"期待"ということは、不可思議な概念です。
「XXXに期待している」とわざわざ言われたときにはさほどでもないのに、口に出されなかったときには結果が思わしくなければ「裏切られた」感が湧いて出ます。
裁判沙汰になった事柄の司法の判断に、だれしもが正義に則った結果が出ると思っていれば、そのことを期待するなどとはだれも言いません。
しかし、物証が全くなく、被疑者は否認、得られているのはあまり確かそうでない証言のみという場合に、有罪判決が出て被疑者が公職を追われるようなことがあれば、正義への期待は危険なものになります。
もし、こういうことが例外でなくなってしまうようであれば、それこそ文化の崩壊です。
正義への期待は迂闊な考えであって、おすすめできませんと言われたら、皆さんはどうお思いでしょうか。