10元の大玉卵23個。糞をきれいに洗ったところです。
国慶節最後の日、
明日からの授業の準備をしていてドキュメント整理に目が移り、
ファイルにまとめたり、ゴミ箱に捨てたりしていた時に、
約一か月半前、書き始めて途中でやめた暑中見舞いを見つけました。
その暑中見舞いを書いたときは、
誰に出すことも、訴えることもできない殺伐とした気分でした。
「とても残念です」と言うのでは表現が足りなさすぎのこの気持ちを、
取りあえず放置し、冷ますことにしてドキュメントに保存しておいたのです。
余分なマイナス感情を洗い流し、
そろそろ、考え続けていかなければ・・・・・・。
そう思い、お蔵から出して虫干しすることにしました。
―――出す当てのない暑中見舞い―――
帰阪し、久しぶりの大阪で暑中見舞いを書こうと思うのですが、
気持ちが落ち込んで明るい言葉が出ないのです。
この気持ちは誰に、どのように訴えたらいいのでしょう。
私は戦後1950年代生まれです。
戦後民主主義体制の下で、
「人間はみんな生まれながらに天賦人権を持ち、平等だ」と教えられ育ちました。
国の主役は国民一人一人だとも教えられました。
私はその通りだし、そうであるべきだと思いました。
今も、これに反対する人は世界中にもほとんどいないと思います。
教員になってからは、私が子どもたちにそう教えてきました。
しかし、そう教えてきた何十年もの間、
日本の社会では、学校で教えることとは違って、不平等、差別が勝ち、
平等を求めて叫ぶ人が結局、悔し涙を浮かべて歯を食いしばる様がありました。
なぜそうなるのか考えたとき、いつも同じ壁に突き当たりました。
そもそも民主主義と人権と平等な社会をどうしたら作れるかについて、
多くの人たちが「自分には関係ない」と思っている、その壁です。
今回、参院選でも上手な嘘やごまかし、
相手候補への中傷が勝敗の決め手になりがちでした。
多くの有権者はたくさんの真実を知らされず、知ろうとせず、
軽い気持ちで投票しました。
選挙に行かない人も50%近くもいました。
昔、日本が中国をはじめアジア侵略に乗り出したとき、
実は日本国民は大賛成でした。
少数の反対派は弾圧され、投獄され、殺されましたが、
国民の多くはその戦争反対派を「非国民」と呼びました。
今の日本人は、戦前の日本人とどこが違うのでしょうか。
確かに、今回の選挙で、野党共闘の開始や、ママたち、若者たちが
自分の責任として声を上げ始めたことには希望を感じました。
しかし、その直後、沖縄の辺野古の北東に位置する高江で
日本が法治国家でない現実が示されました。
沖縄では現職の大臣(島尻愛子)をはじめ自民党議員が全部落選しました。
沖縄県民の「沖縄からすべての基地を撤去して平和な生活をしたい」という民意が
これほどはっきり示されたことがかつてあったでしょうか。
しかし、こともあろうにその選挙の翌日、
安倍官邸の指示で本土からの機動隊も加わり、
高江ヘリパッド基地工事の強制執行が開始されました。
9年間も座り込みを続けて阻止し続けてきた地元の住民たちとその支援者たちは、
天賦人権を持つ国の主役であるにもかかわらず、
まるで塵くずのように排除されたのです。
座り込む人たちを「犯罪者!」と罵る若い警官もいました。
国家の意思に反するものは犯罪者だと教えられたのでしょう。
国家の意思を決定するのは、誰ですか?
国民じゃないですか。
沖縄は多数決による選挙でその意思を示したのです。
これ以上、正しいことはないくらいの手続きを踏んでいるのです。
それに対して政府は真逆です。
まるで自分が王様であると信じて疑わないような強権的で傲慢な政府を、
選挙で選んだ=支持した「本土」の有権者は、
戦争万歳と叫んで家族・身内を戦場に送り込んだかつての日本国民と
どこが違うのでしょうか。
権利放棄、奴隷志願。ひょっとこ踊り。
日本は…日本人は……。