毎日がちょっとぼうけん

日本に戻り、晴耕雨読の日々を綴ります

日中の板挟み-日本語学科の学生たち    2010/12/22(水) No.33

2010-12-22 18:38:10 | 中国事情
 ここ南昌でも、11月中旬に反日パレードがあったようだ。「ようだ」というのは本当にあったかどうか確かめていないので分からないからだ。
 後で学生に聞いた話だが、私の勤務する大学では全学生に対して参加しないように通達があったとのこと。
そのパレードの前に、ある日本語学科の学生に高校時代の同級生からメールが来た。話題は反日パレード(こちらではデモとは言わない)のことだったが、「ああ、でも君は日本語学科の学生だったね~。」と締めくくってあったそうだ。それを受け取った子は、泣いた。
 日中関係がぎくしゃくすると、たちまち困るのは彼らだ。日本と友好関係を築くために政府は大学に日本語学科を設置し学生を募集した。だから、学生たちは学びに大学に来たのだ。いわば両国の架け橋となる存在だ。親達にとってたいへんな学費の負担も、学生達が将来日中友好の担い手として活躍するようになれば報われるというものだ。
 しかし、今のように、両国のメディアがそれぞれ自国のみが正しく、相手国がどれほどせこいかといったキャンペーンを行うと、両国の架け橋的存在は「非国民」になってしまう。日本のアニメで育ち、日本が好きな日本語学科の子達だって、人一倍自分の国を愛しているし、中国人としての誇りを持っている。
一年生のときは何も考えずに、楽しく日本語学習に打ち込んでいた学生の中には現在、日本語を学ぶことが苦痛になっている子もいる。日本人が六十数年前に行ったことを許すことができない、と書くその子の胸の内も想像できないわけではない。

 ふっと「もののけ姫」の映画のイノシシ(「おっことぬし」だったかな)を思い出した。あのイノシシには、映画の中でもっとも共感を覚えたものだ。破壊され、暴掠された山の主、イノシシたちは全身を怒りで燃え立たせ、勝てない闘い=正面突破戦に決起する。その過程でイノシシのリーダー、「おっことぬし」は、あまりにも深い絶望的怒りと憎しみのために、精神も身体も変化してしまうというものだったと記憶している。
 日本語を勉強することが苦痛だ、と書く学生と「おっことぬし」が重なってしまう。加えて、いくらインターネットが広まったとは言え、この情報コントロールの中で、多角的視点からものごとを冷静に考えることは簡単ではない。日本社会も同様だ。テレビだけ見て(そうか~)なんて考えていたらとんでもないところに連れて行かれる。

 だから、だから~!メル友大作戦にみんな参加してよね!一人ひとりが知り合い、話し合い、仲良くなる。こんなことしか提案できないけど、大きくてヘンな力に翻弄されないために、自分のできることから始めようじゃないですか。
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コメント
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