桜2019 <靖国神社の桜の花の下で「同期の桜」を歌う会>その後
以前に書いたブログ、<靖国神社の桜の花の下で「同期の桜」を歌う会>(2016-4-4)が桜の季節になるとアクセスがとても多くなります、このブログのどこに興味があるのかよくわかりませんが。
以下の文は、以前に書いたブログ、桜2016 <靖国神社の桜の花の下で「同期の桜」を歌う会>(2016-4-4)を読んでいただかないと、何を言っているかわからないと思います。
このブログでは、靖国神社は騒がしすぎる。若者に正しい歴史を伝えるために、静かに戦争により亡くなった方を思う場所を作ろうという趣旨のことを書きました。
昨年は桜の咲きが早くて、この会が催される4月第1土曜には桜はみな散っていました。今年は桜と会がとてもいい同調で、お天気にも恵まれました。今年は靖国神社創立150周年記念であるそうです。
当方も千鳥ヶ淵の桜撮影に出かけ、この会の撮影もちょっとだけ行いました。3年前の撮影の時と変わらぬ盛況な会でした。2つだけ以前と違った雰囲気を感じました。たまたまかもしれませんが。
1つ目は最前列で旭日旗を振ることが無くなった。
2つ目は靖国神社全体が落ち着いた雰囲気になって来た。以前のブログで、<ここは戦争を賛美してもいい特別区か>と書いたほど、なにか異常な雰囲気を感じたのですが、今年はそれがありません。
この2つともたまたまのことかもしれません。1つ目はたまたま旭日旗を振る方が、参加しなかっただけかもしれません。 2つめは最近靖国神社の宮司が代わって(この交代劇には何かそうとうごたごたがあったらしい)、根底にある考え方がかわったのかもしれません。 最近神社の参道にずらっと並んでいた屋台が禁止となり、一か所の集中した屋台スペースとした(これは交代劇の前ですが)ことも雰囲気の大きな変化の原因とも思えます。
そうそう、パール判事の記念碑の前に以前より人が多くいたことも変化なのか、これも
たまたまなのか? 神社全体に様々な国からの海外の方が増えているようにも思えます。
欧米系の方も含めて、バラエティー豊かな海外の方という印象があります。
本当に雰囲気が変わったとしたら、当方には好ましい事と思えます。当然好ましいと思わない方もいらっしゃるでしょう。
<靖国神社の桜の花の下で「同期の桜」を歌う会>は相変わらずの盛況です。
樽酒を割って、みんなで献杯します。これは家内の13回目の<靖国神社の桜の花の下で「同期の桜」を歌う会>への参加です。
これから1時間、軍歌を歌い続けるのです。当方は写真を数枚撮って退散します。
屋台の集結地域。ほんと海外の方が多いです。
さて、
以前に書いたブログ、桜2016 <靖国神社の桜の花の下で「同期の桜」を歌う会>(2016-4-4)、この中で日本の戦後処理に関する意見を書きました。これを書いた背景に、2015-5-24から連載したブログ<ベルリン・フリー旅行>での経験があります。
当方のブログの中で、レアだけれどとっても意味ある意見や情報を書いたと思う時があります。しかし、大体は殆どレスポンスもなく、なんでこれがわかってもらえないのだと残念に思うのです。ところが何年かするとこういうブログはいつのまにか高アクセスにランクされるようになります。たとえば<ガレの庭>とか、<プレ撮影の話>とかです。<靖国神社の桜の花の下で「同期の桜」同期の桜)を歌う会>もそうです。
一方、意味あるブログを書いたと思っても、何年たっても一向にレスポンスが上がってこないブログもいっぱいあります。例えば<ベルリン・フリー旅行>におけるホロコースト(大量虐殺)の部分がそうです。
ダーク・サイドの話ですから、喜んで読む方はいらっしゃいませんよね。嫌がられても、もう一度<ベルリン・フリー旅行>のその部分を載せます。なぜなら<靖国神社の桜の花の下で(同期の桜)を歌う会>と<ベルリン・フリー旅行>両者はとてもリンクしているのです。
ドイツの戦後処理のやり方を見て、日本の戦後処理はこれでいいのか?と思わざるを得ないのです。
ベルリン・フリー旅行では、その場に行ってから、この旅を最も意義あるものにするのは、ダーク・ツアーを徹底的にやることだと思って実行したのです。その最たるものは
オライエンブルグにユダヤ人強制収容所記念館を訪ねることでした。
オライエンブルグはベルリンから北へSバーンで40分、有名なポーランド・アウシュビッツ・ユダヤ人強制収容所と同じような収容所跡が記念館として保存されています。日本人でわざわざ訪れる人は少ないでしょうが、ドイツ人やヨーロッパの方は、教育の一環としても、一般の人も数多くの方がおとずれていました。
入口までの道には当時の写真がずらっと並んでいます。
現在の入口です。ここに掲げられる言葉<労働は自由をもたらす>はアウシュビッツと全く同じです。
広陵とした敷地は、その曇り空が似合う殺伐とした雰囲気です。
死体の焼却所
焼却前には金歯を全て回収していました。
ユダヤ人の収容所、病人の収容所、人体実験の疑いがある診療室。ガス室
結局600万人のユダヤ人が虐殺されました。収容所は最初からユダヤ人抹殺所ではなく、危険分子の隔離所だったのです。戦争が進んで、いつのまにかユダヤ人を完全抹殺する場所となりました。この一方通行の後戻りできない、負の行進が現実に起きる。人間の性から予想できることではありますが、本当に起きるのです。おそらく、これが唯一の例ではないのでしょう、人の歴史において、大量虐殺は何度も起きているのでしょう。ユダヤ人は戦後もこの虐殺にたいして、リベンジを叫ばず、原子爆弾に対して日本人はリベンジを叫びません。あまりの人間の性の悲しさに声も出ない。
このあと、ある方から聞きました。実は第二次世界大戦が終わったあとに、ポーランドや国外にいたドイツ民間人200万人が色々な状況でリベンジ虐殺を受けたといわれているそうです。この数字が信じるにたるかどうかわかりませんが。しかし、ドイツはそのことを一切口にしません。それはこのとんでもない非人間的、ユダヤ人虐殺を全てヒットラーに押し付けて、戦後を切り抜けることに徹しているからであると思うのです。これを、戦争に明け暮れたヨーロッパ人の知恵といったらいいのか、ドイツ人の局所的かしこさといったらいいのか。70年以上たってもあいかわらず、もめている、韓国、中国との関係と日本の戦後処理は正しいのか?
次にベルリンのど真ん中にあるユダヤ人犠牲者記念館をたずねました。 名前から受ける予想に反して、モダンなオープン建築物でした。 ユダヤ人の悲劇がモダンアートに昇華して、一見おだやかに、しかしかえってその映像が心に刻まれるのです。アートの持つ意味に改めて気付かされます。
子供はこの石碑を遊び場としています。しかし、大人になってからこの記憶は原風景としてよみがえるでしょう。
次は<ベルリンの壁博物館>。崩壊したルリンの壁に一部が残され、オープンエアーな博物館となっています。これもベルリンの中心近くにあります。
ベルリンの壁の名残に当時の写真がずらりと飾られています。
過去の写真パネル越しに見える現在の壁の残骸
これは当時の壁の写真
この写真が今回の旅で一番ショックな絵です。みんながハイルヒットラーと敬礼しないと、ゲシュタポに捕まるのです。この一番右のヒトはきっと捕まっています。ユダヤ人を600万人も虐殺しながら、だれもハイルヒットラーという敬礼を拒否できないのです。
ベルリン、ブランデンブルグ門の過去と現在を重ね合わせた絵ハガキです。そこらじゅうのお土産物屋さんにあります。はたして、日本で空襲後の東京と現在の東京を重ねた絵葉書を売ることが出来るのだろうか?
このように深刻めいて戦争をとらえるのではなく、といってその記憶を事実をしっかりと残すというヨーロッパのセンスは、戦争の事実を裏にしまって、刹那の平和にいりびたる日本より、ずっと大人の、正当な行動に思えます。
次は<ユダヤ博物館>。ここはモダンアートに昇華された地区と、ユダヤ人の歴史が展示される博物館らしい地区が連結しています。
ホロコースト(大量虐殺)への道と亡命への道の2つの選択肢を示す強い傾斜のある廊下。
確かに亡命という道を選択した人も少なくなかったのでしょう。その決断の持つ意味を、そんなことを考えたこともない当方に、確かにこの廊下は迫ってきます。
左廊下に続く道の先は、屋外にユダヤ人の混沌と不安を表わすコンクリートの柱の隊列や大量虐殺を示すアート彫刻があり、その先にはユダヤ人の歴史を展示する迷路のような部屋が続いています。
思想を押し付けるのではなく、誰がいい誰が悪いというのでもなく、事実を伝えて、後は自分で考えろとでもいうかのようなモニュメントです。そしてそれを首都の中央に配する。隠すのではなく、現在の背景として、常に存在させる。小さい子供のころから、そこに接するのです。
ヨーロッパはあくなき多民族の対立、戦争の歴史です。そこで生まれた知恵は学ぶべきものがあります。
<個のアイデンティティー>と<国家のアイデンティティー>と<多様性>は対立しながら揺れ動く。しかし、互いに認め合い、尊重し合うものでもある。
最近、ステレオタイプという言葉を耳にすることが多くなりました。どういう意味をネットで調べると、<本来は同じ鋳型から打出された多数のプレート (ステロ版) の意味であるが,社会学や政治学の用語としては,一定の社会的現象について,ある集団内で共通に受入れられている単純化された固定的な概念やイメージを表わすものとして用いられる。通常それは好悪とか善悪の感情を伴った「できあい」の概念,あるいは「紋切り型」の態度というふうに訳される。>とある。
過去の戦争に対するレスポンスを右翼だ左翼だとステレオタイプに取り扱うのではなく、もっと人間の本質的性(サガ)として、丸ごと見つめることが必要と思うのです。
過去のブログも読んでください。
以前に書いたブログ、<靖国神社の桜の花の下で「同期の桜」を歌う会>(2016-4-4)が桜の季節になるとアクセスがとても多くなります、このブログのどこに興味があるのかよくわかりませんが。
以下の文は、以前に書いたブログ、桜2016 <靖国神社の桜の花の下で「同期の桜」を歌う会>(2016-4-4)を読んでいただかないと、何を言っているかわからないと思います。
このブログでは、靖国神社は騒がしすぎる。若者に正しい歴史を伝えるために、静かに戦争により亡くなった方を思う場所を作ろうという趣旨のことを書きました。
昨年は桜の咲きが早くて、この会が催される4月第1土曜には桜はみな散っていました。今年は桜と会がとてもいい同調で、お天気にも恵まれました。今年は靖国神社創立150周年記念であるそうです。
当方も千鳥ヶ淵の桜撮影に出かけ、この会の撮影もちょっとだけ行いました。3年前の撮影の時と変わらぬ盛況な会でした。2つだけ以前と違った雰囲気を感じました。たまたまかもしれませんが。
1つ目は最前列で旭日旗を振ることが無くなった。
2つ目は靖国神社全体が落ち着いた雰囲気になって来た。以前のブログで、<ここは戦争を賛美してもいい特別区か>と書いたほど、なにか異常な雰囲気を感じたのですが、今年はそれがありません。
この2つともたまたまのことかもしれません。1つ目はたまたま旭日旗を振る方が、参加しなかっただけかもしれません。 2つめは最近靖国神社の宮司が代わって(この交代劇には何かそうとうごたごたがあったらしい)、根底にある考え方がかわったのかもしれません。 最近神社の参道にずらっと並んでいた屋台が禁止となり、一か所の集中した屋台スペースとした(これは交代劇の前ですが)ことも雰囲気の大きな変化の原因とも思えます。
そうそう、パール判事の記念碑の前に以前より人が多くいたことも変化なのか、これも
たまたまなのか? 神社全体に様々な国からの海外の方が増えているようにも思えます。
欧米系の方も含めて、バラエティー豊かな海外の方という印象があります。
本当に雰囲気が変わったとしたら、当方には好ましい事と思えます。当然好ましいと思わない方もいらっしゃるでしょう。
<靖国神社の桜の花の下で「同期の桜」を歌う会>は相変わらずの盛況です。
樽酒を割って、みんなで献杯します。これは家内の13回目の<靖国神社の桜の花の下で「同期の桜」を歌う会>への参加です。
これから1時間、軍歌を歌い続けるのです。当方は写真を数枚撮って退散します。
屋台の集結地域。ほんと海外の方が多いです。
さて、
以前に書いたブログ、桜2016 <靖国神社の桜の花の下で「同期の桜」を歌う会>(2016-4-4)、この中で日本の戦後処理に関する意見を書きました。これを書いた背景に、2015-5-24から連載したブログ<ベルリン・フリー旅行>での経験があります。
当方のブログの中で、レアだけれどとっても意味ある意見や情報を書いたと思う時があります。しかし、大体は殆どレスポンスもなく、なんでこれがわかってもらえないのだと残念に思うのです。ところが何年かするとこういうブログはいつのまにか高アクセスにランクされるようになります。たとえば<ガレの庭>とか、<プレ撮影の話>とかです。<靖国神社の桜の花の下で「同期の桜」同期の桜)を歌う会>もそうです。
一方、意味あるブログを書いたと思っても、何年たっても一向にレスポンスが上がってこないブログもいっぱいあります。例えば<ベルリン・フリー旅行>におけるホロコースト(大量虐殺)の部分がそうです。
ダーク・サイドの話ですから、喜んで読む方はいらっしゃいませんよね。嫌がられても、もう一度<ベルリン・フリー旅行>のその部分を載せます。なぜなら<靖国神社の桜の花の下で(同期の桜)を歌う会>と<ベルリン・フリー旅行>両者はとてもリンクしているのです。
ドイツの戦後処理のやり方を見て、日本の戦後処理はこれでいいのか?と思わざるを得ないのです。
ベルリン・フリー旅行では、その場に行ってから、この旅を最も意義あるものにするのは、ダーク・ツアーを徹底的にやることだと思って実行したのです。その最たるものは
オライエンブルグにユダヤ人強制収容所記念館を訪ねることでした。
オライエンブルグはベルリンから北へSバーンで40分、有名なポーランド・アウシュビッツ・ユダヤ人強制収容所と同じような収容所跡が記念館として保存されています。日本人でわざわざ訪れる人は少ないでしょうが、ドイツ人やヨーロッパの方は、教育の一環としても、一般の人も数多くの方がおとずれていました。
入口までの道には当時の写真がずらっと並んでいます。
現在の入口です。ここに掲げられる言葉<労働は自由をもたらす>はアウシュビッツと全く同じです。
広陵とした敷地は、その曇り空が似合う殺伐とした雰囲気です。
死体の焼却所
焼却前には金歯を全て回収していました。
ユダヤ人の収容所、病人の収容所、人体実験の疑いがある診療室。ガス室
結局600万人のユダヤ人が虐殺されました。収容所は最初からユダヤ人抹殺所ではなく、危険分子の隔離所だったのです。戦争が進んで、いつのまにかユダヤ人を完全抹殺する場所となりました。この一方通行の後戻りできない、負の行進が現実に起きる。人間の性から予想できることではありますが、本当に起きるのです。おそらく、これが唯一の例ではないのでしょう、人の歴史において、大量虐殺は何度も起きているのでしょう。ユダヤ人は戦後もこの虐殺にたいして、リベンジを叫ばず、原子爆弾に対して日本人はリベンジを叫びません。あまりの人間の性の悲しさに声も出ない。
このあと、ある方から聞きました。実は第二次世界大戦が終わったあとに、ポーランドや国外にいたドイツ民間人200万人が色々な状況でリベンジ虐殺を受けたといわれているそうです。この数字が信じるにたるかどうかわかりませんが。しかし、ドイツはそのことを一切口にしません。それはこのとんでもない非人間的、ユダヤ人虐殺を全てヒットラーに押し付けて、戦後を切り抜けることに徹しているからであると思うのです。これを、戦争に明け暮れたヨーロッパ人の知恵といったらいいのか、ドイツ人の局所的かしこさといったらいいのか。70年以上たってもあいかわらず、もめている、韓国、中国との関係と日本の戦後処理は正しいのか?
次にベルリンのど真ん中にあるユダヤ人犠牲者記念館をたずねました。 名前から受ける予想に反して、モダンなオープン建築物でした。 ユダヤ人の悲劇がモダンアートに昇華して、一見おだやかに、しかしかえってその映像が心に刻まれるのです。アートの持つ意味に改めて気付かされます。
子供はこの石碑を遊び場としています。しかし、大人になってからこの記憶は原風景としてよみがえるでしょう。
次は<ベルリンの壁博物館>。崩壊したルリンの壁に一部が残され、オープンエアーな博物館となっています。これもベルリンの中心近くにあります。
ベルリンの壁の名残に当時の写真がずらりと飾られています。
過去の写真パネル越しに見える現在の壁の残骸
これは当時の壁の写真
この写真が今回の旅で一番ショックな絵です。みんながハイルヒットラーと敬礼しないと、ゲシュタポに捕まるのです。この一番右のヒトはきっと捕まっています。ユダヤ人を600万人も虐殺しながら、だれもハイルヒットラーという敬礼を拒否できないのです。
ベルリン、ブランデンブルグ門の過去と現在を重ね合わせた絵ハガキです。そこらじゅうのお土産物屋さんにあります。はたして、日本で空襲後の東京と現在の東京を重ねた絵葉書を売ることが出来るのだろうか?
このように深刻めいて戦争をとらえるのではなく、といってその記憶を事実をしっかりと残すというヨーロッパのセンスは、戦争の事実を裏にしまって、刹那の平和にいりびたる日本より、ずっと大人の、正当な行動に思えます。
次は<ユダヤ博物館>。ここはモダンアートに昇華された地区と、ユダヤ人の歴史が展示される博物館らしい地区が連結しています。
ホロコースト(大量虐殺)への道と亡命への道の2つの選択肢を示す強い傾斜のある廊下。
確かに亡命という道を選択した人も少なくなかったのでしょう。その決断の持つ意味を、そんなことを考えたこともない当方に、確かにこの廊下は迫ってきます。
左廊下に続く道の先は、屋外にユダヤ人の混沌と不安を表わすコンクリートの柱の隊列や大量虐殺を示すアート彫刻があり、その先にはユダヤ人の歴史を展示する迷路のような部屋が続いています。
思想を押し付けるのではなく、誰がいい誰が悪いというのでもなく、事実を伝えて、後は自分で考えろとでもいうかのようなモニュメントです。そしてそれを首都の中央に配する。隠すのではなく、現在の背景として、常に存在させる。小さい子供のころから、そこに接するのです。
ヨーロッパはあくなき多民族の対立、戦争の歴史です。そこで生まれた知恵は学ぶべきものがあります。
<個のアイデンティティー>と<国家のアイデンティティー>と<多様性>は対立しながら揺れ動く。しかし、互いに認め合い、尊重し合うものでもある。
最近、ステレオタイプという言葉を耳にすることが多くなりました。どういう意味をネットで調べると、<本来は同じ鋳型から打出された多数のプレート (ステロ版) の意味であるが,社会学や政治学の用語としては,一定の社会的現象について,ある集団内で共通に受入れられている単純化された固定的な概念やイメージを表わすものとして用いられる。通常それは好悪とか善悪の感情を伴った「できあい」の概念,あるいは「紋切り型」の態度というふうに訳される。>とある。
過去の戦争に対するレスポンスを右翼だ左翼だとステレオタイプに取り扱うのではなく、もっと人間の本質的性(サガ)として、丸ごと見つめることが必要と思うのです。
過去のブログも読んでください。
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