一昔前、御茶ノ水のある円盤屋へ行ったところ、セールの直後と思うが壁面にポツンと一枚、NY盤で売れ残っていた。NY盤の相場としては随分、安い値段が付けられていた。マニアの間で本作は4200番台でなかなか入手困難な盤との噂を耳にするのでヒルの一般的な人気はやはり薄いのだろう。
本作はチェンバースの他、2名の打楽器奏者が入り、アフリカン・リズムを基調にニグロの悲哀を投射した野心作。
限りなくフリーに近い演奏も繰り広げられ、軟弱な耳にはハードかもしれない。だが、恐れる事など何もない。そこらのフリー小僧達とは明らかに一線を画すレベルの高さはヒルの持つアイデア豊かな音楽性からくるものだろう。また、ポリリズムをバックに非日常的な演奏世界のなかから聴こえるヒルのpはそれまでの諸作よりもより大胆で自由自在だ。4曲中、ラスト曲‘LIMBO’は最高!言葉ではとても表現できない。それとハバードの寂寥感、悲壮感を漂わせた、時にはエモーション溢れる熱演が本作を紛れも無い一級品に押し上げている。これほど作品のコンセプトを理解したプレイは他のtp奏者では真似できないだろう。
1965.10.3 録音
ヒルの作品中、ほとんど脚光を浴びない本盤であるが、「ハード・バップ」(著者はローゼンタール?)という本のなかで、珍しく取り上げられたが、ボロクソに書かれてあった。かと思えば、音楽評論家・黒田恭一氏はかって随想で本作を取り上げ、こんな風に述べられていた。
「この一年ほどアンドリュー・ヒルに夢中になっているが、世評高い”Black Fire”は好きになれない。”Compulsion”というレコードが素晴らしい。だが、誰にも聴かせない。いくら、親しい友だちだって。こういう素晴らしいジャズは穴倉で一人で聴くものだ」と。
とちらが正しいかって?どちらも間違っていないでしょう。それほど聴き手を惑わす問題作です。但し、僕は黒田氏を支持します。
アマゾンの密林の如く奥深く、ヒマラヤの如く高く険しい、それがジャズ。それを教えてくれたのが本作。
“Bluespirits”(2004.1.17)
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