自然教育園日記 その46
2015-10-15
久しぶりに自然教育園日記を書きます。最近はSony α7RII一台を持っての撮影になっています。今日はレンズもSony FE90mm macro一本だけ。自然教育園で開催中の写真展を見て、今回の当方の写真はどれもインパクトが無いなと、いやになります。花の写真に関しては、一生懸命撮ったなかで選んで、自分では今のところこれ以上は撮れないと思っているので、だれも足を止めてくれなくてもこれでいいのですが、紅葉の写真は、行き当たりばったり、意図するところが希薄で心残りです。
花に虫や蝶を入れればずっとインパクトが出るのでしょうが、頑固に入れません。今回、例外的に花と蝶の写真を一枚出していますが、これは蝶は風景の一部で、虫撮りの写真ではありません。例外です。
あくまで構図でインパクトを出せるようにならなくては。虫や鳥が入った写真を出そうとしても、何か恥ずかしくて出せません。何で恥ずかしいのかというと、何か自分の方向でないから、偽物なのです。 当方は虫や鳥を知らないのです。深く知ろうと思わないから知らないのですが、知らないことを、知ったような顔をして自然教育園の写真展に出すなんて、とんでもなく恥ずかしいのです。
ブログには虫でも鳥でも出します。撮っては載せしているうちに、何か納得するアイデアが出てくるのじゃないかと思うからです。
だけど、Sony α7Rの時はこんなリアルな虫が撮れたかな? なにしろ、Sony α7RII + Sony FE90mm macroの組み合わせはディテールを撮るには驚異的ですよ。
ゲンノショウコの花は結構長持ちしますね。ゲンノショウコの花は前回の写真展に出してますが、当方はこの花を結構気に入っているのです。
これは、たまたま虫が止っていたので撮ったのですが、よく見ると、ぼろぼろで、最後の力を振り絞って、しがみついている、悲しい写真でした。写真としてはインパクトあるかもしれません。しかし、こういう写真も展覧会に出したくありません。意味ありげな写真も当方の狙っていることではないのです。
小さな花の曼荼羅模様写真を撮りたいのですが、今の所まったく上手くゆきません。きっとまだいい加減に撮っているからに違いありません。
これは相当な遠距離写真を拡大しているケースです。
葉っぱをとって、拡大してみたら、葉脈がビッチリ見えるではないですか。こんな写真は以前の機材では撮れなかったですよ。
タイワンホトトギス
平凡な写真しか撮れません。どうやったら虫や鳥をいれないで、インパクトのある写真がとれるのだろうかと、ブツブツいいながら、教育園をぐるぐる回っています。いつも同じ視点でしか見てないじゃないか、虫が付いていれば撮る、2種の花を一画面に入れてアクセントにしようとする、一種類の花の列があると撮る、そればかりじゃないですか。気をいれて撮る時ですら、レンズを替えたり、光を変えたりしているだけじゃないか、なにかバカだよね、脳無しだよ。
枯れたアザミも面白いのだが、陳腐な話だ。
また虫を撮ってしまった。
借り物の方向だから、このような写真は中途半端で、恥ずかしくてとても出せない。
このへんからブチ切れた。おれの脳みそは写真クラブにおかされている。クラブの流れに流されて、当方は何をしようとしているかを忘れている。展示会用の写真を撮ろうと考えてはイカンのだ。それはあくまでバイプロダクトで、自然の中から色と形を見つけ出さなければいけないのだ。同じところをグルグル歩いているのだが、だいぶ見えてくるものが違ってきた。
今日はここで時間切れ。
こういう写真ばかり出していると、誰も、ブログを見てくれなくなるのが辛いところ。 プロは枯れた花の写真でも人を惹きつけることができるのだから、この方向でも、魅力的にするなにか手はあるはず。あくまで、自分の方向で、進まなければ、納得できるものは生まれない。
2015-10-15
久しぶりに自然教育園日記を書きます。最近はSony α7RII一台を持っての撮影になっています。今日はレンズもSony FE90mm macro一本だけ。自然教育園で開催中の写真展を見て、今回の当方の写真はどれもインパクトが無いなと、いやになります。花の写真に関しては、一生懸命撮ったなかで選んで、自分では今のところこれ以上は撮れないと思っているので、だれも足を止めてくれなくてもこれでいいのですが、紅葉の写真は、行き当たりばったり、意図するところが希薄で心残りです。
花に虫や蝶を入れればずっとインパクトが出るのでしょうが、頑固に入れません。今回、例外的に花と蝶の写真を一枚出していますが、これは蝶は風景の一部で、虫撮りの写真ではありません。例外です。
あくまで構図でインパクトを出せるようにならなくては。虫や鳥が入った写真を出そうとしても、何か恥ずかしくて出せません。何で恥ずかしいのかというと、何か自分の方向でないから、偽物なのです。 当方は虫や鳥を知らないのです。深く知ろうと思わないから知らないのですが、知らないことを、知ったような顔をして自然教育園の写真展に出すなんて、とんでもなく恥ずかしいのです。
ブログには虫でも鳥でも出します。撮っては載せしているうちに、何か納得するアイデアが出てくるのじゃないかと思うからです。
だけど、Sony α7Rの時はこんなリアルな虫が撮れたかな? なにしろ、Sony α7RII + Sony FE90mm macroの組み合わせはディテールを撮るには驚異的ですよ。
ゲンノショウコの花は結構長持ちしますね。ゲンノショウコの花は前回の写真展に出してますが、当方はこの花を結構気に入っているのです。
これは、たまたま虫が止っていたので撮ったのですが、よく見ると、ぼろぼろで、最後の力を振り絞って、しがみついている、悲しい写真でした。写真としてはインパクトあるかもしれません。しかし、こういう写真も展覧会に出したくありません。意味ありげな写真も当方の狙っていることではないのです。
小さな花の曼荼羅模様写真を撮りたいのですが、今の所まったく上手くゆきません。きっとまだいい加減に撮っているからに違いありません。
これは相当な遠距離写真を拡大しているケースです。
葉っぱをとって、拡大してみたら、葉脈がビッチリ見えるではないですか。こんな写真は以前の機材では撮れなかったですよ。
タイワンホトトギス
平凡な写真しか撮れません。どうやったら虫や鳥をいれないで、インパクトのある写真がとれるのだろうかと、ブツブツいいながら、教育園をぐるぐる回っています。いつも同じ視点でしか見てないじゃないか、虫が付いていれば撮る、2種の花を一画面に入れてアクセントにしようとする、一種類の花の列があると撮る、そればかりじゃないですか。気をいれて撮る時ですら、レンズを替えたり、光を変えたりしているだけじゃないか、なにかバカだよね、脳無しだよ。
枯れたアザミも面白いのだが、陳腐な話だ。
また虫を撮ってしまった。
借り物の方向だから、このような写真は中途半端で、恥ずかしくてとても出せない。
このへんからブチ切れた。おれの脳みそは写真クラブにおかされている。クラブの流れに流されて、当方は何をしようとしているかを忘れている。展示会用の写真を撮ろうと考えてはイカンのだ。それはあくまでバイプロダクトで、自然の中から色と形を見つけ出さなければいけないのだ。同じところをグルグル歩いているのだが、だいぶ見えてくるものが違ってきた。
今日はここで時間切れ。
こういう写真ばかり出していると、誰も、ブログを見てくれなくなるのが辛いところ。 プロは枯れた花の写真でも人を惹きつけることができるのだから、この方向でも、魅力的にするなにか手はあるはず。あくまで、自分の方向で、進まなければ、納得できるものは生まれない。