毎日がちょっとぼうけん

日本に戻り、晴耕雨読の日々を綴ります

「名古屋市長発言」   2012年2月25日(土) No.293

2012-02-25 23:15:45 | 中国事情
 「南京大虐殺(1937年)がなかった」と
名古屋市長の河村さんが
よりも依って南京からの友好使節団を前にして発言した。
そんな爆弾発言をするのだからよっぽどの証拠があってのことかと思える。
普通の人は、証拠もないのにそんなこと言わんもんね。

河村市長が信ずる根拠は、何だろうと調べてみた。
それは次のようなことだった・・・。
彼のお父さんが1945年終戦直後に南京に入り、
当時の南京市民に手厚く世話になって、何とか日本に帰って来られた。
8年前に日本軍による大虐殺があったら、
そんなもてなしを受けるはずがない、というのだ。
そのあまりにも主観的で理由にならない理由にあきれた。
なんでも大声で言ったら今の日本では通用するようだ。
大声で高飛車に言いまくったら人気も出るのだろう。

 そもそも河村さんが「南京大虐殺はなかった」と主張する
理論的?根拠として上げたのが東中野修道と言う人の本だ。
東中野修道(亜細亜大教授らしい)は
「南京大虐殺はねつ造だった。写真も信用できない。
被害者と主張している女性は写真とは別人」
などと主張して最高裁で敗訴し(2009年)、その女性に400万円支払えと裁判官に決定を下され、さらに
「原資料の解釈はおよそ妥当なものとは言い難く,
学問研究の成果というに値しないと言って過言ではない。」
とまで断罪された人物だ。

 今日もネットで右翼(ネトウヨって言うの?)が、
「南京大虐殺があったとほざくやつがまだおる」
などと汚い言葉を使っていたが、本当に客観的証拠をもとに
「南京大虐殺はなかった」と言っているのか見せてみろと言いたい。
そりゃ、日本人がそういう酷いことをしなかったなら、どんなにか良かっただろう。
日中関係だって、こんなに拗れ続けてはいないはずだ。

高校生の時、日本史の授業で先生が準備した南京大虐殺の写真集を見て、
正視できず、信じられず、頭の中が白くなった自分を思いだす。
中国に戦争に行った自分の父が何をしていたのか、聞くに聞けずただ情けなかった。
(みんなおじいさん達は優しい顔して孫をだっこしたりしているけど、
戦争で何やってきたんだ!外国人は殺しても自分の孫は可愛いのか!)
と一時疑心暗鬼になった。

その後、大岡昇平の文を読んだり、映画「ゆきゆきて神軍」とか見たりする度にモヤモヤした。
そうはいっても、普通の社会で暮らしているだけでも、
流れに逆らうことの難しさを感じる日本社会だ。
軍隊で命令に逆らうなんてできないわな、とも思った。
そして数年前大阪の十三の映画館でドキュメンタリー映画「蟻の兵隊」を見た。
兵隊たちも、戦争が終わって兵隊じゃなくなってからも、
ずっと中国でしたことで苦しんで生きてきたんだと思い、
何かようやくホッとする気がした。

 南京大虐殺の証拠は世界中にあると書いてある記事がある。
当時南京に滞在していた欧米系ジャーナリスト5人が、
日本軍の虐殺が本格的にスタートした1937年12月15日前後について書いている記事だ。
これは明日にしよう。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「腰痛肩こり☆でも花金だ!」  2012年2月24日(金)  No.292

2012-02-25 00:07:32 | 中国事情
 二学期が始まったばかりなのにもうかなりくたびれている。
初日というのは過度のサービス精神が働くのだろうか。
やたら元気のいい声で(部屋に独りでいるときの飾り無しの自分では全くない)、
各クラスで二学期の所信表明などをぶち上げるからだ。

 宿題もてんこ盛り返ってきた。
ああ、何考えてこんなに宿題を出してしまったのであろうか。
特に可愛い2年生には、鬼のように多くの作文課題を与えてあった。
それを抱えて宿舎に戻り、赤ペンでチェック開始。
土日で全部見られるとは到底思えないが
地道にコツコツやるしかない。
「私と日本語」というテーマの作文を読むと、
多くの子が、好きでもないのに日本語学科に入れられて、
嫌々勉強を始めたことを書いていた。正直でいい。
その中の一つ。
自分のこともホメられているので気をよくして紹介しよ~。


 「私と日本語」 雷国華
 
 昔の戦争のことで、私は日本人が嫌いで日本語も嫌いでした。
でも、大学に入って意外にも私は全く希望していない日本語学科の学生になりました。
最初、私はとてもがっかりしました。
(私の大学生活はどうなるんだろう)と思いました。
毎日、毎日、日本語の単語と文法の暗記、日本語のアクセント練習です。
そして、日本語の文章を暗唱します。
(高校時代、私は理科系学生だった。でも今は名実共に文科生。大学生活はつまらないなあ)

 しかし、時間が経つにつれて単語や文章の暗記は、そんなに難しくなくなってきました。
日本語で他の人と簡単な会話が作れたとき、私は本当に嬉しかったです。
さらに、日本のアニメやテレビドラマが面白いので、日本語も面白くなりました。
私は成績は良くないけど、日本語が好きになってきました。

 [ブルーはーと]先生に出会いました。先生は無私な日本人教師です。
先生は私たちと同じように戦争が嫌いです。日本人は冷淡ではないです。
[ブルーはーと]先生のために、いつの間にか私の日本人についての先入観が消えました。

 日本語を勉強中、私はいつも、知らず知らずのうちに日本語と中国語を比べています。
中国語に比べ、日本語は規則が多く、単語の選択も気をつけなければなりません。
また、地位身分によって敬語など、語態の転換が必要です。
さらに、日本語にはたくさん女性用語と男性用語がありますが、中国語では
性差による言葉の違いは少ないです。
 日本語は中国語から発展したとも言われますが、この二つには色々な違いがあります。
私は絶対一生懸命日本語を勉強します。


 「無私」とか言うのはちょっと言い過ぎだけどお~。
日本語や日本人と出会うことで「日本嫌い」のしこりが消えていくのなら、
いくらでも宿題出しましょ。
今は日本人がどんどん中国に来たり、中国人が日本に行ったりすることができる時代だ。
そうすることで、お互いに
「自分の国が何でも一番えらい」とは思わなくなるんじゃないか。
大昔の人々は、国なんか背負わずに気楽に行ったり来たりできていた。
今の人間たち、ちょっと凝り固まっている気がする。国を守るって何よ。
自分の国だけ守ればいいわけ?
その考えは『自分さえ好ければ他はどうでもいい』という思考回路の
カッコワルイ発想だよね。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする