春寒し公園にきて所在なく
立春後の寒さをいう。
「余寒」とほぼ同意の季語であるが、「春寒」は春になった気分が強い。
さらに早春の景の空間的な広がりが背後に感じられる。
公園にやってきた。
だが、春になっても寒く、どことなく所在なさを感じた。
春寒や夕景すでに定まりて
春寒し公園にきて所在なく
立春後の寒さをいう。
「余寒」とほぼ同意の季語であるが、「春寒」は春になった気分が強い。
さらに早春の景の空間的な広がりが背後に感じられる。
公園にやってきた。
だが、春になっても寒く、どことなく所在なさを感じた。
春寒や夕景すでに定まりて
くつきりと何の足跡春の土
寒冷地でも春になると土の凍てがゆるみ、雪が解けて黒々とした土が現れる。
雪国や北国の「土恋し」がもとになった比較的新しい季語。
雪国でなくとも、暖かな日差しを受けた春の土に、春の訪れを感じる。
春の土にくっきりとした足跡が続いていた。
何の足跡だろうと思った。
山見ゆるところに広し春の土
藪椿下校児通る路地裏に
ツバキ科の常緑高木。
日本の暖地、特に太平洋側の海岸近くの丘陵に自生する。
数多くの園芸品種のもととなった品種である。
早春、枝先に一個ずつ紅色の五弁花をつける。
秋、果実が熟すと、この種子から椿油をとる。
路地裏の静かな道に藪椿が咲いていた。
その道を下校児たちが帰って行った。
大島に行きしは一度藪椿
春浅し甲斐の山並み確と見え
立春以後の春とは名ばかりの頃をいう。
春になったものの、春色はまだ整わず、降雪もあり、木々の芽吹きにはまだ間がある頃である。
「早春」と似通った季語であるが、「春浅し」は季節の推移を肌で感じる意識がより強いように思われる。
春になったばかりで空気はまだ冬のように澄んでいた。
そのため、甲斐の山並みがくっきりと見られた。
浅春や雑木の道の明るくて
立春や猫の過れる川堤
節分の翌日にあたり、二十四節季の一つで陽暦二月四日頃。
ただし、今年は二月三日。
暦の上ではこの日から春になる。
実際には寒気はまだ厳しい。
だが、そのなかにもかすかな春の兆しが感じられるようになる。
立春の川堤を歩いた。
すると、猫がその川堤の道を横切って行った。
掛け声は野球練習春立ちぬ