毎日がちょっとぼうけん

日本に戻り、晴耕雨読の日々を綴ります

「学生に世話をかけた先週の日々」 2013年3月25日(月)No.602

2013-03-25 21:20:38 | 中国事情
日本で友人知人たちによく言われるのが
「中国語もロクに話せないのによく何年も中国で暮らせるね。」
という言葉だ。
「イヤなになに。」
と鷹揚に応える私だが、それもこれもあれもどれも、
み~んな学生のおかげである。
ここでの三年弱の滞在が快適に推移している陰で
どれほど学生諸君が支えてくれてきたことか。

例えば先週金曜日の夜のこと。
財大2年、3年の26人は東華理工大学に出かけて
合同日本語コーナーを開催したが、そのとき大雨に見舞われた。
みんな、傘を持って来ていなかったし、
スコール的通り雨だろうと判断して、しばらく雨足が遠のくのを待つことになった。
私だけは、日本語学科の主任朱老師が手配してくれた車が
門前で待っているというので、大雨の中を(幸い傘を持っていたので)一人出発した。
ひざ下洪水状態をかき分けて、門まで必死でたどり着いたというのに、
車は来ない。
その間、4年生の洪さん、3年の陳さんから何度も電話が来て、
「先生、車に無事乗れましたか。」
「車はもう来ましたか。」
と気をもんでくれる。
自分たちだって教室に取り残されているというのに、
この日本人老師の心配ばかりしているのだ。
更に、大学院生の楼さんまで蛟橋園から
「先生、どこにいますか。友達に頼んで車で迎えに行きましょうか。」
と電話してくれて、イヤハヤ。
ひざ下ずぶ濡れなど、全く気にもならなくなる。
そのうち雨が弱まり、学生達も引き上げてきた。
2年生はそのまま帰ったが、「大丈夫だから。」と言うのに3年生は皆帰らない。
結局、手配の車は大雨でエンジンが動かなくなり、立ち往生していると
洪さんが電話で確認し、
みんなでミニバスにすし詰めで財大麦路園に行き、女の子たちだけそこで降りて
陳さん、黄さんの男性二人が私のために蛟橋園まで一緒に乗って来てくれた。
そして、私の安全を確認し、また麦盧園に向かうミニバスを探して帰って行った。
後で知ったが、途中降りた時中国語でワイワイ言っていた女の子たちは
私の分まで運転手さんにお金を払っていたのだ。
こうなると、もう私は小っちゃい子同然で、
学生たちが私の親のようなものだ。

ここまで捨て身で親切にされると、
本当に感激する、て言うか感動する。
(中国人は徳があるなあ。こんな若者までトコトン親切なんだから)
と心から思う。
日本も徳で返さなくちゃ、とどうしても思う今日この頃だ。
実はその翌日も、また洪さんに世話になったのだが、
長くなるのでまた今度ね。
コメント (2)
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