毎日がちょっとぼうけん

日本に戻り、晴耕雨読の日々を綴ります

「大学生活と図書館~ある学生の意識」 2013年3月21日(木)No.597

2013-03-21 18:14:21 | 中国事情
江西財経大学の学生の意識の一端が垣間見られて
興味深いのが作文である。
私は作文を「それ書け、やれ書け」と書かせるので、
学生たちは大迷惑なことだろうが、
その作品はこのブログに掲載されたりして、生の中国大学生の声を
日本に届け、中国に対する理解を深める一助になるのだから、
我慢して書き続けてもらうしかない。(^O^)

下の作文に対して、
日本のみなさんはどんな感想を持つだろう。
もちろん、これは一人の学生の意見であって、
みんながみんなこうではない。
しかし、我が大学では多くの学生が似たような意識を持っていると思う。
日本の学生諸君、
読んで、驚愕のあまりひっくり返らないようにね。
ドーンと真正面からの生真面目意見文ですから。


「大学生活と図書館」 三年 董こうき

 大学というとまず、広いキャンパスや我が家のような寮などが思い浮かぶだろう。
小学校から高校時代に比べて毎日がずいぶん気軽に送れる。
時間に余裕があり、友達と一緒に商店街に買い物に行ったり、
名所旧跡に遊んだりもできるだろう。
しかし、大学生活の霊魂は何であるかと質問されると、
あなたの答えは何であろうか。
筆者にとって、大学というのは学問を身につけるところなのである。
ゆえに、大学生活は図書館を中心にして送るべきだと思うのだ。

 それでも図書館については人によって理解が違う。
図書館と言えば、数多くの書籍がある場所である。
どんな分野の書籍でも探したら見つけられるだろう。
大学図書館の最も大きな役割は、
大学生に、静かで、便利な学習環境を提供することだ。

 しかし、人によって、図書館で学習する意味に差があるのだ。
 まず、学者のように毎日図書館で弛まず真理を追求している人がいる。
そのような人は授業時間だけでなく、時間があったら必ず図書館に行って、
新しい知識を探したり、難しい問題を解決したり、視野を広げたりするのだ。
こんな人は大学生の中で、エリート、あるいは模範と言っても過言でない。
 次のタイプは、時々図書館に行く学生たちだ。
なぜならば、先生は宿題を出すし、寮は賑やかなので、
図書館に行くしかないからだ。
前例と同じように学習と呼ばれるのだが、本質は全然違うように思う。
前例は学問を追求する行為なのだ。
二例目の人が図書館に行くのは、タスクを終える目的なのである。

 最後の例を挙げる前に質問がある。
ご存知のように、いつでも期末試験が近づくと、図書館は急に混んでくるのだ。
早く行かなければ、座席を確保できない。
表面だけ見れば、その時の皆は本当に努力しているように見える。
しかし、ここに疑問がある。
普通の日はどうしてそんなに空くのだろうか。
普通時と期末時の対照が非常に明らかなのだ。
 原因は、普通の日は努力しなかったので、期末の時だけでも努力しなければ
試験に合格することが不可能だからである。

 人間は創造力がある高級動物なので、できないことがないのだ。
ある学生にとっては、図書館はそれそのものというだけでなく、
彼の高級アパートと化している。
なぜならば、図書館にはエアコンや無線インターネットがあり、
無料で使用できるからだ。
またある人は、パソコンや携帯を持って図書館に来る。
この人は座席に座らないし、本棚の書籍を探さない。
何をするのか。
パソコンをソファに置いて、自分自身は横になり、
ネットサーフィンをしたりゲームをしたりするのだ。

 図書館は大学の霊魂として、大学生活の中で重要な役割を担うものだ。
人によって図書館の意義が違うと言っても、大学生たる者、
学問を追求し、知識を身に付け、技能を高めなければならない。
図書館は未来を拓く金の鍵なのである。
ここには人間の文明成果や知恵が溢れている。
私たちは大学生活を大切にしなければならない。
即ち、図書館を抱えて、心理を探求し、学問を追求するべきなのだ。


この作文を口先だけと勘違いするなかれ。
この大学の多くの学生たちは、実に早朝から夜遅くまで、
ひたすら勉強に励むのである。
日本でこんな風景はまず見られないだろう。
中国が元気だという証拠をまざまざと見せ付けられる日々である。
真面目に頑張ることをためらったり、ワルでれしたりする必要無し。
(そう言って、自分は非常に不真面目だったブルーはーと・・・(//∇//))
コメント
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