このタイトルの「ある学生の手紙」を読んだのが一週間前だった。その文を読んだとき、(そうだった、私はこの学生に応えるために来たんだ。あまりに素直で教師を立てる学生達と共に過ごしていたから、うっかり忘れるところだった)と安穏と過ごしてきた自分の甘さに冷や汗をかいた。
下が私の目を覚まさせた手紙である。
「原口さんへ」(王○○)
原口さん、こんにちは。私は王○○と申します。今までもう2年半日本語を習っています。が、まだまだ下手に加え、もともとすばらしい表現力を持っている人ではないので、不適切なことがあればどうかご勘弁ください。
現に最初大学に入ったばかりのことを思い出したら、本当に懐かしいです。その時は、何も思わずいつも日本語の勉強に取り組んでいて、正直に言えば、充実した一年間を過ごしました。でもそのような生活は一旦去って、二度と戻っていないです。
いつからかは分かりませんが、中日間の歴史問題が非常に気になっています。(言わなくても貴方は知っているでしょう。)このことが頭の中に何度も何度も浮かびます。これについて日本語を嫌がる気がします。大変なことに、この問題を考えれば考えるほど、ますます日本語を習いたくなくなります。すごく悩んでいます。
貴方の手紙の中に書いてある日本人の仕事に対する責任感のことには、私は反対する意見はありません。でも、それは狭い責任感だと思います。他国にこの上ない酷い罪を犯したのに、事実を承認する勇気もない民族は本当に責任感があるとは、絶対言えないじゃないですか。
実は1972年に中日国交を樹立した際に、条件として日本は再び靖国神社を参拝しないと日本の中曽根首相は承諾しました。【註:田中角栄の間違いでは?ブルーはーと】 でも、橋本龍太郎はこの約束を破りました。これは信用と言えますか?!
でも、これは完全に日本人を否定するのではありません。ただ、日本人は中国人に対するその辛い歴史について、中国人に謝るべきだと思います。同じ事を何でドイツ人ができるのに、日本人ができないのか?
けど、中国人が日本人から仕事の真面目な態度を教わるべきだということには賛成です。
貴方の手紙の中で、中国の映画の中で(日本に対しての)マイナスの宣伝のことを言い及ぼすことがありますね。それは二つの原因があると思います。一つは交流不足のせいです。これは時間がかかると思います。でも、これは最も重要な原因ではありません。何よりも、60数年前日本人が中国人に犯した罪がこの上なく深いせいです。もし日本人が本気で罪を謝れば、状況は少なくとも少しずつ変わるでしょう。ここまで言うまでもなく、私は中国人として日本人をまだ許していないです。
この手紙はタナカ先生にも見えると知っていますが、隠したいことはない。(実はこれについて、心の中では長くためらっていた。)もし、原口さん、或いはタナカ先生が私を説得して私の観念を変えられれば私も楽になります。それでしたらこのことについて悩むことはなくなるからです。
初め、これを読んだとき、(中国では、1995年8月の村山総理大臣の談話は伝わっていないのだろうか?)と疑問に思った。当時、村山総理の「謝罪声明」を聞いて、私はかなりホッとした記憶がある。(やっぱり社会党が政権取ると良いことがあるわ)とも思った。それまでは、政府が謝罪していないので、アジアの人々に対して申し訳なくて、心中いつもペコペコしていなければならなかった。ようやく顔を上げて挨拶ができるような気持ちだった。なので、この謝罪事実が伝わっているのか、いないのかは私にとっては重要だ。最後の授業があった今日、さりげなく王○○君のノートに、「日本歴代閣僚の謝罪発言」(ウイキペディア)を挟んで返した。そして、ノートには私個人の「日本人の一人としての謝罪文」も添えた。
中国人は日本人が思っているほど“何回も何回も謝られた”とは思っていない。というか、一回も謝ってもらっていないと思っている。このズレはどうして生じるのだろう。
“心から謝罪されていない”と思うのも当然に見えることが一つある。この間、ネットで中国関係の事件などへの書き込みを見ると、その多くがあまりにも感情的で、非論理的で、そして下品な非難に終始している。これはどう考えても、組織的に右翼がネットで市民を装って宣伝活動をしているとしか思えない。しかし、そう分かるのは日本人だからだ。中国の学生達はネットを見て、日本の一般市民がみんな中国人を「礼儀知らずで嘘つきで社会的に洗練されていない粗野な国民」だと信じているんだなあ、と思ってしまう。そしてたちまち「あんな酷いことをしておきながら、どの面下げてそれだけ偉そうにできるのか!」とはらわたが煮えくりかえるのだ。あの右翼の唾棄すべき宣伝を無力化するようにするにはどうしたらいいのか。
あのネット右翼の発言に、(へえ、みんなそう考えてるのか~。そう言われたらそうだなあ。)なんて思う人もいるんじゃないだろうか。帰属意識が強く、多数の意見に従い、角を立てずつつがなく暮らす態度が日本人の傾向として現存している限り、右翼の「多数の市民装い」活動は続くのだろう。
下が私の目を覚まさせた手紙である。
「原口さんへ」(王○○)
原口さん、こんにちは。私は王○○と申します。今までもう2年半日本語を習っています。が、まだまだ下手に加え、もともとすばらしい表現力を持っている人ではないので、不適切なことがあればどうかご勘弁ください。
現に最初大学に入ったばかりのことを思い出したら、本当に懐かしいです。その時は、何も思わずいつも日本語の勉強に取り組んでいて、正直に言えば、充実した一年間を過ごしました。でもそのような生活は一旦去って、二度と戻っていないです。
いつからかは分かりませんが、中日間の歴史問題が非常に気になっています。(言わなくても貴方は知っているでしょう。)このことが頭の中に何度も何度も浮かびます。これについて日本語を嫌がる気がします。大変なことに、この問題を考えれば考えるほど、ますます日本語を習いたくなくなります。すごく悩んでいます。
貴方の手紙の中に書いてある日本人の仕事に対する責任感のことには、私は反対する意見はありません。でも、それは狭い責任感だと思います。他国にこの上ない酷い罪を犯したのに、事実を承認する勇気もない民族は本当に責任感があるとは、絶対言えないじゃないですか。
実は1972年に中日国交を樹立した際に、条件として日本は再び靖国神社を参拝しないと日本の中曽根首相は承諾しました。【註:田中角栄の間違いでは?ブルーはーと】 でも、橋本龍太郎はこの約束を破りました。これは信用と言えますか?!
でも、これは完全に日本人を否定するのではありません。ただ、日本人は中国人に対するその辛い歴史について、中国人に謝るべきだと思います。同じ事を何でドイツ人ができるのに、日本人ができないのか?
けど、中国人が日本人から仕事の真面目な態度を教わるべきだということには賛成です。
貴方の手紙の中で、中国の映画の中で(日本に対しての)マイナスの宣伝のことを言い及ぼすことがありますね。それは二つの原因があると思います。一つは交流不足のせいです。これは時間がかかると思います。でも、これは最も重要な原因ではありません。何よりも、60数年前日本人が中国人に犯した罪がこの上なく深いせいです。もし日本人が本気で罪を謝れば、状況は少なくとも少しずつ変わるでしょう。ここまで言うまでもなく、私は中国人として日本人をまだ許していないです。
この手紙はタナカ先生にも見えると知っていますが、隠したいことはない。(実はこれについて、心の中では長くためらっていた。)もし、原口さん、或いはタナカ先生が私を説得して私の観念を変えられれば私も楽になります。それでしたらこのことについて悩むことはなくなるからです。
初め、これを読んだとき、(中国では、1995年8月の村山総理大臣の談話は伝わっていないのだろうか?)と疑問に思った。当時、村山総理の「謝罪声明」を聞いて、私はかなりホッとした記憶がある。(やっぱり社会党が政権取ると良いことがあるわ)とも思った。それまでは、政府が謝罪していないので、アジアの人々に対して申し訳なくて、心中いつもペコペコしていなければならなかった。ようやく顔を上げて挨拶ができるような気持ちだった。なので、この謝罪事実が伝わっているのか、いないのかは私にとっては重要だ。最後の授業があった今日、さりげなく王○○君のノートに、「日本歴代閣僚の謝罪発言」(ウイキペディア)を挟んで返した。そして、ノートには私個人の「日本人の一人としての謝罪文」も添えた。
中国人は日本人が思っているほど“何回も何回も謝られた”とは思っていない。というか、一回も謝ってもらっていないと思っている。このズレはどうして生じるのだろう。
“心から謝罪されていない”と思うのも当然に見えることが一つある。この間、ネットで中国関係の事件などへの書き込みを見ると、その多くがあまりにも感情的で、非論理的で、そして下品な非難に終始している。これはどう考えても、組織的に右翼がネットで市民を装って宣伝活動をしているとしか思えない。しかし、そう分かるのは日本人だからだ。中国の学生達はネットを見て、日本の一般市民がみんな中国人を「礼儀知らずで嘘つきで社会的に洗練されていない粗野な国民」だと信じているんだなあ、と思ってしまう。そしてたちまち「あんな酷いことをしておきながら、どの面下げてそれだけ偉そうにできるのか!」とはらわたが煮えくりかえるのだ。あの右翼の唾棄すべき宣伝を無力化するようにするにはどうしたらいいのか。
あのネット右翼の発言に、(へえ、みんなそう考えてるのか~。そう言われたらそうだなあ。)なんて思う人もいるんじゃないだろうか。帰属意識が強く、多数の意見に従い、角を立てずつつがなく暮らす態度が日本人の傾向として現存している限り、右翼の「多数の市民装い」活動は続くのだろう。
