高麗(こま)川物語 その1
彼岸花(曼珠沙華:マンジュシャゲ)は不思議な花です。9月中旬から10月初旬にやたら目立つ真っ赤な花を咲かせます。 その咲き方、咲く場所、花の色が唐突なのです。普通だったら、草か木があって、やがて花が咲くのですが、突然、場所をかまわずぽんと茎が伸びてぽんと花が咲いて、いつのまにか消える。それが真っ赤だから目立つ。彼岸のころに咲いて、野原の真ん中であろうが、川原だろうが、ポツンと咲くものだから、その場所がなにか意味があるのではないか、例えばその下に死体があるのではないかと疑ってしまう。本当に死体と必ずしも無縁でないらしい。その全体に毒があるので、畑を荒らす動物を防ぐため、また墓場を荒らす動物を防ぐために人為的に植えられたらしい。野原や森の真ん中にあまり周囲と無関係にポツンと彼岸花がある場合は、そこはもと人里か墓場であったと考えられるのです。
この時期には、めだった花がないので、花の写真を撮ろうと思うと彼岸花ということになります。以前飛鳥の棚田の彼岸花を撮りに行ったことがあります。 東京ではどこが名所かなと調べたら高麗川の巾着田が有名らしい。てっきり、コウライガワと読むのかと思いきやコマガワであった。京都で渡来人の足跡を追いかける旅が途絶えるかと思いきや、この彼岸花のおかげで、関東で再び渡来人の足跡にぶつかったのです。
<現在の埼玉県日高市の一部および飯能市の一部にあたる高麗郷および上総郷は716年武蔵国高麗郡が設置された地である。中世以降、郡域が拡大し、日高市・鶴ヶ島市のそれぞれ全域と、飯能市・川越市・入間市・狭山市のそれぞれ一部が高麗郡の範囲となった。668年に唐・新羅に滅ぼされ亡命して日本に居住していた高句麗からの帰化人を朝廷はこの地に移住させた。703年には高麗若光が朝廷から王姓が下賜されたという話が伝わっている。高麗若光が「玄武若光」と同一人物ならば、高句麗王族の一人として王姓を認められたということになる。この高麗若光も朝廷の命により高麗郡の設置にあたって他の高句麗人とともに高麗郡の地に移ってきたものと推定されている>
がぜん、高麗川に行きたくなりました。彼岸花の季節をまって、やっと天気のいい日、曼珠沙華祭りの最終日、10月9日に興味しんしんで高麗川に出かけたのです。
歴史の話はまた後でぼちぼちするとして、彼岸花の撮影の話にしましょう。 大勢のカメラファンが集まってきていました。 当方は、ペンタックスK5にツアイス100mmマクロ、ペンタックスK20Dにツアイス ディスタゴン18mmを付けた、いつものスタイルで出かけました。ペンタックス15mm limited, 28mmSMC, 77mm limitedの三本をしのばせました。きっと三脚は禁止だろうと持っていかなかったのですが、これは失敗。みんな三脚を使った、いかにもマニア風のカメラマンがぞろぞろでした。
池袋から西武池袋線で終点の飯能、そこで西武秩父線に乗り換えて2駅、高麗で降ります。1時間弱です。
ペンタックスK20D, ツアイス ディスタゴン18mm
高麗駅におりたつと、不思議な柱が立っています。この説明は後でしましょう。
ペンタックスK20D, ツアイス ディスタゴン18mm
巾着田への道々、このあたりで採れた野菜だの花だの民芸品だのを売っている出店が続いて、とても素朴な楽しい道です。店のおじさんが、このあたりは高句麗渡来人が住んでいたのだと、お客さんに説明していました。 ここにきている人は渡来人にどれほど興味があるのでしょうか? こういう渡来人の足跡の地域は、そのことを大々的に宣伝することはなく、その足跡を探すのに苦労することが多いのです。 訪ねる人も特に渡来人を気にすることもなく、微妙なバランスのなかで時が過ぎてゆくのです。琵琶湖の百済寺もクダラデラとはいわすにヒャクサイジと呼ばれています。この微妙なバランスの話はまた後ほどしましょう。 でも巾着田から2km離れた、バスの便もない往復4kmの道を歩いて高麗神社を訪ねる若者も少なくない。この地を治めた高麗渡来人、高麗若光を祭った神社です。
ペンタックスK20D, ツアイス ディスタゴン18mm
天保時代に続いた、干ばつや大洪水を鎮めるために建てた水天の碑とあります。このころは材木を江戸にはこぶ高麗川の筏流しで、このあたりは活気があったのでしょう。彼岸花がちょっと見えてきました。
ペンタックスK20D, ツアイス ディスタゴン18mm
まずは腹ごしらえ、このあたりの隠れた名店といわれている、カレー屋さん、むささび亭に立ち寄ります。人気店ですから少々待たされます。これはイギリスのバスを改造したお店です。
ペンタックスK20D, ツアイス ディスタゴン18mm
バスの中ですから、十数人はいるといっぱいです。内装もセンスのいいものがいっぱい置いてあります。これは売っている絵ハガキですが、自然の写真を使ったもので、シェフがご自分で撮ったものかもしれません。当方の撮り方と同じようなマクロ系、模様系の写真でとてもすてきです。
ペンタックスK20D, ツアイス ディスタゴン18mm
外でも食べられます。こちらも満員。
ペンタックスK20D, ツアイス ディスタゴン18mm
ナンセットが食べたかったのですが売り切れで、チキンカレーとなりました。メニューは2つだけ。チャイとかコーヒーとかがセットになります。カレーもチャイも結構でした。是非お訪ねください。
ペンタックスK20D, ツアイス ディスタゴン18mm
お昼時は待っている方がいっぱいです。
ペンタックスK20D, ツアイス ディスタゴン18mm
高麗川に着きました。 遠くに彼岸花が見えてきました。 ちょっとワクワクしますね。
ペンタックスK20D, ツアイス ディスタゴン18mm
ペンタックスK20D, ツアイス ディスタゴン18mm
巾着田に入ります。高麗川が曲がって流れているので巾着のような田んぼがあり、その周辺、川のほとりに彼岸花が密生していて、田んぼにはコスモスが植えられています。
ペンタックスK20D, ツアイス ディスタゴン18mm
コスモス畑も見ごろをちょっとすぎた感じですが、とても人気をあつめています。 そうなのですよ。彼岸花というのはいくら一所懸命撮影しても、経験上、たいして喜ばれない。パネルに引き伸ばしても、見入る人は多くありません。 ホットしない花なのです。対照的にコスモスは皆さんを幸せにしてくれます。
ペンタックスK20D, ツアイス ディスタゴン18mm
高麗川も人気で、夏は泳ぐ人もいるという、みんなの遊び場です。
ペンタックスK5, ツアイス 100mm マクロ
どう撮ったら、数多のカメラマンと違った絵がとれるか、色々やってみましたが、そのうち、どうやっても無理でしょう、やりようないっすよ。変わった絵を撮ったってクサイ写真が出来るだけ。ただただ、素直に撮影することにしました。
ペンタックスK20D, ツアイス ディスタゴン18mm
ペンタックスK5, ツアイス 100mm マクロ
川沿いに曼珠沙華公園(入園料200円)があって、ここは彼岸花の密集地帯です。 今日は曼珠沙華祭りの最終日ということで、花の半分は見ごろを過ぎていましたが、半分は見事に咲いています。土地の方が丹精込めて植えていったそうです。
彼岸花(曼珠沙華:マンジュシャゲ)は不思議な花です。9月中旬から10月初旬にやたら目立つ真っ赤な花を咲かせます。 その咲き方、咲く場所、花の色が唐突なのです。普通だったら、草か木があって、やがて花が咲くのですが、突然、場所をかまわずぽんと茎が伸びてぽんと花が咲いて、いつのまにか消える。それが真っ赤だから目立つ。彼岸のころに咲いて、野原の真ん中であろうが、川原だろうが、ポツンと咲くものだから、その場所がなにか意味があるのではないか、例えばその下に死体があるのではないかと疑ってしまう。本当に死体と必ずしも無縁でないらしい。その全体に毒があるので、畑を荒らす動物を防ぐため、また墓場を荒らす動物を防ぐために人為的に植えられたらしい。野原や森の真ん中にあまり周囲と無関係にポツンと彼岸花がある場合は、そこはもと人里か墓場であったと考えられるのです。
この時期には、めだった花がないので、花の写真を撮ろうと思うと彼岸花ということになります。以前飛鳥の棚田の彼岸花を撮りに行ったことがあります。 東京ではどこが名所かなと調べたら高麗川の巾着田が有名らしい。てっきり、コウライガワと読むのかと思いきやコマガワであった。京都で渡来人の足跡を追いかける旅が途絶えるかと思いきや、この彼岸花のおかげで、関東で再び渡来人の足跡にぶつかったのです。
<現在の埼玉県日高市の一部および飯能市の一部にあたる高麗郷および上総郷は716年武蔵国高麗郡が設置された地である。中世以降、郡域が拡大し、日高市・鶴ヶ島市のそれぞれ全域と、飯能市・川越市・入間市・狭山市のそれぞれ一部が高麗郡の範囲となった。668年に唐・新羅に滅ぼされ亡命して日本に居住していた高句麗からの帰化人を朝廷はこの地に移住させた。703年には高麗若光が朝廷から王姓が下賜されたという話が伝わっている。高麗若光が「玄武若光」と同一人物ならば、高句麗王族の一人として王姓を認められたということになる。この高麗若光も朝廷の命により高麗郡の設置にあたって他の高句麗人とともに高麗郡の地に移ってきたものと推定されている>
がぜん、高麗川に行きたくなりました。彼岸花の季節をまって、やっと天気のいい日、曼珠沙華祭りの最終日、10月9日に興味しんしんで高麗川に出かけたのです。
歴史の話はまた後でぼちぼちするとして、彼岸花の撮影の話にしましょう。 大勢のカメラファンが集まってきていました。 当方は、ペンタックスK5にツアイス100mmマクロ、ペンタックスK20Dにツアイス ディスタゴン18mmを付けた、いつものスタイルで出かけました。ペンタックス15mm limited, 28mmSMC, 77mm limitedの三本をしのばせました。きっと三脚は禁止だろうと持っていかなかったのですが、これは失敗。みんな三脚を使った、いかにもマニア風のカメラマンがぞろぞろでした。
池袋から西武池袋線で終点の飯能、そこで西武秩父線に乗り換えて2駅、高麗で降ります。1時間弱です。
ペンタックスK20D, ツアイス ディスタゴン18mm
高麗駅におりたつと、不思議な柱が立っています。この説明は後でしましょう。
ペンタックスK20D, ツアイス ディスタゴン18mm
巾着田への道々、このあたりで採れた野菜だの花だの民芸品だのを売っている出店が続いて、とても素朴な楽しい道です。店のおじさんが、このあたりは高句麗渡来人が住んでいたのだと、お客さんに説明していました。 ここにきている人は渡来人にどれほど興味があるのでしょうか? こういう渡来人の足跡の地域は、そのことを大々的に宣伝することはなく、その足跡を探すのに苦労することが多いのです。 訪ねる人も特に渡来人を気にすることもなく、微妙なバランスのなかで時が過ぎてゆくのです。琵琶湖の百済寺もクダラデラとはいわすにヒャクサイジと呼ばれています。この微妙なバランスの話はまた後ほどしましょう。 でも巾着田から2km離れた、バスの便もない往復4kmの道を歩いて高麗神社を訪ねる若者も少なくない。この地を治めた高麗渡来人、高麗若光を祭った神社です。
ペンタックスK20D, ツアイス ディスタゴン18mm
天保時代に続いた、干ばつや大洪水を鎮めるために建てた水天の碑とあります。このころは材木を江戸にはこぶ高麗川の筏流しで、このあたりは活気があったのでしょう。彼岸花がちょっと見えてきました。
ペンタックスK20D, ツアイス ディスタゴン18mm
まずは腹ごしらえ、このあたりの隠れた名店といわれている、カレー屋さん、むささび亭に立ち寄ります。人気店ですから少々待たされます。これはイギリスのバスを改造したお店です。
ペンタックスK20D, ツアイス ディスタゴン18mm
バスの中ですから、十数人はいるといっぱいです。内装もセンスのいいものがいっぱい置いてあります。これは売っている絵ハガキですが、自然の写真を使ったもので、シェフがご自分で撮ったものかもしれません。当方の撮り方と同じようなマクロ系、模様系の写真でとてもすてきです。
ペンタックスK20D, ツアイス ディスタゴン18mm
外でも食べられます。こちらも満員。
ペンタックスK20D, ツアイス ディスタゴン18mm
ナンセットが食べたかったのですが売り切れで、チキンカレーとなりました。メニューは2つだけ。チャイとかコーヒーとかがセットになります。カレーもチャイも結構でした。是非お訪ねください。
ペンタックスK20D, ツアイス ディスタゴン18mm
お昼時は待っている方がいっぱいです。
ペンタックスK20D, ツアイス ディスタゴン18mm
高麗川に着きました。 遠くに彼岸花が見えてきました。 ちょっとワクワクしますね。
ペンタックスK20D, ツアイス ディスタゴン18mm
ペンタックスK20D, ツアイス ディスタゴン18mm
巾着田に入ります。高麗川が曲がって流れているので巾着のような田んぼがあり、その周辺、川のほとりに彼岸花が密生していて、田んぼにはコスモスが植えられています。
ペンタックスK20D, ツアイス ディスタゴン18mm
コスモス畑も見ごろをちょっとすぎた感じですが、とても人気をあつめています。 そうなのですよ。彼岸花というのはいくら一所懸命撮影しても、経験上、たいして喜ばれない。パネルに引き伸ばしても、見入る人は多くありません。 ホットしない花なのです。対照的にコスモスは皆さんを幸せにしてくれます。
ペンタックスK20D, ツアイス ディスタゴン18mm
高麗川も人気で、夏は泳ぐ人もいるという、みんなの遊び場です。
ペンタックスK5, ツアイス 100mm マクロ
どう撮ったら、数多のカメラマンと違った絵がとれるか、色々やってみましたが、そのうち、どうやっても無理でしょう、やりようないっすよ。変わった絵を撮ったってクサイ写真が出来るだけ。ただただ、素直に撮影することにしました。
ペンタックスK20D, ツアイス ディスタゴン18mm
ペンタックスK5, ツアイス 100mm マクロ
川沿いに曼珠沙華公園(入園料200円)があって、ここは彼岸花の密集地帯です。 今日は曼珠沙華祭りの最終日ということで、花の半分は見ごろを過ぎていましたが、半分は見事に咲いています。土地の方が丹精込めて植えていったそうです。