jazz and freedom and avenger

勝手気ままな戯事日記 暇つぶしに・・・・

LEGACY OF FREDDIE HUBBARD (2) ・・・・・ SUPERSTARS 1982

2016-10-09 | Legacy of Freddie Hubbard

 

FREDDIE HUBBRAD SUPERSTARS

LIVE AT JAZZFEST WIESEM. AUSTRIA. 1982 (All Blues)

 

ハバードが中心になった「SUPERSTARS」バンドの1982年7月16日、オーストリアのWiesenで行われたジャズ・フェステバルでのライブもの。

バンド名通り、メンバーが凄いです。

Freddie Hubbard : trumpet
Joe Henderson : tenor sax
Kenny Barron : piano
Ron Carter : bass
Tony Williams : drums

内3人はVSOPのメンバーなので「裏VSOP」とでも言え、優るとも劣らない内容です。

 

何曲か演奏された中から、A Quick Sketch.  Spiral.  Sister Cheryl.  Birdlikeの4曲がピック・アップされ、TOPのカーターのオリジナル‘A Quick Sketch’に入る前から会場の熱気がむんむん伝わってきます。さすがにカーターが良いソロをとっている。

バロンの名作’Spiral’、リリカルなバロンのp、グーンと伸びるカーターのbから愛らしいメロディへ、もうすでに名演の予感が。ハバードが低音からハイノートまで大胆にして繊細に、しかもイマジネイティブなソロを炸裂させれば、それに触発されたバロン、カーター、ウィリアムスが絡んでいく様は、正にトランス状態!

しかも、ヘンダーソンの後、バロンのpの素晴らしい事!誰かが「鍵盤の上を走り回るコマネズミ」と書いていましたが、とんでもありません。知らないのです、この男のもう一つの本当の顔を。バロンのベスト・パフォーマンスの一つ。

続くカーターも「ソフトリー ・アズ・・・・・・・・」のワン・フレーズを織り込むなど、もう最高の演奏です。演奏後、SPが壊れるのでないか、と思うほどオーディエンスの興奮が響き渡る。

 

ウィリアムスの名曲‘Sister Cheryl’、ダンサブルなリズムに乗って、ハバードは一転してコントロールを利かせたインスピレーションに富んだソロを展開、これに刺激されリズム・セクションがクールに切り込んでいく。ヘンダーソンも良いソロを取っているが、ウィリアムス達の反応が明らかに違う。ハバードのバックの時の方が覚醒している。

ラストはお馴染み、ハバードの‘Birdlike’、いつもよりややスピードを上げ、実にスリリング。ハバードの鮮やかなフィンガリングに唖然とするばかり。5人の真剣勝負は聴き応え十分、一流のプレイヤー達がその気になるともう手が付けられません。

収録時間の関係でハバードとヘンダーソンの壮絶なチェイスがフェード・アウトするのが誠に残念!ここでもバロンが大活躍。

バロン・ファンにもお勧めの一作ですね。

 

この日のハバードのtpを一言でいえば、「常識、非常識」という枠を超えた「無常識」と言う表現がピッタリ、しかもスキルの次元が違う。だから、「常識」を好むジャズ・ファンは苦手かもしれませんね。それでいいんです。

ジャズ本を何冊も読むより、この一枚(CD)を聴いた方が、よっぽど為になり、ジャズの醍醐味を満喫できます。信じる、信じない、は自由。

 

なお、放送用ステレオ・マスターをデジタル・リマスタリングしており、音質も上等です。


LEGACY OF FREDDIE HUBBARD (1) ・・・・・ GLEAM

2016-09-28 | Legacy of Freddie Hubbard

GLEAM / FREDDIE HUBBARD (CBS SONY SOPZ 100-101)

 

まず、異例の出だしから始まるライナー・ノーツ(1975年)を。

「日本においてフレディ・ハバードのここ数年の評価はきわめて低い。それに比較してアメリカでの彼の評価は非常に高い。 その証拠に1974年度、ダウン・ビート誌の人気投票ではマイルス・デイビスをしのいで、トランペット部門のナンバー・ワンに輝いている。 このあまりの評価の開きはどこにあるのだろうか。」

全文を紹介すると長くなるので、その後を要約(意訳)すると、ジャズが音楽として常に身近で日常生活に溶け込んでいるアメリカに対し、日常的とは言えず理論が優先し、しかも、学究的に聴かれる傾向が強い日本では、自ずと「価値観」にズレが生ずるとしている。 具体的には、ビートの違いを挙げ、この頃のアメリカのライフ・スタイルでは8ビート、16ビートが根付いているのに対し、日本ではまだ浸透していない(逆に軽くみられているかも)、と。

当時、ハバードの人気、実力を正当に認めている人達は多かったけれど、C・ロイドの時のように、人気が出ると「難癖」をつけ、恰も「ジャズを一番解っているのはオレ」とパフォーマンスする評論家とそれに便乗する連中が必ず出てくる。

その伏線となったのが、CTIの2、3作目、‘Straight Life’と‘First Light’ 。SJ誌でこの2作を同時レヴューした当時、辛口で鳴らしたA氏は極めて激しい口調でメッタ切りした。酷評自体、評論家として問題はないけれど、思想的反発を匂わせる内容が気になった。公平、公正に基づき、違う感性を持つレビュアーにも担当させるべきではなかったか、と思う。

それはそれとして、‘First Light’ はその年のグラミー賞に輝き、日米の「価値観」の違いが鮮明に出ている。なお、言うまでも無く、A氏の評は受賞より先に書かれている。

 

話を本題へ。

1975年3月に来日したハバードが、8日の名古屋公演を皮切りに各地を回り、17日、東京郵便貯金ホールでライブ録音されたもの(2枚組)。名古屋公演は打合せが不十分だったのか、兎に角、PAが最悪、ライティングも最低。たまたま顔を合せた知合いも首を傾げていた。

このままでは「アカン」とスケジュールを調べると、13日に京都公演があり、岡崎の「京都会館」(下のチケット)に追っかけた。さすがにPAもライティング・ワークもパーフェクト、演奏内容も最高でした。本作にも収録されている‘Kuntu’では照明を落とした中、一人だけスポット・ライトに浮かび、ロング・ソロを吹くハバードはまるで「鬼神」の如し。ホント、凄かった。

さすが、京都の文化に対する姿勢は違いますね。 

 

 

パーソネルは、

 Freddie Hubbard(tp, flh), Carl Randall, Jr.(ts, fl), George Cables(el-p), Henry Franklin(el-b), Carl Burnett (dr), Buck Clarke (cga, perc)

収録曲(2枚組)は、

Put It In The Pocket, Ebony Moonbeams, Spirits Of Trane , Kuntu, Midnight At The Oasis, Too High

 

スタイリスティックスのカヴァー‘Betcha By Golly Wow’はケイブルスだけを従え美しいトーンのflhで情緒纏綿に語り、ストレート・アヘッドな‘Spirits Of Trane’ではジャズ・トランペットの真髄とも言える「凄み」を聴かせる。

クラークのコンガをフューチャーしたアフロ・ナンバー‘Kuntu’、22分を越す気迫に満ち、他の追従を許さぬクリエイティブなパフォーマンスは圧巻! マリア・マルダーのカヴァー‘Midnight At The Oasis’、ライト・ファンクでありながら濃厚なハバードのtpブロウに痺れる。

ラストはスティーヴィー・ワンダーのカヴァー‘Too High’、噎せ返るようなファンクの香りのなかハバードとケイブルス、二人のアジテーターに身も心も踊らされる。

フレディのtpはどこまでもジャージーでスタイリッシュだ。

この‘GLEAM’は日本オリジナル制作で海外リリースはなく、長年復刻されないまま放置されていた。聞くところによると、来日ミュージシャンがこぞって買い廻り、外国の多くのフレディ・ファンからエアメイル注文が入ったそうです。 

 

 

 

この作品は、一部の評論家達からハバードに対するネガティブなイメージを植えつけられた方々には無縁で、今更、聴いてはいけない。自分の耳に失望し、眼力のなさを思い知るだけ。‘Kuntu’一発で卒倒するだろう。

ジャズを聴き始めて間もないフラットな耳を持つ方に聴いて欲しい。

数年前、やっとCDでリリースされた。

 

このライヴが日本で録音された事は誇りに思う。だが、反面、外国人、アーティスト達が高く評価しているにも拘らず、コレクターズ・アイテムになるまで蔑にした我が国のジャズ界は、嗚呼 ・・・・・・・・

 


若かりし頃、この一曲 ・・・・・ I WISHED I KNEW / FREDDIE HUBBARD

2015-08-03 | Legacy of Freddie Hubbard

 

GOIN' UP / FREDDIE HUBBARD  (BLUE NOTE  BST 84056)

FREDDIE HUBBARD (tp) HANK MOBLEY (ts) McCOY TYNER (p) 

PAUL CHANBERS (b) PHILLY JOE JONES (ds)

1960.11.6



 三条大橋が好きだった。

必ずこの橋を渡るように、下宿先を洛北からわざわざ山科のアパートに移り変えたけれど、大学には週一ほどしか出ず、その辺りをぶらぶらと。

先の事など何も考えない毎日が、自分の22才だった。

 


先日、とあるカフェでC・G(カー・グラフィック)を読んでいると、BGMで「おやっ」を思う良いジャズを流していて、そのうち、ピアノのイントロの後、tpが・・・・・・・

 

オォ、‘I WISHED I KNEW’ではないか!やるぜ!

 

コルトレーン、エバンスなどの演奏で知られるスタンダード‘I WISH I KNEW’とは全く別の曲で、ハバードの友人でts奏者、Billy Smithが作曲したもの。

 

 

帰宅して久し振りに‘GOIN' UP’を取り出した。このアルバムはハバードのBNデヴュー作に続く2作目で、「オープン・セサミ」の陰に隠れていますが、内容は勝るとも劣らず、こちらの方が好き、と言う方も少なくない。

ガイド・ブック等に頼り過ぎている耳にはなかなか辿り着かない一枚。


 

B面の2曲目に針を落とす前に、カートリッジを敢えてナローなシュアM44Gに変えた。これが大正解。マッコイの後のハバードの艶と張りのある「音色」に耳を奪われた。

思わず「確か、再発のリバティ盤のはずだが・・・・・」とラベルを確認するほど(オリジナル盤をずっと待っていますがなかなか縁遠いです)。

メロディをシンプルに吹くだけでこれほどの情感を出すとは・・・・・・・・

エンディングに掛けてのバラード・プレイは、最早「新人」の域を超越しており、オープンtpの醍醐味とはこのことだろう。



モブレィも自身屈指のバラード・プレイを展開し、セッションを通じて先輩の意地を聴かせてくれる。

これもライオンの狙いの一つ。

1週間後の‘ROLL CALL’ではpにケリー、dsにブレイキーを配し、ライオンはモブレィのプライドに応えている。




プレイ・バックを聴きながら、ライオンはウルフとR・マイルズにこう囁いた。

「場所はマンハッタンの高層ビル、タイトルはもう決まっているさ、UPを出来るだけ上積みして」

 



わずか数年前、インディアナポリスのチンピラ小僧だったハバードの22才は、正にGOIN' UP³だった。



ps

しばらく開店休業状態が続いていた拙HP 「BLUE SPIRITS」を更新しましたので、暇つぶしにどうぞ。



 


HUB-TONES / FREDDIE HUBBARDのオリジナル盤をGet!

2015-03-21 | Legacy of Freddie Hubbard

 

 

 

 

カヴァ、盤ともにほぼパーフェクトなNYラベルを入手。完オリかどうかは分かりませんが、Rマーク、耳マーク付きなので限りなくそれに近いと思います。

 

今まで所有していたのはリバティ盤なので、コンディションがパーフェクトなものをずっと待っていた。

それも諭吉一枚ちょっとで済みラッキーでした。

 

 

 

TOPのスタンダード・ナンバー‘You're My Everything’の名演で知られるBN5作目。

また、亡きリトルに捧げたエレジー‘Lament For Booker’での哀悼の意を粛々と歌い綴るプレイはそれまでにない新境地です。

 

 

 

 

 

  

ミステリアスなクールさを漂わす‘Prophet Jennings’、聴き手の耳を破壊せんとする攻撃的なタイトル曲、体内に溜まるエネルギーを一滴とも残さず爆発させる‘For Spee's Sake’、デビュー後、破竹の快進撃を続ける中、己の個性の模索&プレゼンテーションと同時に、その後、開花する「毒と華」をも垣間見せる異色にして野心作。 

 

 

暇つぶしにこちらもどうぞ

 


WITHOUT A SONG / FREDDIE HUBBARD

2009-10-21 | Legacy of Freddie Hubbard

                boston acousticsで聴いた今日の1枚

 

            Img071

 

          WITHOUT A SONG / FREDDIE HUBBARD (BLUE NOTE)    1969

 

JAZZを聴き始めて、最初にオレの脳天をぶちぬいたのはフレディー・ハバード(tp)だった。40年も前のこと。それ以来、ハバードはずっ~とオレにとってヒーローでありアイドルだった。

 

昨年末、ハバードは突如、この世を去った。享年、70歳。円熟期を迎えた1993,4年頃、トランペッターの命ともいえる唇を痛めるアクシデントに見舞われ、その後、肉体的にもいろいろなハンディを抱えながら、断続的に活動、何年か置きにニュー・アルバムも発表し、昨年夏には、70歳を祝うアニバーサリー作品をリリースし、本格的なカンバックが期待されたばかりであっただけに、その数ヶ月後の急逝は、あまりにもショックが大きかった。

 

70年代に入ってハバードは持ち前の新しい感性とチャレンジ・スピリット、そいて抜群のテクニックを駆使して、ジャズ界のスーパー・スターへの道を登り始め、ダウン・ビート誌の人気投票で、あの帝王マイルスを破り、No.1トランペッターになり、それ以後、ジャズ・トランペット界の最高峰として長年、君臨したのだ。

 

この作品は、1969年、彼が31歳の時、サド=メル・オーケストや他のメンバーとヨーロッパ公演した際の、未発表(一曲、Body & Soulを除き)テープから選抜され、つい最近リリースされたもの。

 

このアルバム音源が録音された1969年と言えば、ハバードが飛躍する直前だけに、音色、キレ、躍動感、どれをとっても、文句の付けようがないほど、素晴らしい。こんな未発表音源が今まで、手付かずであったとは、驚きですらある。

 

最近、AVENGERと出掛ける時、いつも、このハバードのtpが流れている。何度、繰り返して聴いても、ちっとも飽きない。バラードを優しく包み込むように、ジャズ・ナンバーを情熱的に、それより何よりも、そのオリジナリティ溢れるプレイが、40年後、またしてもオレの脳天をぶち抜いてくれた。

 

それにしても、boston acousticsはハバードの魅力を1音たりとも漏らさず、引き出してくれている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 


freddie hubbard / on the real side

2008-09-08 | Legacy of Freddie Hubbard

                                boston acousticsで聴いた今日の一枚

 

 

                               Bs2038

                                 freddie hubbard / on the real side       2007

 

DO YOU KNOW FREDDIE HUBBARD?

JAZZをある程度、聴きこんでいる人は‘YES’と答えられるが、最近、ここ10年ほど前から聴き始めた人の中には‘NO’と答える方がいるやもしれません。

というのも、ジャズ・トランペッターとして人気・実力共にNo.1として君臨していたハバードは、1993、4年ごろ、突如、トランペッターの命ともいえる唇を傷めるという不運に見舞われ、それ以降、断続的な活動を余儀なくされ、その復活はほぼ絶望視されていた。

アルバムのリリースも散発的で2001年、‘NEW COLORS’を最後に、半ば引退状態だったという。

このアルバムは昨年末、録音され、今年、70歳になったハバードのアニバーサリーものとして発表された。

日本では、一部のジャズ・ジャーナリスト達から、常にマイルスの陰に追いやられていたが、70歳になっても新作を吹き込めるという事実がハバードの本当の偉大さを証明しています。

唇の障害に加え、フィジカル面でもメンタル面でもボロボロの状態、まさに満身創痍の体で、全盛時には及ばないものの、ひたむきに、flhを吹くハバードに誰もが驚きと、感動を覚えるでしよう。

 

フレディ・ハバード、70歳。ジャズ・レジェンドの一人。

ハバード・ファンのみならず、多くのジャズ・ファンが元気な姿を待ち望んでいる。

がんばれ! ハバード!