今日夕方、大阪の扇町公園で戦争法案反対の集会&デモがあるというので、
出かけていきました。
先輩が一連の戦争法案と対決する行動予定を
メールで知らせてくださったので、
友だちに拡散し、自分の行ける日に印をつけて
仕事のように出かけて行こうと決めたのです。
そう、戦争に反対することは生きている限り一人ひとりの仕事です。
私はどこが主催するのかもお構いなしに、勇んで出かけて行きました。
行ったところ、あちこちの組合の旗が目立ちました。
「普天間基地即時撤去 辺野古に基地は作らせない」
の旗を見て、思わず吸い寄せられるように近づきました。
あと、元自衛官による「自衛隊員の悩みごと相談」の旗も興味を引きました。
大急ぎで各グループの挨拶があり、集会決議を採択してデモ出発です。
デモ申請の時刻が気になるのでしょうが、進行係がアナウンスで
「次、○○グループが続いてください。早く!」とか言うので、
自分のことを言われたわけではないですけど
(何様やねん)とむかっ腹が立ちました。
私は全く個人で参加したので、適当に後列のグループに混じりましたが、
それはあまりラッキーな選択ではなかったと後で思い知りました。
その隊列は、初めから終わりまで同じ何種類かのシュプレヒコールを
昔風な「○○~ はんた~い!」の言い方で繰り返すだけです。
しかも長いのがあって
(例:「橋下維新は 戦争法案制定の 手助けをするな~」)
途中で何を言うのか忘れてしまうのです。
私はだんだんつまらなくなってきました。
それでなくともデモは7時過ぎからで、一日の疲れが出る頃です。
周りの多くの参加者たち(特に女性たち)がシュプレヒコールを無視して、
ぺちゃくちゃお喋りをしているのも気になりました。
(おいおい、お喋りに来たのかい。
『大阪のおばちゃん』はどこでもいつでも私生活なんだから)
と、幻滅感に拍車がかかってきました。
そのうち、後ろからトントンと肩を叩かれました。
ハッと気がつくと、私は赤信号でとまった時、
そのまま立って寝ていたのでした
我が人生でデモに参加したことは数限りなくあれど、
デモをしながら寝てしまったのは初めての体験でした……。
辺野古のキャンプシュワブゲート前の緊張した座り込みとは真逆の
何とたるんだデモ。
私だけがたるんでいたとは思いません。
失礼千万でしょうが、歯に衣を着せずに言うと、
へたくそな授業を受けている学生の気分、
まったく興味をひかない芝居を見ている気分、
そんなのと共通する気持ちが湧きました。
デモは私たち参加者の表現活動の場なのですから、
もっと私たちの気持ちを引き出し、昂揚感を持たせ、
道行く人にもアピールするものでなければなりません。
シュプレヒコール一つとっても、いくらでも工夫できるでしょう。
山城ヒロジさんのシュプレヒコールの言葉の選び方は、
たとえばこうでした。
「翁長さんをおうえんするぞー」
「翁長さん、がんばれー」
「辺野古ブルーがんばれー」
「テント村がついてるぞー」
「島ぐるみがついてるぞー」
「読谷村がついてるぞー」
「宜野座村がついてるぞー」
「那覇がついてるぞー」
「みんなでがんばるぞー」
「勝つまでがんばるぞー」
♪座り込め~ ここに ここに 座り込め~♪
とまあ、とても短く分かり易く、そして、参加型なのでした。
この真似をして、
「野党、 がんばれー」
「国民がついてるぞー」
「関西も がんばるぞおー」
「大阪市民も がんばるぞー」
「東京と連帯するぞー」
「京都と連帯するぞー」
「沖縄と連帯するぞー」
「戦争を させないぞー」
とかしたら、そして時々歌も歌ったらどんなに楽しかろうと
居眠りを反省しながら私は思ったのでした……。