河村、石原といったヒトたちは、
地球には日本だけではなくすぐ側には朝鮮半島があり、中国大陸があり、台湾があり、・・・
ということを、どれほど実感しているのだろうか。
日本人の高邁な美意識に「他を思い遣る」ということがあると
世界中で褒めそやされているにもかかわらず
このあまりの鈍感さ。
ときどき感じるのだが、「日本人は他を思い遣る」といっても
それは往々にしてとても狭い「見える範囲」の中に留まっているのではないか。
自分が所属するところだけ、つまり身内だけでの温かい気配りや交流なのではないか、と。
(最近はそれすらない、という声も…)
昨夏の休みに関西に戻った後、私は東北に行った。
そして再び関西に戻ったときに言われた言葉に
「なんで東北なんかに行ったの?」
「もう気が済んだ?」
「元気だね~。」
「我も我もとみんな東北へ行く風潮はいかがなものか。」
・・・・・・
(こんなに近いところに東北があるのに、関西からは見えていないのか)と感じた言葉だった。
私が会った東北の人たちは
「とにかく来て下さい。ボランティアの人たちの顔見たら、せめて昼間だけでも元気にしていようと思えます。東北を忘れないでください。」
と言っていたのだが。
今、自分だけではなく、他の人の存在を感じ続け、
他の人のためにできることは何か、と考え続けることが大切なのではないだろうか。
もちろん日々は忙しい。
自分の生活をキープすることが一番の基本だ。
その生活を保持しながら、自分が継続してできること、
あるいはときどきならできることをしていく。
これは日本人の美意識に合致するカッコイイことである(スコップ団の団長風言い方)。
そして、「他の人」の中には「外国人」もぜひ加えてほしい。
身内と外とに厚い壁を作らないでほしい。
大阪のおばちゃんも、ここ南昌のミズ劉も、中国の学生達も、
一生懸命生きている同じ人間なのだから。
地球には日本だけではなくすぐ側には朝鮮半島があり、中国大陸があり、台湾があり、・・・
ということを、どれほど実感しているのだろうか。
日本人の高邁な美意識に「他を思い遣る」ということがあると
世界中で褒めそやされているにもかかわらず
このあまりの鈍感さ。
ときどき感じるのだが、「日本人は他を思い遣る」といっても
それは往々にしてとても狭い「見える範囲」の中に留まっているのではないか。
自分が所属するところだけ、つまり身内だけでの温かい気配りや交流なのではないか、と。
(最近はそれすらない、という声も…)
昨夏の休みに関西に戻った後、私は東北に行った。
そして再び関西に戻ったときに言われた言葉に
「なんで東北なんかに行ったの?」
「もう気が済んだ?」
「元気だね~。」
「我も我もとみんな東北へ行く風潮はいかがなものか。」
・・・・・・
(こんなに近いところに東北があるのに、関西からは見えていないのか)と感じた言葉だった。
私が会った東北の人たちは
「とにかく来て下さい。ボランティアの人たちの顔見たら、せめて昼間だけでも元気にしていようと思えます。東北を忘れないでください。」
と言っていたのだが。
今、自分だけではなく、他の人の存在を感じ続け、
他の人のためにできることは何か、と考え続けることが大切なのではないだろうか。
もちろん日々は忙しい。
自分の生活をキープすることが一番の基本だ。
その生活を保持しながら、自分が継続してできること、
あるいはときどきならできることをしていく。
これは日本人の美意識に合致するカッコイイことである(スコップ団の団長風言い方)。
そして、「他の人」の中には「外国人」もぜひ加えてほしい。
身内と外とに厚い壁を作らないでほしい。
大阪のおばちゃんも、ここ南昌のミズ劉も、中国の学生達も、
一生懸命生きている同じ人間なのだから。