1937年7月7日、
日中戦争の導火線となった盧溝橋事件が起きた日です。
中国では、この日や9月18日(満州事変の日)は特別な日として、
各地で行事をしたり、サイレンを鳴らしたりして歴史を振り返ります。
日本ではそういうことをしていませんね。
7月7日を七夕と同時に盧溝橋事件の日と思う日本国民は少数だと思います。
しかし、スル―してはならない加害の歴史の記念日です。
いくら都合の悪い歴史でも、それをなかったことにはできないのです。
そんな今日、私は『戦後70年 東アジアの未来へ!市民宣言発表』の会に
行ってきました。
そこで経済学者の浜矩子さんのお話があったのです。
直(じか)に聞く浜さんの声は、高くなく低くなく、太めで、
力があり、でも政治家のような話し方ではなく、あくまでも学者でした。
私は人の声や話振りを聞いてあれこれ想像するのが好きです。
今日もそうでしたが、それはさておき、
話の骨子を簡単にご紹介しますと、
①アホノミクス(浜さんは意図的に「アベノミクス」と言わずこう言います)と
安保政策の密接な関連について、
②次の70年をどう共に生きるのか、
ということでした。
ナルホド!と思ったことをメモします。
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①について
「安倍さんの安保政策はダメだが、アホノミクスはいいのでは?」と
ゆめゆめ思うなかれ。この二つの政策は彼にとって同じものであり、
表裏一体の関係にある。
「トリクルダウン」など、歴史的に一度も証明されたことがない幻の経済効果である。
「トリクルダウン」という言葉は、第二次世界大戦下のアメリカで生まれたもので、
「上を温めれば上から下に滴のようにちょろちょろとおこぼれがしたたり落ちる」
という当時の政権の発想が不遜であり、国民蔑視であるという主張の中で生まれた
批判的な意味合いの言葉であるのに、
それをそのまま「トリクルダウン効果がある」と使うこと自体が、
アホノミクスの厚顔無恥さのみならず、
誰のための方策であるか、どこを見ているのかをさらけ出している。
昨年初め、彼が年頭所感で3回も「取り戻す」と言ったその内容は、
・強い日本を取り戻す
・強い経済を取り戻す
・誇りある日本を取り戻す
であるが、『強いもの、大きいもの、上つ方が温まればそれでよい』
というアホノミクスは、彼がある特定の層しか視野に入れていないことを示している。
また、強いこと、大きいことが国の基盤であるとし、
「誇り高いこと」イコール「強いこと」とすることは、
彼の幼児性を表現して余りある。
安保法制は現象としてアメリカ追随であることは当然押さえておくが、
しかし、安倍の野望はアメリカのために戦争できる国にするのではなく、
日本が大日本帝国になることであることを見てとらねばならない。
『戦後レジーム』とは日米安保体制そのものである。
安保体制を踏み台として、自らの野望を実現しようとしている。
彼の野望とは未来志向とは真逆、後ろ向きの「日本を取り戻す」ことである。
(安倍の未来は、我々の過去である)
②について
私たちが、次の70年をともに生きる方策は何か。
本当の積極的平和主義を掲げ、実践することである。
戦争を放棄する以上の積極的平和主義はない。
〈〈そのための3つのポイント〉〉
①実現すべき1つのこと:私たちがしっかりと大人になること。
『今や子どもじみた振る舞いと決別するときがきた。』(聖パウロのコリント人への手紙)
大人と子どもの決定的な違いは、次のようなことである。
大人は他人の痛みが分かる。
大人は他人のために泣ける。
もらい泣きすることができるのが、大人の素養である。
クリティカルな意味で、大人の成熟さが今ほど問われている時はない。
加害の歴史に向き合うとはそういうことである。
ちなみに、経済学の父、アダム=スミスは「国富論」で、
『経済活動の本質は共感性を有する人間による活動である』と述べた。
(もらい泣きの経済学)
②目指すべき1つの場所:正義と平和が抱きあう場所に到達しなければならない。
『慈しみと誠はめぐり会い、正義と平和は抱きあう。』(旧約聖書)
③整えるべき3つの道具:耳と目と手
耳―傾ける耳。どんなに小さく、弱く、遠くても救いを求める人の声が聞こえる耳。
目―涙する目。人の痛みを我が痛みとしてもらい泣きする目。
手―差し伸べる手。救いを求める人に差し伸べる手を保持すること。
「取り戻したがり病」の安倍の3つの道具は、
聞こえない耳・涙枯れた目・奪い取る手である。
「取り戻したがり病」は安倍のみならず、グローバル時代の病である。
それを超えるために私たちは、
大切な1つのことを実現し、
大切な1つの場所に到達し、
大切な3つの道具を整えなければならない。
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大体こんな感じだったかな。
浜矩子さん、潔し!