私たちは古船を見た後、別の建物にある船からの出土?品展示場に急ぎました。
もう、午前の閉館まで30分しかありません。
3人のチケットを持っている高さんが数メートル遅れをとったので楊さんと私が、
「ほら、早く券、券!」
と高さんを急かすと、受付の人がニコニコして、
「二人はとても面白いですね。
まるで、神様がここに遣わした人たちのように思います。」
と言ったそうです(楊さんが通訳してくれて分かったことです)。
(もし、私が日本人だと分かったら同じことを言うだろうか?)
その嬉しい言葉を聞いて私は心密かに呟きました。
いつも、中国ではそんなことを思ってしまうのです。
もう少し言うと、
私は中国に来て「日本人だ」と名乗った時、
失礼なことを言われたり、されたりしたことはただの一度もありません。
でも、一瞬、表情がこわばるか、翳る人は何人もいたのです。
↓左は花と竜の模様の皿。
右は「青釉玉壺春瓶」と提示されています。壺というか瓶と言うか。
つるりとして光沢を失わず、形も美しいものです。
文明の八百年前のものですが今でも使える輝きを失っていません。
焼き物技術の発達は1200~1300年代でここまで来ていたんですね。
有名な江西省景徳鎮の焼き物は時代が下がって清朝期に発達したと
楊芬さんは解説しましたが、それはちょっと違うんじゃないかな(笑)。
↓「高足碗」と言ってもそんなに底は高くないのです。
今でも、中国の碗は日本のに比べて底がほとんど無いように私には思えます。
持つと「アチチチ!」なので、常にもう一枚重ねています。
しかし、学生たちはどんなに熱い碗も平気に持ち運びできるのです。
慣れとはすごいものですねえ。
↓この展示のメインを飾る二つの壺瓶。
高度の技術がなければ、現代までこの形で残ることは不可能だったでしょう。
花と竜は当時から欠かせない模様なんですね。
日本のやくざ映画を思い出します。
なぜ、やくざ社会ではこの模様を珍重していた(している?)のか、
想像すると面白いですね。
↓神の遣わした二人組(笑)。
お判りになっていただけるでしょうか。
私たち3人が見学している間、誰一人として他の観覧者はいなかったのです。
ひょっとしたら、午前中を通じてお客さんは私たちだけで、
受付の人は寂しかったのかも(笑)。
他にもたくさんの貴重な展示物があり、
古き元朝時代(1271-1368)の菏澤を身近に感じたひと時でした。
器や秤、お金などを見ると、当時の人たちの生活が想像できます。
日本に帰ったら、あちこち郷土の博物館巡りをしたいものだと強く思います。
そうそう、故郷北海道の斜里にある知床博物館も見ごたえのある展示物が
たくさんありますよ。
機会があったら是非足を運んでご覧ください。
展示場から出るとき、受付の男性は私が日本人だと知ると
一層ニコニコして、
「日本からよく来てくださいました。
この展示物は世界の人々の宝物です。観覧を歓迎いたします。」
と丁寧におっしゃってくださいました。
「日本は中国からたくさんのことを学んで歴史を作ってきました。
ここに来てそれが再確認できました。」
そう答えて、握手して別れました。
↓博物館出口付近の写真。
菏澤の武術は昔から有名なんだそうです。知らなかった!
菏澤は黄河の傍で、本当に古くから文明が発達したところなんですねえ。
牡丹と習近平さんの妻(菏澤出身)だけじゃない!
博物館を出て数歩で、たちまち牡丹の名前の付いた店がありました。
菏澤は今、牡丹だけしかアピールするものがないのか、と残念に思います。
さて、夕方、2年生5人がそれぞれ、
寮から、お出かけ場所から、バイト先から、とバラバラにやってきました。
一目先輩に会いたいからです(あ、カレーライスの魅力も見逃せませんけど)。
2年生と楊芬さんは、一年前、1年生の会話授業が始まったばかりの時、
当時4年生の楊芬さんが、
なんと自分の授業を欠席して数回通訳を務めてくれたという特別の仲なんです。
下はおしゃれして出かけた先から駆け付けた二人。
右は青島から菏澤まで私に付き添ってくれたお馴染みの閻小玲さん、
左は烟台出身の趙寧さんです。「YES]のバッグがキュートで心温まりますね!
晩餐後、先輩とボーイフレンドは
「いつ知り合ったか」「どこが魅力か」「なぜ彼/彼女を選んだのか」等々、
鋭い質問の数々にまな板の上の恋じゃない鯉状態でした。