毎日がちょっとぼうけん

日本に戻り、晴耕雨読の日々を綴ります

「震災3年目の『ありがとう』」 2013年3月14日(木) No.590

2013-03-14 19:24:32 | 日記
菊田心くんの詩「ありがとう」を1年、3年クラスで紹介した。

1年生は2年前の3月11日、受験勉強真っ最中の高校生だったが、
東日本大震災のことはもちろん知っていた。
ちょうど石田キコさんが授業に参加してくれていたので、
私が日本語を朗読し、中国語に訳してもらった。
「ありがとう」の詩が
クラスの子たちの心に染み込んでいく様子が実感できた。
ちょっとウルウル(;_;)の人も・・・。

2年前、周りの中国の人たちから、
「四川大地震のときは助けてもらったから、
今度は中国が助ける番です。
中国から救助隊が日本に行って頑張っているのが嬉しい。」
「災害のとき、国境は関係ない。」
「自分たちは日本に行って手伝いたいけど、
それもできない。でも、祈っています。」
「日本人は優秀な民族。きっともっといい国に立て直せる。がんばれ!」
そんな励ましをたくさんもらった。

私もたくさんの「ありがとうございます」を言った。
日本代表で一生懸命、応援の言葉や気持ちに対してお礼を言った。
被災地の人々に代わってではなく、
被災したのは自分の故郷の国だから、
簡単に言えば、被災は自分の事だと思った。

日本に戻ったとき、
日本人は2種類いた。
東日本大震災を自分のことと思う人と、他人事の人と。
夏休みに東北ボランティアに出かけた際、
教え子だったある中学生は、
「先生、なんで東北なんか行くん?」
と言い、また、他のある人は
「みんながみんな、我も我もと東北詣でするのは如何なものか。」
と批判的だった。
東北の人々があれほど、
「とにかく、来てください。何もしなくてもいいから、
私らに会いに来てください。」
と言っていたというのに。
たった2泊3日のボランティアたちをも
涙で送ってくれた宮城県松島のお姐さん方のことは忘れられない。
大阪は遠くて、
気遣いがズレているのかもしれなかった。

中国江西省のここの人たちは率直だ。
同情も、共感も、感動も。
気を使って何もしないほうがいいと判断することはまず有り得ない。

今日は我が同志たち、3年生のクラスで
菊田心くんの詩と「上を向いて歩こう」の歌の練習をした。
2年前の3・11の時、彼女ら、彼らは1年生で、
私が教室に入っていくと心配そうにひっそりとしていた。
そして、事態の進展を私と一緒に一喜一憂してくれた。
去年の3・11には、私の呼びかけに応えて
「日本の被災者に思いを馳せる集い」を主催した。
いろんなことを共にしてきたこの学年に対する信頼は厚い。

私は今日、彼女ら、彼らに菊田心くんの詩を借りて
この二年間のことを「ありがとう」と言えた。








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