一斉謝罪の波紋が広がると、何を謝っているのか、はっきり見えなくなります。
ほとんど罪の意識不在の謝罪会見ですから、見えないことに不思議はないのです。
「何を」が見えなければ、「なぜ」を考えることになります。「なぜ」は動機です。
犯罪に動機があるように、謝罪にも動機があるでしょう。
あの種の謝罪の動機には、犯してしまったことを悔いる気持はなさそうです。
想像できるのは、これから先、いつまでも同じことを繰り返さないように歯止めを掛けたいという、計算に基づく動機です。
謝罪の文言には、「再び起きないよう」という定形句が必ず用いられます。そこにはこの動機がにじみ出ています。また並んで頭を下げることがないようにという祈りの気持です。
祈りの相手はどなたなのでしょう。
閻魔様ではないかと思います。
閻魔様も忙しくなると、霞ヶ関に新しい省庁が必要になるかもしれません。
「閻魔庁」 さて長官はどういう方がよさそうでしょうか。