南無煩悩大菩薩

今日是好日也

体験の共感。

2010-02-01 | つれづれの風景。

人はものごとを行って初めて学ぶ。
なぜならば知っていると思っていても、試してみるまでは確信を持つことはないからである。-ソフォクレス(紀元前400年頃)-


子供が表面張力に確信を持つのは、お風呂につかりながらの放屁が、大気と渾然一体となるその瞬間をわが身のこととして嗅覚とともに体験しているからである。

しかしそれがすべてだという確信はない。


ただ、人はものごとを行って初めて学ぶ。つまり、人はものごとを試してみるまでは無知の域を出ない、そのことは2千数百年前から変わっていないようだ。

コメント
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