裁判員という不可解な制度がある。
野次馬に喧嘩の裁きをさせているように思えてならない。
野次馬なら、たとえ通りすがりにせよ一応の関心を寄せた人間である。だが、裁判員は事件への関心とは無関係に選ばれる。
どこの誰かもわからない、ねじの抜け落ちたような、自分の意思があるのかないのかわからないような人間のしでかしたことについて、知りたくもないようなことを聞かされ見せられ、裁きの座に加わらなければならない。
なぜそういうことが考えられ、どう思うかなどと聞かれる間もなく決められてしまったのか。
この制度の本質は何なのか。
裁判という専門的業務に文句を言わせる場を設けたつもりなのか。
まだある。検察審査員である。罪の疑いをかけられた人間を起訴するかどうか、これも専門的業務に民意を反映させるためという。
ここでも文句を言わせる場を設けたつもりとしか見えない。
任期が6か月で11人、半数が3か月ごとに入れ替わる。6か月でどんなものか少しわかりかけてきた頃にはおしまいになる。これで民意反映。
もう一つ。指定弁護士。弁護士が検察官の役をするという。
もうわけがわからない。
わけのわからないことがどんどん決められる。一方で、誰でもがこうしたらよさそうだとわかりそうなことは、さっぱり話が進まない。
人間は、なぜこんなふうに世の中をわかりにくくしたがるのだろうか。