・・・・でしょうかという言い回しがはやり出したのは、金子みすゞのあの詩が、TVで何度も出てきてからのように思います。
いや、お前がそう思っていてもそうではなく、これこれこういうときからだと言いたい人は、必ず出てくるでしょう。
XXXXという言葉は、江戸時代にありましたか、鎌倉時代にはどうですかなどという、頓珍漢な質問をFAQでときどき見かけます。
ときの経ち方がぐんぐん早くなるように感じるのは、同じときの刻みの中で、ものごとを伝えられる数が、幾何級数的に増えているからでしょう。
その変化を、直線的にしか感じとらない人が多ければ、いまの言葉が何百年も前にあったかどうかという珍問のタネが芽を出すのも、自然の成り行きかもしれません。
気候の変化も、言葉の変化とからんで、奇妙な予報として伝えられることがあります。
「山に雪が降ります。山では十分ご注意ください」というのもその一例です。
そんな生ぬるいことを言わずに、「雪山は危険です、不用意な登山は避けてください」ぐらいのことは言ったほうがよいと思うのですが、・・・・でしょうかがビジネスの常用語のようになっていると、危険の予告さえ、とかく遠慮がちに、それが親切な言い方とばかりに、あなたのお考えに従って受け取ってくださいという、歯切れもメリハリもない発信様式が定着してしまいます。
そこには、ときと場合もどこへやら、撥ね返りだけが飛んでこなければよいというコミュニケーション・マインドが、切れ目をうずめるように溶け込んでいきます。
それでは、あって当たりまえのこだまも、返ってこなくなるのではありませんか。