冬近し菜園に誰(た)もをらずして
立冬を目前にした頃をいう。
秋も終わりに近づくと、日差しも弱くなり、冬の到来が間近であることが実感させられる。
冬隣には、寒く厳しい冬に対して身構える緊張感が伴う。
いつも誰かいる菜園には人影がなかった。
冬が近いことが実感させられた。
球場の早点りけり冬隣
冬近し菜園に誰(た)もをらずして
立冬を目前にした頃をいう。
秋も終わりに近づくと、日差しも弱くなり、冬の到来が間近であることが実感させられる。
冬隣には、寒く厳しい冬に対して身構える緊張感が伴う。
いつも誰かいる菜園には人影がなかった。
冬が近いことが実感させられた。
球場の早点りけり冬隣
次々と家灯りけり秋の暮
秋の夕べ、夕暮れ時のことをいう。
清少納言の『枕草子』には、「秋は夕暮」とある。
秋で最も風情があるのは夕暮れであるという。
『新古今和歌集』の三夕の歌はことに有名で、寂しげにして「もののあはれ」の極みといわれている。
「暮の秋」は秋季の終わりを意味する。
「秋の日は釣瓶落し」といわれるように、あっという間に暮れていく。
そのため、家々は次々と灯されていった。
道歩く人もをらずや秋の暮
深大寺山門
秋深し門前に水流れゐて
晩秋の十月、秋もいよいよ深まった感じをいう。
無患子の実
大気は冷ややかに澄み、草木は紅葉を始め、寂寥の心持が深い。
「秋深む」は慣用的に用いられている。
東京都調布市の深大寺を訪れた。
門前には澄んだ湧水が流れ、秋の深まりを感じた。
とろろ蕎麦
美濃よりの人も交へて走り蕎麦
雲湧きて二百二十日の夕べかな
雑節の一つ。
立春から数えて二二〇日目にあたる日。
九月十一日頃で、今年は九月十日。
二百十日とともに台風が来襲することが多い厄日とされる。
夕方散策すると、台風は来ていないが、二百二十日の雲が湧いていた。
ひとり行く二百二十日の川堤
白雲の流れてゐたる白露かな
二十四節気の一つで秋の三番目の節気。
陽暦九月七日頃に当たる。
露が凝って白くなるという意味である。
いまだ暑さが残る時期であるが、朝晩は空気が澄み始める。
今日は白露。
まだ残暑が厳しかったが、空には白雲が流れ、秋の気配が漂っていた。
畑道を風渡りたる白露かな