さて5月10日と11日金沢石川方面に昔の仲間と旅行に出かけました。旅として面白いこともありましたし、念願の永平寺の御朱印などもいただきましたので、観光編(肝硬変と最初に変換されました)と御朱印編を混ぜながら報告します。
まず金沢定石の兼六公園ですが、私としては公園内にある金澤神社に関心が大いにあり友人たちと公園内で別れ、金澤神社に向かいました。
兼六園は回遊式の公園で園内を目的を持って歩くと、同じような景色で分かりにくいのです。かなりしっかり歩き回ってから気が付くと入園した門に近づいてるではありませんか。疑問に思って入園時に頂いた案内図を見てびっくりです。なんと南北が逆に書いてあるではありませんか。結局別れて歩き出した地点近くに神社がありまして、さらにこじんまりした小さな神社であることも、迷った理由の一つです。私たち全員実は地図のプロです。
兼六園の有料地区にはないのですが、兼六園に隣接された本来はその一部だった神社です。
もともと加賀藩の鎮守社として建てられたもので、明治以前は春秋の例祭にのみ、城下の婦子が参拝を許されていただけですから、大きな社は必要なかったのでしょう。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/29/b7/284a485fd47177b11cac53331a6117f0.jpg)
黒地に金糸銀糸に朱の糸で作られた大変格式のある御朱印帳です。ですから金沢で時間があったら頂きたいと狙っていたのです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6f/fb/333eac4b1db356e007cc372b2c8a06bd.jpg)
御朱印を頂きたいと社務所で若い巫女さんにお願いすると、神主さんが他出しており紙に書かれたものでいいですかと聞いてきます。
ここまで来たのですから仕方がないのでお願いしますと申し上げました。ですがカウンターに神社の御朱印帳があるので、『この御朱印帳に頂いた紙を貼るのですか』と聞きますと、
『御朱印帳でしたらすでに書いてありますので、日付だけ書けばいいですから』ということで、御朱印帳と神官の御朱印を目出度くいただくことが出来ました。五月十日の頼りなさそうな文字は巫女さんのです。
その後広大な庭内で仲間と出会うのに苦労いたしました。
まず金沢定石の兼六公園ですが、私としては公園内にある金澤神社に関心が大いにあり友人たちと公園内で別れ、金澤神社に向かいました。
兼六園は回遊式の公園で園内を目的を持って歩くと、同じような景色で分かりにくいのです。かなりしっかり歩き回ってから気が付くと入園した門に近づいてるではありませんか。疑問に思って入園時に頂いた案内図を見てびっくりです。なんと南北が逆に書いてあるではありませんか。結局別れて歩き出した地点近くに神社がありまして、さらにこじんまりした小さな神社であることも、迷った理由の一つです。私たち全員実は地図のプロです。
兼六園の有料地区にはないのですが、兼六園に隣接された本来はその一部だった神社です。
もともと加賀藩の鎮守社として建てられたもので、明治以前は春秋の例祭にのみ、城下の婦子が参拝を許されていただけですから、大きな社は必要なかったのでしょう。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/29/b7/284a485fd47177b11cac53331a6117f0.jpg)
黒地に金糸銀糸に朱の糸で作られた大変格式のある御朱印帳です。ですから金沢で時間があったら頂きたいと狙っていたのです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6f/fb/333eac4b1db356e007cc372b2c8a06bd.jpg)
御朱印を頂きたいと社務所で若い巫女さんにお願いすると、神主さんが他出しており紙に書かれたものでいいですかと聞いてきます。
ここまで来たのですから仕方がないのでお願いしますと申し上げました。ですがカウンターに神社の御朱印帳があるので、『この御朱印帳に頂いた紙を貼るのですか』と聞きますと、
『御朱印帳でしたらすでに書いてありますので、日付だけ書けばいいですから』ということで、御朱印帳と神官の御朱印を目出度くいただくことが出来ました。五月十日の頼りなさそうな文字は巫女さんのです。
その後広大な庭内で仲間と出会うのに苦労いたしました。