国慶節の後の週末は代替授業(土日)、
翌週(先週)は日本語愛好者協会の新入生勧誘活動の手伝い、
そして昨日は4年生の3人が宿舎に遊びに来たので、
これで3週間、週末までバタバタした状態が続いています。
でも、昨日の4年生3人の来訪は、私も心から楽しみました。
昨年度は、「日本語作文」、「日本文学史」、「日本文学選読」、「日本語視聴説」と
4教科を担当した学年で、気心が知れていること、
真面目でコツコツ努力を続けてきた子たちだったことなどで
私の心が彼女たちに懐いているのです。
その中でも特にほっこり・のんびりの3人がやって来ました。
左から李倩さん、于蕾さん、黄洋さん。
日本語作文コンクール入賞の二人と、青島大学での一年間交流からもどった一人です。
カレーライス、ポテトチキンサラダ、ポークピカタでおもてなししました。
(ズバリ、いつものパターンです)
青島大学から戻ったばかりの黄洋さんはまだ一度も浴衣を着たことがないので、
2年生に引き続き、宿舎でもう一度試着会を開催しましたよ。
どうです?めちゃくちゃ可愛いでしょう?
自分の子どもでもないのに自慢したくなります(笑)。
↓つい口が滑って、
「なんか病気が治って退院したばかりの女の子って感じ~」と
私が正直な感想(笑)を述べると、
↓バスルームで数分表情作りの練習をして、再度挑戦した李倩さんでした。
すっかりお馴染みの「憲法9条団扇」は欠かせないアイテムです。
一番大切なことを書き忘れていました。
帰ってから于蕾さんからメールが来て、
「今日は大学の一番いい思い出を作りました。」
と、ジーンとくる言葉が書いてありました。
日本語学科の中国人学生たちは卒業して社会に出ていき、
次の中国の時代を作っていく大切な存在です。
一人の日本語教師ができることはたいしたことではないとは言え、
彼女たちが中日の草の根交流のための架け橋になってくれることを願って、
自分のできることを淡々とやり続けるだけです。
李倩さんは、3年生の時の作文にこう書いていました。
(先生というのは私のことです)。
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三年生のはじめの頃、作文の授業で、私たちは先生が出した作文の宿題を完成していなかった。いつもは笑顔の先生が、それまで見せたことのない厳しい表情になった。教室がシーンとした後、少し間を置いて、先生は静かに話し始めた。
「中国で日本語を勉強するのは、正直に言ってたいへんだと思います。中日の間には戦争がありました。最近も、何かあるたびに両国の関係は微妙になります。こんな時代に、それでも頑張って日本語を学んでいる皆さんは偉いです。私が中国に来て日本語教師をするのは、微力でも中日文化と平和交流の役に立ちたいからです。皆さんが学んでいる日本語は、中国と日本を結ぶ架け橋になるんですよ。私たちは一緒に頑張りましょう。」
その時、私はハッとした。大学に入ってからこの三年間、確かに日本語を学業として勉強している。しかし、自分の学習はただ文法や単語を覚え、文を丸暗記して日本語のスキルを向上させることが全てだった。それは間違っていた。日本語は技能だけではない。ただ就職だけのための道具にしてはならない。言葉の後ろには、その言葉を使って暮らす人たちがいる。(日本語を学ぶことは中日友好のための掛け橋にもなるんだ。私たちが日本語を勉強するのは偉いことじゃないか!)。
その時から、日本語学習への私の考えが前向きに変わってきた。遥か遠くに大きな虹の架け橋が見えた気がしたのだ。
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