毎日がちょっとぼうけん

日本に戻り、晴耕雨読の日々を綴ります

「便利、便利と暮らしてきたが…」  2012年2月14日(火) No.283

2012-02-14 22:51:26 | 中国事情
 私が3、4歳の頃、家に電気はなく、ランプや安全燈のほや(ガラスの筒)を磨くのは小さい手をしている子どもの仕事だった。小学校に入るか入らないかの頃、父が水力自家発電で家に電気を引いた。以前も書いたとおり父は尋常小学校4年までしか行っていない。
 私は父がどのようにして発電の知識を得、実際に発電までこぎ着けたかなど考えることもなく、その明るさを享受していた。ある夜、近所のおばさんが来て
「ここの家は都会のようだねえ。ほんとに明るくていいねえ。」
と羨ましがった。その時私は『とかい=明るい』と覚えた。
 
 雨が降った時は(そんなに光らんでも…)と思うほど煌々と輝き、川の水かさが減るとライトはいつ消えるか心許ないという激しい落差はあったものの、私は自分の家の電気を自慢に思った。明るくなったからと言って夜勉強した記憶は全くないが、多分好きな漫画を繰り返し読んだに違いない。家族の表情もみんな明るかった気がする。ちょっとお正月が来たときにも似て…。
 これはこのブログのNo.154(2011年6月19日)にも書いたことだ。

 もしランプ生活がさらに続いていたら、と考えてみた。
部屋の隅の方は暗いし、廊下はもっと暗い。真っ暗な別の部屋に行くときは、安全燈を持っていかねばならない。安全燈はランプと違って床に置けるが、蹴躓くとたいへんだ。私のようにうかつな人間にとって安全燈はちっとも安全じゃない。夜中にどうやってトイレに行っていたんだろう。外の月明かりか雪明かりを頼りにしていたんだろうか。ああ、スイッチ一つでどの部屋も明るくなる電気は、どんなにありがたいものであることか。

 暖房もそうだ。最初は薪ストーブだった。それから石炭になり、おがくずストーブなんかもあった気がする。そして石油ストーブの到来。さらに石油ファンヒーターなどと言って、臭いもほとんど感じない高性能暖房機が開発された。
 本州では(関西では)、石油ファンヒーターよりガスストーブを好んで使う家が多いようだったが、今の暖房はエアコンを筆頭に、電気こたつ、電気カーペットなど電気が中心だろう。臭いもないし、ガス中毒になる心配もない。第一クリーンである。

 水も井戸からポンプ、ポンプから水道に変化した。ありがたい。トイレもボットンから水洗になり、ウシュレットまでできた。日本はすごい。アメリカのシアトルでウシュレットを懐かしむと、地元の先生から冷ややかな視線が返ってきたものだ(自慢するな!という感じで)。

 日本は何でも本当に便利になった。ああ~、シアワセ~!ってか?
ほぼ60年生きてきた中で、ときどき(みんなが幸せになる社会になればいいなあ)と思った。
しかし、その、幸せって何?と考えたとき、「便利な生活=幸せ」ではなかった。「便利でありがたい」とは思う。だが、幸せはそういうことじゃない。多くの人もそう感じていると思う。だから「豊かになったって言うけど、実感ないんだよね~。」というつぶやきが出るのだ。

 どこからそうじゃなくなったのか。
中国江西省の村の人達はちっとも不幸せに見えないどころか、人々の表情にはかなり充足感が認められた。電気はかろうじて引かれていたものの、水道はなし、0℃近い朝でも暖房はなし、小学校も本屋も喫茶店ももちろんインターネットもない、超不便な生活なのに。
結論;やっぱ、キーワードは『自然』だな。自然から離れすぎたらダメだ。そう確信する。
コメント (2)
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