話の断片をとらえて、ああ言った、こう言ったと、端きれだけを問題にするのは、報道、情報、言論のどれにも値しません。
言葉として生きているのは、口から出たそのときだけで、いったん跳ね返ったときには、もうこだまになっています。
言葉を問題に取り上げるには、生きているうちでなければ意味がありません。
言葉の生きかたは、後から書きしるされた文字が全く同じでも、それを発した人の置かれている環境がどうであったか、前後の言葉とのつながりがどうであったか、そこでそのときに何が伝えられたかったのか、それによってみな異なります。
だれにどう聞こえようと、切れぎれになったこだまに責任はないのです。