いったい何を言い出すのか、標題を見ればそうお思いでしょう。
コンプレックスという言葉は、人の心の弱さや、いじけ病の症状のように使われる機会が多いので、悪もの扱いされ勝ちです。
もともと善悪のどちらでもないことを、どちらかに引き寄せれば、意味がわかりやすくなるだろうという、無意識の収斂解釈法には、ときどき出合います。
コンプレックスとは、一緒に折りたたむという意味をもっていて、複合状態、あるいは複合体のことだったのです。
それを、心理学の大先生方が学説にこの言葉を使ったので、弱い心の代名詞になってしまったようです。
しっかりした強い心には縁の薄い、弱者の味方のような心理学で使われれば、弱さのほうに解釈が偏っていくのは自然の成り行きでしょう。
何でも単純化単一化に肩を入れ過ぎた私たちは、自分で考え、それを表現するという人類最大の能力の前半部分、つまり考えることを避けるようになってしまいました。
ありのままにがなぜよいのかとは無関係に、あの歌が好まれるのもその顕れなのでしょう。
考えるという頭の働きは、複合の作業を余儀なくされます。
あらゆるものごとを、表皮の部分だけでも簡単に知ることができるようになったいま、複合体の創生に向けた自然な頭のはたらき、心の動き、これをコンプレックス・マインドと呼んで、若ボケ防止、若バカ退治のキャッチフレーズにすることを提唱したいと思っています。
いかがでしょうか。
コンプレックス・マインドとは、聞く前にまず考える気になろう、ということです。
そして、教えてもらわなければ知らなくてよいのではない、ということです。