環境という言葉は、最近幅が利かなくなった。
環境を唱えていた人類の仲間が、地球環境をぶち壊していることに気づいたからか。
人間は、自分の一皮外側だけの環境が自分に適していれば、それで気が済んでいる。
レストランで子供をぎゃあぎゃあ泣かせっ放しで友達との話に夢中になる。
街の雑音がうるさければ、電話ボックスに飛び込んで、その中でケータイを使う。
電車に乗ると、座席に座っている人の8割がケータイを開いて目の前にかざしている。
ここ20年何かの都合で電車に乗らなかった人が、あの風景に出遭えば、何事が始まったかと驚くだろう。
その椿事にも、たった一つよいことがある。
耳に押し込んだレシーバーから、チャンチャカチャンチャカと雑音を発信する人が、ケータイを見つめるようになったおかげで、グンと少なくなったことである。