碑も撮影しましたが、薄くなっていてほとんど読めませんでした。
金乗院縁起によりますと、鈴ヶ森で処刑された後一族がひそかに遺骸を貰い受けて紀州に埋葬し、のちに一族の末裔が金乗院に移し、安永9年に墓碑を建てたとありました。