毎日がちょっとぼうけん

日本に戻り、晴耕雨読の日々を綴ります

「デモで初体験」2015年7月10日(金)No.1398

2015-07-10 22:41:11 | 反戦平和

 今日夕方、大阪の扇町公園で戦争法案反対の集会&デモがあるというので、

出かけていきました。

先輩が一連の戦争法案と対決する行動予定を

メールで知らせてくださったので、

友だちに拡散し、自分の行ける日に印をつけて

仕事のように出かけて行こうと決めたのです。

そう、戦争に反対することは生きている限り一人ひとりの仕事です。

私はどこが主催するのかもお構いなしに、勇んで出かけて行きました。

 

行ったところ、あちこちの組合の旗が目立ちました。

「普天間基地即時撤去 辺野古に基地は作らせない」

の旗を見て、思わず吸い寄せられるように近づきました。

あと、元自衛官による「自衛隊員の悩みごと相談」の旗も興味を引きました。

大急ぎで各グループの挨拶があり、集会決議を採択してデモ出発です。

デモ申請の時刻が気になるのでしょうが、進行係がアナウンスで

「次、○○グループが続いてください。早く!」とか言うので、

自分のことを言われたわけではないですけど

(何様やねん)とむかっ腹が立ちました。

私は全く個人で参加したので、適当に後列のグループに混じりましたが、

それはあまりラッキーな選択ではなかったと後で思い知りました。


その隊列は、初めから終わりまで同じ何種類かのシュプレヒコールを

昔風な「○○~ はんた~い!」の言い方で繰り返すだけです。

しかも長いのがあって

(例:「橋下維新は 戦争法案制定の 手助けをするな~」)

途中で何を言うのか忘れてしまうのです。

私はだんだんつまらなくなってきました。

それでなくともデモは7時過ぎからで、一日の疲れが出る頃です。

周りの多くの参加者たち(特に女性たち)がシュプレヒコールを無視して、

ぺちゃくちゃお喋りをしているのも気になりました。

(おいおい、お喋りに来たのかい。

『大阪のおばちゃん』はどこでもいつでも私生活なんだから)

と、幻滅感に拍車がかかってきました。


そのうち、後ろからトントンと肩を叩かれました。

ハッと気がつくと、私は赤信号でとまった時、

そのまま立って寝ていたのでした

我が人生でデモに参加したことは数限りなくあれど、

デモをしながら寝てしまったのは初めての体験でした……。

辺野古のキャンプシュワブゲート前の緊張した座り込みとは真逆の

何とたるんだデモ。

私だけがたるんでいたとは思いません。

失礼千万でしょうが、歯に衣を着せずに言うと、

へたくそな授業を受けている学生の気分、

まったく興味をひかない芝居を見ている気分、

そんなのと共通する気持ちが湧きました。

デモは私たち参加者の表現活動の場なのですから、

もっと私たちの気持ちを引き出し、昂揚感を持たせ、

道行く人にもアピールするものでなければなりません。

シュプレヒコール一つとっても、いくらでも工夫できるでしょう。


山城ヒロジさんのシュプレヒコールの言葉の選び方は、

たとえばこうでした。

「翁長さんをおうえんするぞー」

「翁長さん、がんばれー」

「辺野古ブルーがんばれー」

「テント村がついてるぞー」

「島ぐるみがついてるぞー」

「読谷村がついてるぞー」

「宜野座村がついてるぞー」

「那覇がついてるぞー」

「みんなでがんばるぞー」

「勝つまでがんばるぞー」

♪座り込め~ ここに ここに 座り込め~♪

 

とまあ、とても短く分かり易く、そして、参加型なのでした。

この真似をして、

「野党、 がんばれー」

「国民がついてるぞー」

「関西も がんばるぞおー」

「大阪市民も がんばるぞー」

「東京と連帯するぞー」

「京都と連帯するぞー」

「沖縄と連帯するぞー」

「戦争を させないぞー」

とかしたら、そして時々歌も歌ったらどんなに楽しかろうと

居眠りを反省しながら私は思ったのでした……。

 

 

コメント (1)
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