小さな旅、大きな旅の写真物語(Virtual trips/travels)

京都や東京を本拠地として、自然の中や町を歩きながら、撮った写真をどんどん掲載します。いっしょに歩いているように。

アイスランドの旅 その1 ノルマンの軌跡/アイスランドとは

2019-09-13 13:08:43 | 旅行
アイスランドの旅 その1
2019-8-28~9-2


Fujifilm X-T3+Zeiss touit 12mm

2019-8-28 デンマーク・コペンハーゲン経由でアイスランド・レイキャビックへ降ります。日本から15時間ほどかかります。コペンハーゲンからレイキャビックが結構かかるのです。



なぜアイスランドかという問いに答える為に、まず、アイスランドを中心にすえて、ノルマンの軌跡を追ってみましょう。
ノルマンの軌跡
<東に向かったヴァイキングは現在の「ロシア」という国の基礎を築きました。西に向かったヴァイキングは北アメリカ大陸にまで達しました。途中でアイスランドに入植し、グリーンランドという極寒の地でも何世代か過ごしました。南はスペインやイタリア、コンスタンティノープルやエルサレムにまで至りました。>とネットに書いてあります。
当方はノルマンの追っかけを結構やっていて、当方が実際に経験したノルマンの軌跡は以下の通り。
ノルマン(ヴァイキング)はフランスに侵入し、ノルマンディーを事実上占領する。ノルマンディーのヴァイキングは12世紀初頭、突如地中海のシチリア島に移動侵入、ここで、これまでのギリシャ・ローマ文化、イスラム文化の融合体にさらにノルマン文化を融合させる。このノルマン・シチリア王国は立派だったのですが、スペインに完全に文化ごと破壊された。この融合文化は一部南イタリアに侵入する。この融合文化は12世紀ルネサンス、その後のルネサンス文化としてフランスを含めヨーロッパ中に広がった。シチリア・ノルマン融合文化が南イタリアからハンガリーなどの中欧に飛び火したかはわからない。もともと中欧の文化にはギリシャ・ローマ文化、イスラム文化の融合体、ビサンツ文化があり、ノルマン文化が南からあるいは北から侵入した痕跡があるか、現状ではわからない。 
一方ノルマンはイギリスに侵入し、ロンドン塔の石城壁の石はノルマンが持ち込んだといわれ、カンタベリーにはノルマンの丸い大きな墓などノルマンの痕跡がいっぱいある。このようにイギリスではノルマンと先住民ケルト人系ブリトン人、ゲルマン系アングロサクソンがしのぎをけずり、最終的にはアングロサクソンが勝利した(この辺は無茶苦茶複雑で、当方には理解す可能)。
ノルマンに大きな大国(ハーラル一世による王国統合)が出来た時に、その支配を嫌ってノルマンの一部がアイスランドに移り住んだ(870年のころ〉。無人のアイスランドは何もない火山の島。アイルランドの文化は大半はノルマンだが、一部9世紀末から10世紀にかけて、ノルウェー人とスコットランドおよびアイルランドのケルト人がフェロー諸島を経由して移住した。この移住は人数的(2万人)にはたいしたことないかもしれないが、文化、経済産業面ではそれなりの影響を与えたかもしれない。 当初国土の1/4には森があったが、住民は森をつぶして燃料にしたり、牧草地として、羊を飼って生き延びた。このためにアイスランドは木のない、一面の溶岩台地とちょぼちょぼはえる草をはむ、羊、小型の馬、山羊くらいしか動物(家畜)のいないのっぺらぼうの島となった。アイスランドが何となくイギリスの匂いがするのはイギリス系の移住のせいかもしれない(これは全くの私見)。現在はこぎれいな家の周りにそれぞれが木を植え、国家的にも要所に木を植えているので、多少の木はあるが、森といえるものは存在しない。
ノルウェーの支配を受け、その内(1000年ころ)にキリスト教に改宗を余儀なくされる。これを契機として、それまでの原始信仰は表舞台から消滅してしまった。これがいかに大きな変化であったかは国立博物館に行って理解した。 新エッダの記述もこのキリスト教流入による、文章記述の文化の流れでバラバラの古エッダがまとまって来たと考えられる。 後述するようにキリスト教流入は大きな意味があったのだ。支配はデンマークにうつり、第二次大戦後はイギリスやアメリカの支配下にあったが1944年に完全独立し、アイスランド共和国ができた。自国軍隊はもたないが、NATOの傘下の重要拠点であった。現在、アメリカ軍は完全撤収している。ユーロ圏には入っていないが、協定でビザなして入国できる。自国軍のない国、格差のない国、男女平等が徹底している国、ただし、現状は消費税が高く、さらにクローナ下落で物価が異常に高い。大半の商品が日本の2倍の値段がすると思えばいい。
北海道と四国を足したくらいの面積の島に30万人の住民が暮らしている。ちなみに北海道の人口は540万人、港区の人口は昼間94万人、夜24万人である。漁業と金融業で豊かな国であるが、2008年の世界金融危機で国自体が破産寸前になった。その後通貨クローナの下落で、かえって魚、アルミなどの輸出産業がもうかり、V字回復して今日に至る。
一方、アイスランドとグリーンランドは1423km(青森から鹿児島直線距離よりちょっと多い)すぐ近くであり、古い時代からグリーンランドンに侵入、さらにアメリカ大陸に侵入している。アイスランドのDNAがアメリカ大陸に侵入しているという証拠も見つかっている。
さて、日本は南方系縄文人に大陸系弥生人が侵入し支配した。DNAは融合し現在に至る。一部の縄文人は北海道に逃げアイヌとなった。そのアイヌの不思議な文化がさらに北方の住民の影響を受けたことは間違いない。その不思議な文化は北方の住民、その先のアイスランドやノルマンのDNAが侵入しているような気がしてならない。しかし、日本へのノルマンの影響は全くわからない。

アイスランドの旅で感じたアイスランドは
Flat 平らかな
Plain 簡素な、あっさりした
Obvious あからさまな、バレバレの
の3つの言葉で言い表せます。
小さな政府は、民間と政府のあいだがflatな気がします(これは他の北欧の国にもいえる)。
貧富の差が少なく、かなりflatです。土地も山が低く、大半はのっぺらぼうのflatです。
ハットグリムス教会はデザインはよいですが、ただのコンクリ―の塊で、他のヨーロッパのゴシック建築の教会に見られるゴテゴテした飾りは一切ありません。王族に由来するごてごてした飾りの建物はありません。芸術もビジネスも全てが何もない所から生まれるいずる過程のように飾り気のすくないplainです。
大地の裂け目や川一つとってみても地殻の活動は、のっぺらぼうの大地にあからさまなobviousバレバレの様相をみせます。

当方は20年ほど前に会社から製薬協の主催する世界一周のゲノム創薬視察旅行に参加した。この際にアイスランドを訪れています。かなり隔離された集団の30万人の家系図、遺伝子サンプル、医療情報等がまとまっているアイスランドの特異なメリットを駆使したゲノム創薬ベンチャー、deCODEを訪れたのです。現在もdeCODEはゲノム解析による病気の解明に先進的枠割を果たしています。この視察旅行はこの後、世界のゲノム創薬の流れを受けて製薬業界の大規模な再編成が起きるクリティカル・ポイントだったのです。この時は1泊が2泊でありアイスランドをほとんど知ることが出来ませんでした。


Fujifilm GFX50S + Fujifilm GF23mm


Fujifilm X-T3+Zeiss touit 12mm

しかし、飛行場に降り立った時に見た、この奇妙な像と月面のようなのっぺらぼうの溶岩台地はここに何か特別な感覚から生まれたアートがあるような気がして、もう一度ちゃんと見たいという願望がありました。

普通だったら、こんな殺風景なところに家内が興味を示すはずはないのですが、ひょんなことで家内の興味がこの島にあったのです。後程くわしくのべますが、北欧神話はゲルマン神話となり、ワーグナー楽劇にはこのゲルマン神話が題材として取り上げられることが多いのです。最大の作品「ニーベルングの指環」を作るにあたって、ワーグナーは変化してしまったゲルマン神話の源流をたどって、アイスランドに残る北欧神話のルーツを調査しているのです。アイスランドの北欧神話はサガ(Saga)、「物語/語られた出来事」(もともとはSay(かたり)の意味)に記されています。またエッダ(Edda) は、北欧神話の初期(ヴァイキング時代)の形態を伝える文書群です(古エッダ(9〜13世紀))。アイスランドの詩人スノッリ・ストゥルルソンが1220年頃に詩の教本『エッダ』を著した(新エッダ)はサガと並び北欧神話研究における重要な資料の一つとされています。ワーグナーの楽劇、「ニーベルングの指環」の4部作ラインの黄金、ワルキューレ、ジークフリート、神々の黄昏には続々と北欧神話にまつわる人物や物語が登場するのです。ワグネリアンの家内にとってアイスランドはワーグナー巡礼の旅のひとつなのです。
北欧神話はワーグナーを持ち出さなくても、我々には大きな関係があります、グリム童話、白雪姫と小人、ムーミン、サンタクロース、さらにヒット映画ロード・オブ・ザ・リングやアベンジャーズ、マイティー・ソー、アニメでは最近のヴィンランド・サガ、当方はよくわからないコンピューター・ゲームの数々は北欧神話オンパレードなのです。

今回の旅は実質わずか丸3日の滞在です。アイスランドの全貌の1%も知ることは難しい。本来はワイルドな自然がアイスランドの売りなのですが、本格的冒険旅行は家内には無理と判断して、① 大規模露天温泉、ブルーラグーン、② 自然をちょっと見るゴールデンサークル、最終日は③ 首都レイキャビック探検というアイスランド初心者コースを選択しました。はたして、この短い期間に、それぞれの目的、<特異なアート>と、<ワーグナーの痕跡>が見つけられるのだろうか?
当方にとってゴールデンサークルは2回目ですから、レイキャビックに焦点を合わせました。もしまた来る時があったら、レイキャビックはすでに卒業しているようにしたいと思ったのです。

以下が訪ねたところの地図です。


レイキャビック ライキャルトルクとフレンムルの間が約1km


ブルーラグーンとゴールデンサークル

2019-8-28 午後6時過ぎにホテルに到着。
初日から、ロイガベーグル・メインストリートの夜を探索。


2019-8-28 Fujifilm GFX50S + Fujifilm GF45mm

まず、絵柄を持ち込んだストッキングにちょっと期待がわいてきます。


2019-8-28 Fujifilm GFX50S + Fujifilm GF45mm


2019-8-28 Fujifilm GFX50S + Fujifilm GF45mm


2019-8-28 Fujifilm GFX50S + Fujifilm GF45mm


2019-8-28 Fujifilm GFX50S + Fujifilm GF45mm


2019-8-28Fujifilm GFX50S + Fujifilm GF45mm


2019-8-28 Fujifilm GFX50S + Fujifilm GF45mm


2019-8-28 Fujifilm GFX50S + Fujifilm GF45mm


2019-8-30 Fuifilm X-T3+Zeiss touit 12mm


お店に置いてあったカードをいくつか載せます。詳細わからず。このアーティストの作品はあちこちで見かけます。上のカードの左下がルーン文字のはいった陶器。真ん中が氷河イメージろうそく立て、右が、人気の鳥パフィン。


これこそアイスランドのアートという気がします。

ざっとみたところヨーロッパより日本の陶芸の強い影響を受けているように見えます。アイスランドにいるわずかな家畜、馬、羊、山羊や溶岩、氷がテーマとなっている点はなんとかアイスランドのアイデンティティーを表現したいという思いがにじみ出ています。特異なアートまではいきませんが、何もない所からアートがどう生み出されるか、そのplainな活動は参考になります。


2019-8-28 Fujifilm GFX50S + Fujifilm GF45mm


2019-8-28Fujifilm GFX50S + Fujifilm GF45mm

ジュエリーのディスプレイにも岩、溶岩が多用されています。


2019-8-28 Fujifilm GFX50S + Fujifilm GF45mm

明日行くブルーラグーンのパック用泥が売っていました。


2019-8-28 Fujifilm GFX50S + Fujifilm GF45mm

10時、閉店ギリギリにスカンジナビアというレストランに入いります。


2019-8-28 スマホ

家内はスカンジナビア風ハンバーガー、当方がロブスター・オープンサンドを注文。アイスランドはオープンサンドが幅を利かせています。値段は日本の倍ですが、味は悪くない。魚の味を知っている国という印象を持ちます。スカンジナビア風ハンバーガーも結構いける味です。味のベースが日本と大きな違和感がありません。しかし、日本あるいはコペンハーゲンよりバターあるいはヨーグルト(あるいはスキール、ヨーグルトとバターの中間のようなもの)のようなこってり系の味付けをするのが、当方には似て非なるもの的にもろ手を挙げて喜ぶというところまでゆきません。


2019-8-28 スマホ

野菜は、自国での地熱温室栽培のせいか、どちらかというと割安の感があります。新鮮なきゅうり、トマト、ウリなどは朝のビュッフェに豊富に出てきます。パンは文句なくうまい。


2019-8-28 Fujifilm GFX50S + Fujifilm GF45mm レストラン、スカンジナビア

では、また明日。


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