「学生の手紙」の発端は、中国出身で中国残留日本人2世と結婚し、渡日して20年になる女性(原口さん;仮称)の文である。その文は、私が彼女に依頼して、日本語学科の大学生に宛てて書いてもらったものだ。日本と中国の両方を知っている人からのアドバイス(とりわけ同じ中国人からの提言)は、日本語を学ぶ学生にとって、きっと積極的な刺激になるだろうと考えたからである。
私の考えが甘かったと思うところがある。
それは、原口さんが現在生活しているのは日本であり、日本の経済、社会その他諸々について、また個人的な経験にしても批判的なことは書けないかもしれないと思い至らなかったことだ。彼女は、帰国者2世の連れ合いとともに一生懸命働いて一戸建ての家も新築し、日本での生活を着々と築き上げてきた。
私からみれば、一人の大阪市民であり、近所の若い友人の一人だった。つまり、日本についての忌憚ない意見を書ける条件を持っていると、いつものように自分勝手に思い込んでしまった。
彼女は、20年前に日本に来てからの苦労は一切書かなかった。書いたのは、日本に来て飛行機を降り立ったときの九州の町並みの美しさ、車が整然と走っている様子、日本の会社は「お客様は神様」を貫いていること、日本製品の品質の優れていること、そして最後に、中国製品はまだまだ甘い、製品への責任意識が足りない、次代のリーダー達よ、どうか頑張ってくれ、というものだった。
今なら分かる。彼女が日本にまだまだ遠慮しているということが。
無理言って書いてもらったときも嫌な顔一つせずに、忙しい会社勤めと家事の合間を縫って、最大の難関「日本語で文章を書く」ということに立ち向かってくれた。彼女は、日本に来て以来、日本語を勉強するチャンスに恵まれなかった。数ヶ月間、長崎の帰国者センターで講習を受けたに過ぎない。九州から大阪に引っ越してきて、子育てが一段落した4年前、大阪YWCAにある「近畿中国帰国者支援交流センター」(略称:支援交流センター)の戸口に立ったのだ。
当時週末だけそこで働いていた私は、彼女と出会ったとき、日本語文法以外のたくさんの質問を受けた。子どもの躾方、学習の補助はどのようにしたらいいか、塾はどんなところがいいか、PTAの会での話し方、職場の同僚との関係e.t.c. その時は怒濤のような質問に面食らったが、彼女は日本に来て以来、初めてそんなことを相談できる機会を得たのだった。(今まで、どれほど我慢して暮らしてはったんやろなあ)と思った。
彼女は特別なケースではない。日本で暮らす外国人、とりわけアジア人、その中でもとりわけ中国人は苦労している。日本人の中国嫌いに心底傷ついている。しかし、「嫌なら中国に帰れば?」と言われても彼女ら、彼らは日本で暮らそうと思ってやってきたのだ。おめおめと引き下がれるものではない。
「故郷に錦を飾る」という言葉が日本にある。同じ言葉は中国にもあるのだ。歯を食いしばって頑張るしかない、と日々、孤独感の中で奮闘している彼女ら、彼らは、日本の近所の友だちを切望している。気心知れた友人がいる生活とそうでない生活を想像すれば、どれほどその願いが当たり前のことかが分かる。
原口さん一家は、偶然にも私の住まいのごく近くに一戸建ての家を購入された。何回か遊びに行ったり来たりした。日本で暮らす外国人たちは、そんな普通の付き合いを望んでいるのではないだろうか。
原口さんが、「日本はね~、良いところもあるけど、ここがちょっとね~。」とか遠慮なく言えるようになるには、八っつあん、クマさんのような人がご近所の長屋にいなくちゃだめなのだ。ここ、中国に来て、ミズ劉を始めとする中国の八っつあん、クマさんに助けられている私は心から思う。
私の考えが甘かったと思うところがある。
それは、原口さんが現在生活しているのは日本であり、日本の経済、社会その他諸々について、また個人的な経験にしても批判的なことは書けないかもしれないと思い至らなかったことだ。彼女は、帰国者2世の連れ合いとともに一生懸命働いて一戸建ての家も新築し、日本での生活を着々と築き上げてきた。
私からみれば、一人の大阪市民であり、近所の若い友人の一人だった。つまり、日本についての忌憚ない意見を書ける条件を持っていると、いつものように自分勝手に思い込んでしまった。
彼女は、20年前に日本に来てからの苦労は一切書かなかった。書いたのは、日本に来て飛行機を降り立ったときの九州の町並みの美しさ、車が整然と走っている様子、日本の会社は「お客様は神様」を貫いていること、日本製品の品質の優れていること、そして最後に、中国製品はまだまだ甘い、製品への責任意識が足りない、次代のリーダー達よ、どうか頑張ってくれ、というものだった。
今なら分かる。彼女が日本にまだまだ遠慮しているということが。
無理言って書いてもらったときも嫌な顔一つせずに、忙しい会社勤めと家事の合間を縫って、最大の難関「日本語で文章を書く」ということに立ち向かってくれた。彼女は、日本に来て以来、日本語を勉強するチャンスに恵まれなかった。数ヶ月間、長崎の帰国者センターで講習を受けたに過ぎない。九州から大阪に引っ越してきて、子育てが一段落した4年前、大阪YWCAにある「近畿中国帰国者支援交流センター」(略称:支援交流センター)の戸口に立ったのだ。
当時週末だけそこで働いていた私は、彼女と出会ったとき、日本語文法以外のたくさんの質問を受けた。子どもの躾方、学習の補助はどのようにしたらいいか、塾はどんなところがいいか、PTAの会での話し方、職場の同僚との関係e.t.c. その時は怒濤のような質問に面食らったが、彼女は日本に来て以来、初めてそんなことを相談できる機会を得たのだった。(今まで、どれほど我慢して暮らしてはったんやろなあ)と思った。
彼女は特別なケースではない。日本で暮らす外国人、とりわけアジア人、その中でもとりわけ中国人は苦労している。日本人の中国嫌いに心底傷ついている。しかし、「嫌なら中国に帰れば?」と言われても彼女ら、彼らは日本で暮らそうと思ってやってきたのだ。おめおめと引き下がれるものではない。
「故郷に錦を飾る」という言葉が日本にある。同じ言葉は中国にもあるのだ。歯を食いしばって頑張るしかない、と日々、孤独感の中で奮闘している彼女ら、彼らは、日本の近所の友だちを切望している。気心知れた友人がいる生活とそうでない生活を想像すれば、どれほどその願いが当たり前のことかが分かる。
原口さん一家は、偶然にも私の住まいのごく近くに一戸建ての家を購入された。何回か遊びに行ったり来たりした。日本で暮らす外国人たちは、そんな普通の付き合いを望んでいるのではないだろうか。
原口さんが、「日本はね~、良いところもあるけど、ここがちょっとね~。」とか遠慮なく言えるようになるには、八っつあん、クマさんのような人がご近所の長屋にいなくちゃだめなのだ。ここ、中国に来て、ミズ劉を始めとする中国の八っつあん、クマさんに助けられている私は心から思う。