毎日がちょっとぼうけん

日本に戻り、晴耕雨読の日々を綴ります

「多くの国民が戦争法案に反対した事実は歴史に刻まれる」No.1418

2015-07-29 22:21:06 | 反戦平和

 安保法案(=戦争法案)に反対する声は日に日に高まり、

商店主、農民、学者、作家、ミュージシャン、アイドルグループ、ママs&パパs、

高校生、SEALDs(学生、若者)、MIDDLEs(中年)、OLDs(更に年上)e.t.c.

全国津々浦々に安保法制反対の裾野が広がっています。

しかし、反対する者への口汚い罵り、バッシング活動もしつこく繰り返されています。

93歳の瀬戸内寂聴さんは、

衆知の通り昨年から圧迫骨折や胆のうガンで入退院を繰り返しつつ、

満身創痍の身体でデモや集会に参加し、

戦争法案反対の意見を表明し続けています。

その93歳の大先輩、日本の良心とも言える女性に対して、

「美しい日本を取り戻す」とか、「愛国」を唱える者から、

「ババアは死ね!」という人間として許されない発言があります。

そういうことを言う人間は、

姓名を明らかにせず、自分の発言に責任を持ちません。

「美しい国」の希求という言葉と裏腹に、

それらの人々は、どうしてそんなにも卑怯で汚いのでしょう。

自分の言動がどれほど日本の価値を下げ、日本を汚しているか、

鏡で醜い自分を見て自覚し、恥じ入るべきです。

 

しかし、大先輩瀬戸内さんは、

そんな蛆虫のような者どもの言葉を歯牙にもかけずに、こう言います。

「多くの国民が安保法案に反対したという事実、

そして安倍首相と政府与党がどれほど横暴なことをしたのかという事実は、

歴史に刻まれます」

 

写真:setouchijakuchou_150722.jpg 「女性自身」(光文社)8月4日号

私は子どもの頃、母に

「どうして戦争に反対しなかったのさ」

と非難めいて聞いたことがあります。母は、

「一人ぐらい反対したってだめさ、みんながするって言うもの」

と、「みんな」に責任を転嫁していました。

「みんな」なんて塊は、実際にはあるはずもなく、

個人、つまり、自分が「みんな」の基本単位なのに……。

また、母は、

「天皇様は国民の親である。天皇様がいなかったらお前もいないんだぞ」

と私に説教したものです。

戦後も戦後、30年も経ってからの言葉でした。

敗戦で、母は変わりませんでした。

1920年生まれ、青春真っただ中の時期を戦争でワヤクチャにされたのに、

個人の体験が社会変革の機動力にならなかったのです。

私の政治批判に対して母は、

「政治家は専門家なんだ。お前なんかより百倍、ものを知っている。

お前の知恵は猿知恵だ。無駄さ」

と、自分の子どもを低く貶めるのでした。

もちろん、自分自身も社会参加できるなどとは全く考えていない様子でした。

こんな庶民ばかりだと、政治家は楽なもんです。

どんな悪政を行っても国民に崇め奉られ、

上等なスーツを着て、高級車を次々と公費で買い換え、

毎晩料亭で何万円もの料理を食べて、一流の医者にかかり、

百歳まで長生きするでしょう。

例えば、石原慎太郎のように。

 

こんな危機的状況にあっても、

まだ自分は関係ない、自分は大丈夫、

政治家が適当にやってくれると思い込んでいる国民が多いのは

たいへん残念なことですが、

私は一人分ですけれども、自分ができる限りのことをして、

後世の人々、とりあえずは子や孫世代に対する責任を果たしたいと

思っています。

少なくとも、「戦争法案は多くの国民が猛烈に反対した」と歴史に刻まれる、

その無名の一人になりたいものです。

コメント (2)
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