CP+2019 Fujifilm GFX 645中判の撮り方、
Sonyα7RIIIの撮り方
3月3日、CP+2019に行く。特に見たい新製品もないのですが、まあ何か拾うかもしれないと、最終日に出かけました。入り口を入って左奥がSonyさん、右奥がFujifilmさん2社のトークショウを行ったり来たり。端から端ですから大変。他はZeissとLaowaにちょっと寄っただけ。すみませんNikonさん, Canonさんは完全に素通りです。
FujifilmさんのトークショウとSony さんのトークショウを比較すると、いずれも有名フォトグラファーは<私の作品こそ一番だ>という自負に支えられてプレゼンすることは同じですが、Sonyさんの場合は使っている機材への理解、愛情、信頼がにじみ出るのを感じられるのにたいして、Fujifilmさんの場合はそれが薄い、自分の撮り方への思い入れだけが印象の全体を覆う。
それはSonyα7RIIIが信頼できる機材であり、プレゼンターはそれを使いこなしており、こなれているからと思う。Fujifilm GFX 645中判の場合はプレゼンターの殆どが、Fujifilm GFX 645に慣れ親しんでおらず、使いこなしていない。こなれていない。
Sonyα7RIIIが機動性と撮影能力のマッチングがよく、ようするに使い勝手が良い。
これに対して、Fujifilm GFX 645は機動力のデメリットと撮影能力のメリットが拮抗し、マッチングが悪い。
それでもFujifilm GFX 645の撮影能力が高いなら、機動力のデメリットがいくらあろうが、それを使いたい。Fujifilm GFX 645の能力をどうやって表現するか、これが最大の課題なのだ。ちょこっとFujifilm GFX 645を借りて撮影しているプレゼンターに任せてはおけない。有名プロといえどもである。Fujifilm GFX 645は難しいのだ。
Fujifilm
浅岡省一 GFXとXで織りなすポートレートリアイズムの極至
浅岡省一さん、最初は変な奴と思いましたが、大変才能のある方でした。
当方がFujifilmのショールームでさんざんCP+トークショウの人選がおかしいと文句を言った効果があったのかもしれません。フイルム時代の古い付き合いで、フイルム写真の大御所を使って、デジタルカメラに関してしゃべらせるな、 撮り方が旧体然としていて参考にならん!
この浅岡氏のような若くて変な奴にしゃべらせるほうがずっと参考になる。大変参考になった理由は、この方がFujifilm FGX50Sをずっと使って、その良さをよく知っていると思われるからです。Fujifilmのトークの中で、この方が唯一、Fujifilm FGX50Sに愛情を持っていると感じられたのです。
手持ちランプと各所からのライティングをつかって女性を幻想的に撮る。海や水面が入ることがおおいのがいい。インスタ映え的な点は今風ともいえる。人工的手段で、リアルをよりリアルにするというコンセプトは面白い。
浅岡氏いわく<GFXは本物よりリアルに写す>、というのは当方のGFXの印象、<本物より生っぽい>と同調した。
舞山 秀一 1ショットへの"想い"と向き合うGFX 50Rで写す中判スナップ
福岡県生まれ。九州産業大学芸術学部写真学科卒業。半沢克夫氏に師事。1986年、フリーに。広告、ファッション、雑誌などで活躍。多岐にわたる雑誌で表紙を担当し、広告でも数多くの女優を撮影、
GFX 50Rは発売されたばかりですからしょうがないのですが、結局、プロカメラマンの常、<自分が一番と思っていて、自分のことしか考えていない>がもろに全面に出て、GFX50Rがいいか悪いかは、俺の絵みればわかるだろうということらしい。
GFX 100 MEGAPIXLES
この難しいGFXにおけるGFX-Rの意味とGFX100の意味はなんだろう? 当方の考えでは、GFX50SをGFX50R、GFX100と左右に振ってみても、645中判のメリットをどう出すかという根本課題は同じ。誰がどのようにこの課題を突き抜けるか? これからこの3台が並んで、新しい驚きを巻き起こすことを期待します。
Sony
Sonyのトークショウの方が、Fujifilmより企画が上手だと思うのです(別に当方自信が気に入ったというわけでは無いのですが)。 聞き手に自分もSonyのカメラを使ってみたいと思わせるプレゼンになっているのです。
Sonyα7RIIIやSony GMレンズが本当に良くて、使い込んでるから、<自分が一番と思っていて、自分のことしか考えていない>人でも、機材に対する愛情や感謝がトークににじみ出てくる。
井上浩輝 & KYON.J 「αがおしえてくれた、人生のもうひとつの楽しみ方」
キタキツネで有名な井上さん、下はKYON.Jさん。中国の絵をきっかけに、現在は世界中を飛び回って、自然を撮っている女流カメラマン。
ノールウェイのフィヨルド
佐藤健寿 α7RIIIと巡る真冬の中央アジア・奇界遺産の旅
極寒の中央アジアに奇界をさがす。 ウズベキスタンの風景に続く、カザフスタンとウズベキスタンにまたがる消えた塩湖「アラル海」、トルクメニスタンで40年間燃える「地獄の門」
桃井一至 ミラーレス専用設計「G Masterレンズの実力」
ソニー自慢のGMレンズ、85mmは勿論、24mmと最近発売された135mmを紹介。
魚住誠一 Dr.ひなんちゅ 「FE85mm F1.4GM」なぜこのレンズがポートレートに必要なのか
ひなんちゅ目当てと思われるお客さんで満員。こちらも
85mmを中心として、24mm、135mm、GMレンズを絶賛。このトークは撮影禁止なのでご紹介はできません。
最後にZeissブース。
大村祐里子 カールツァイスレンズとポートレートと私
OtusとBatisを対象にカールツアイスレンズに対する熱き思いを語る。Zeissをビビッド、スリリングと表現した当方と同じように、Otus、Batisの繊細な表現に惚れていることを率直に表現していました。
Sony GMレンズのプレゼンにおける、ボケの中のまつ毛の驚くべき解像というような、優等生的表現に、なにかつまらなさを感じる。最近のSonyはまるで、ニコンに入れ替わった優等生のようであり、優等生きらいの当方にはSonyばなれの動きが止まらないかもしれない。当方はGFXの課題を突破するのは、Zeissが645中判用にレンズを開発することにあると密かに思っています。
リアルと人工のミックスによりリアルを越える
次の日、さっそく浅岡省一氏の真似を、自然教育園の花を相手に、光とちょっとした舞台装置をもちいて、リアルと人工のミックスによるリアルを越えることをねらってみました。機材はFujifilm
GFX50S+ Pentax 645 120mm macro。
自然+LEDランプ
人工的舞台装置
方法は秘密ですが、人工的舞台装置を仕掛けてみました。
自然+LEDランプ
人工的舞台装置
人工的舞台装置
自然+LEDランプ
人工的舞台装置
<リアルと人工のミックスによるリアルを越える>これはそう簡単にはいかないことがわかりました。ずっと考え込んでいますが、いまだアイデア浮かばす。
Sonyα7RIIIの撮り方
3月3日、CP+2019に行く。特に見たい新製品もないのですが、まあ何か拾うかもしれないと、最終日に出かけました。入り口を入って左奥がSonyさん、右奥がFujifilmさん2社のトークショウを行ったり来たり。端から端ですから大変。他はZeissとLaowaにちょっと寄っただけ。すみませんNikonさん, Canonさんは完全に素通りです。
FujifilmさんのトークショウとSony さんのトークショウを比較すると、いずれも有名フォトグラファーは<私の作品こそ一番だ>という自負に支えられてプレゼンすることは同じですが、Sonyさんの場合は使っている機材への理解、愛情、信頼がにじみ出るのを感じられるのにたいして、Fujifilmさんの場合はそれが薄い、自分の撮り方への思い入れだけが印象の全体を覆う。
それはSonyα7RIIIが信頼できる機材であり、プレゼンターはそれを使いこなしており、こなれているからと思う。Fujifilm GFX 645中判の場合はプレゼンターの殆どが、Fujifilm GFX 645に慣れ親しんでおらず、使いこなしていない。こなれていない。
Sonyα7RIIIが機動性と撮影能力のマッチングがよく、ようするに使い勝手が良い。
これに対して、Fujifilm GFX 645は機動力のデメリットと撮影能力のメリットが拮抗し、マッチングが悪い。
それでもFujifilm GFX 645の撮影能力が高いなら、機動力のデメリットがいくらあろうが、それを使いたい。Fujifilm GFX 645の能力をどうやって表現するか、これが最大の課題なのだ。ちょこっとFujifilm GFX 645を借りて撮影しているプレゼンターに任せてはおけない。有名プロといえどもである。Fujifilm GFX 645は難しいのだ。
Fujifilm
浅岡省一 GFXとXで織りなすポートレートリアイズムの極至
浅岡省一さん、最初は変な奴と思いましたが、大変才能のある方でした。
当方がFujifilmのショールームでさんざんCP+トークショウの人選がおかしいと文句を言った効果があったのかもしれません。フイルム時代の古い付き合いで、フイルム写真の大御所を使って、デジタルカメラに関してしゃべらせるな、 撮り方が旧体然としていて参考にならん!
この浅岡氏のような若くて変な奴にしゃべらせるほうがずっと参考になる。大変参考になった理由は、この方がFujifilm FGX50Sをずっと使って、その良さをよく知っていると思われるからです。Fujifilmのトークの中で、この方が唯一、Fujifilm FGX50Sに愛情を持っていると感じられたのです。
手持ちランプと各所からのライティングをつかって女性を幻想的に撮る。海や水面が入ることがおおいのがいい。インスタ映え的な点は今風ともいえる。人工的手段で、リアルをよりリアルにするというコンセプトは面白い。
浅岡氏いわく<GFXは本物よりリアルに写す>、というのは当方のGFXの印象、<本物より生っぽい>と同調した。
舞山 秀一 1ショットへの"想い"と向き合うGFX 50Rで写す中判スナップ
福岡県生まれ。九州産業大学芸術学部写真学科卒業。半沢克夫氏に師事。1986年、フリーに。広告、ファッション、雑誌などで活躍。多岐にわたる雑誌で表紙を担当し、広告でも数多くの女優を撮影、
GFX 50Rは発売されたばかりですからしょうがないのですが、結局、プロカメラマンの常、<自分が一番と思っていて、自分のことしか考えていない>がもろに全面に出て、GFX50Rがいいか悪いかは、俺の絵みればわかるだろうということらしい。
GFX 100 MEGAPIXLES
この難しいGFXにおけるGFX-Rの意味とGFX100の意味はなんだろう? 当方の考えでは、GFX50SをGFX50R、GFX100と左右に振ってみても、645中判のメリットをどう出すかという根本課題は同じ。誰がどのようにこの課題を突き抜けるか? これからこの3台が並んで、新しい驚きを巻き起こすことを期待します。
Sony
Sonyのトークショウの方が、Fujifilmより企画が上手だと思うのです(別に当方自信が気に入ったというわけでは無いのですが)。 聞き手に自分もSonyのカメラを使ってみたいと思わせるプレゼンになっているのです。
Sonyα7RIIIやSony GMレンズが本当に良くて、使い込んでるから、<自分が一番と思っていて、自分のことしか考えていない>人でも、機材に対する愛情や感謝がトークににじみ出てくる。
井上浩輝 & KYON.J 「αがおしえてくれた、人生のもうひとつの楽しみ方」
キタキツネで有名な井上さん、下はKYON.Jさん。中国の絵をきっかけに、現在は世界中を飛び回って、自然を撮っている女流カメラマン。
ノールウェイのフィヨルド
佐藤健寿 α7RIIIと巡る真冬の中央アジア・奇界遺産の旅
極寒の中央アジアに奇界をさがす。 ウズベキスタンの風景に続く、カザフスタンとウズベキスタンにまたがる消えた塩湖「アラル海」、トルクメニスタンで40年間燃える「地獄の門」
桃井一至 ミラーレス専用設計「G Masterレンズの実力」
ソニー自慢のGMレンズ、85mmは勿論、24mmと最近発売された135mmを紹介。
魚住誠一 Dr.ひなんちゅ 「FE85mm F1.4GM」なぜこのレンズがポートレートに必要なのか
ひなんちゅ目当てと思われるお客さんで満員。こちらも
85mmを中心として、24mm、135mm、GMレンズを絶賛。このトークは撮影禁止なのでご紹介はできません。
最後にZeissブース。
大村祐里子 カールツァイスレンズとポートレートと私
OtusとBatisを対象にカールツアイスレンズに対する熱き思いを語る。Zeissをビビッド、スリリングと表現した当方と同じように、Otus、Batisの繊細な表現に惚れていることを率直に表現していました。
Sony GMレンズのプレゼンにおける、ボケの中のまつ毛の驚くべき解像というような、優等生的表現に、なにかつまらなさを感じる。最近のSonyはまるで、ニコンに入れ替わった優等生のようであり、優等生きらいの当方にはSonyばなれの動きが止まらないかもしれない。当方はGFXの課題を突破するのは、Zeissが645中判用にレンズを開発することにあると密かに思っています。
リアルと人工のミックスによりリアルを越える
次の日、さっそく浅岡省一氏の真似を、自然教育園の花を相手に、光とちょっとした舞台装置をもちいて、リアルと人工のミックスによるリアルを越えることをねらってみました。機材はFujifilm
GFX50S+ Pentax 645 120mm macro。
自然+LEDランプ
人工的舞台装置
方法は秘密ですが、人工的舞台装置を仕掛けてみました。
自然+LEDランプ
人工的舞台装置
人工的舞台装置
自然+LEDランプ
人工的舞台装置
<リアルと人工のミックスによるリアルを越える>これはそう簡単にはいかないことがわかりました。ずっと考え込んでいますが、いまだアイデア浮かばす。
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