新鹿山荘控帳

山荘管理人が季節の移ろいを、書きとめました
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3月11日のあの空

2022-03-13 17:17:26 | コロナ関連

今日は3月13日、ふと2011年3月11日のブログには何と書かいたか確認したくなり調べてみました。やはり11日は何も書いてなく翌12日に何か書くべきだと前書きして以下の様子が書かれていました。その抜粋を載せます。

(::)

朝から被災の状況をTVで見ています。ブログを書く気持ちになれませんが、それも駄目だと思い何か書きます。
そのとき私は何をしていたか。
神奈川県東部の県立公園にいました。1日歩いていたので一休みと、駐車場脇の芝生のところにあるベンチでジュースを飲んでいました。
背中が何かモゾモゾします。しっかり腰掛けているとベンチに当たる体の筋肉の動きを感じる事があります。何時まで経っても背中の動きが止まりません。その内動きが大きくなりました。地震だと、気が付きました。船の甲板のベンチのように動いています。離れたところの電線が大きく揺れています。とまっていた鳥が逃げ出しました。
駐車場の車が大きくグラングラン上下に動いています。近くのお宅からガラスの割れる音と悲鳴が聞こえました。後ろの公園の茂みから一斉に鳥たちが飛び出しました。
それでも1分くらいでしょうか。古い我が家の室内がどうなっているか心配ですが、こんなに大きな地震ですと余震も大ききく、車で走行も出来るかも気になりました。
車で小1時間かかりますが、途中でもはっきり地震で揺れているとわかるほどの余震がありました。(::)

東北大震災は、2011年3月11日14時46分の発生しました。上記のベンチで休憩する前に丁度上空を開発中の海上自衛隊の対潜哨戒機が飛行訓練をしており、それを撮影していたので。開発中で珍しい機体でしたから。それがこれです。

3月11日14時29分撮影、カメラの時計ですから正確ではありません。「技術研究本部」と表示されています。

次の周回で、14時39分。

同14時39分。

同14時39分。これで撮影を止めております。多分次の周回を待っていたのかもしれません。ですが、操縦席では管制塔から数分後の大地震の情報が連絡されていると思います。

飛行している機体をどうするか、現在訓練している基地に降ろすか、現地に偵察のため飛行するか検討されたのでは。でも周回飛行の訓練ですから宮城の方まで飛行する燃料は積んでいないでしょうから。操縦士も何か役立つことはないか歯がゆかったのではと今ならそう思いますが、当日は、自宅が無事かどうか心配で無事に帰るか気がかりでした。

それからの1年くらいですか、皆さんも同じだったでしょうが全く心ここにあらずの生活でした。

昨日一昨日の報道では、被災された皆さんの心の安寧はまだ戻っていないとのこと、お見舞い申し上げます。

 

コメント
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