今日の八一公園日本語コーナーには、
小雨模様にもかかわらず15人ほどの参加者があった。
財経大学は日本語学科卒業生で大学院生の楼しんけつさん、
4年生の洪文芳さん、そしてまあ、副専門の授業があるのに
それを蹴って3年生の朱ちゅうしんさん、周そうそうさん、宋しゅんかさん、陳しょううんさん、劉えいさん達まで参加したではないか!(副専門の先生には悪いけど、たまにはいいよね)
しかし、それだけではない。
博堅先生(2週連続)、劉さん(日語角の大黒柱)、
そして、1年前南昌から引き上げた懐かしい荒田一郎先生という
サプライズが待っていた。
イヤハヤ、私も日語角の歴史に足を踏み込んだというか、
2年半の時間を感じたひと時だった。
夕方から南昌日本人グループの精神的支柱である永田さんが
ついに日本に帰られるというので、楼さんと一緒に日本人会の送別会に参加した。
いつも会に永田さん(江西いすゞ自動車会社の副総経理=副社長)が
いらっしゃると場がホワ~ッと温かくなる。
今まで江鈴杯日本語スピーチコンテストを経済的に支えてくださったが、
永田さんが去った後も引き継ぎをちゃんとしてあるとのこと。
日本語学科の学生たちには何よりありがたいことだ。
スピーチコンテストに出資したからと言って
直接いすゞトラックがバンバン売れるわけではないが、
こうした中国社会への貢献は
日本企業への信頼感を高め、ひいては日本全体のイメージにもプラスに影響する。
イトーヨーカドーが中国で展開している経営でも
それは重要戦略の一つだと聞く。
これから江西省に日本企業がどんどん進出してくるとはほとんど思えないが、
どこの省、どこの国でも、日本企業は現地から利益を吸い取る事ばかりに腐心せず
地元とともに歩むすがすがしい経営を心がけて欲しい。
それが回りまわって、日本企業に利することが大いにあるのだ。
送別会が終わり、
私と楼さんは江西科技師範大学の八木先生とタクシーで昌北地区の宿舎に帰った。
車の中の話で、9月、10月の反日の嵐のとき、
八一公園の日本語コーナーは、1週間休んだだけで
八木先生がずっと出かけ続けて支えてくれたことを初めて知った。
大黒柱の劉さん、丁勇先生もずっといらっしゃっていたそうだが、
日本人が誰も参加しなくなると学習者も来なくなると危惧した八木先生は、
怪我させられないようにだけ気をつけて、ずっと通い続けたという。
ここにも素晴らしい日本人が!(;´Д`)
日本語コーナーの灯は、こうやって28年間燃え続けてきたんだなあ。
私も及ばずながら学生とともにボチボチ参加し続けよう。
小雨模様にもかかわらず15人ほどの参加者があった。
財経大学は日本語学科卒業生で大学院生の楼しんけつさん、
4年生の洪文芳さん、そしてまあ、副専門の授業があるのに
それを蹴って3年生の朱ちゅうしんさん、周そうそうさん、宋しゅんかさん、陳しょううんさん、劉えいさん達まで参加したではないか!(副専門の先生には悪いけど、たまにはいいよね)
しかし、それだけではない。
博堅先生(2週連続)、劉さん(日語角の大黒柱)、
そして、1年前南昌から引き上げた懐かしい荒田一郎先生という
サプライズが待っていた。
イヤハヤ、私も日語角の歴史に足を踏み込んだというか、
2年半の時間を感じたひと時だった。
夕方から南昌日本人グループの精神的支柱である永田さんが
ついに日本に帰られるというので、楼さんと一緒に日本人会の送別会に参加した。
いつも会に永田さん(江西いすゞ自動車会社の副総経理=副社長)が
いらっしゃると場がホワ~ッと温かくなる。
今まで江鈴杯日本語スピーチコンテストを経済的に支えてくださったが、
永田さんが去った後も引き継ぎをちゃんとしてあるとのこと。
日本語学科の学生たちには何よりありがたいことだ。
スピーチコンテストに出資したからと言って
直接いすゞトラックがバンバン売れるわけではないが、
こうした中国社会への貢献は
日本企業への信頼感を高め、ひいては日本全体のイメージにもプラスに影響する。
イトーヨーカドーが中国で展開している経営でも
それは重要戦略の一つだと聞く。
これから江西省に日本企業がどんどん進出してくるとはほとんど思えないが、
どこの省、どこの国でも、日本企業は現地から利益を吸い取る事ばかりに腐心せず
地元とともに歩むすがすがしい経営を心がけて欲しい。
それが回りまわって、日本企業に利することが大いにあるのだ。
送別会が終わり、
私と楼さんは江西科技師範大学の八木先生とタクシーで昌北地区の宿舎に帰った。
車の中の話で、9月、10月の反日の嵐のとき、
八一公園の日本語コーナーは、1週間休んだだけで
八木先生がずっと出かけ続けて支えてくれたことを初めて知った。
大黒柱の劉さん、丁勇先生もずっといらっしゃっていたそうだが、
日本人が誰も参加しなくなると学習者も来なくなると危惧した八木先生は、
怪我させられないようにだけ気をつけて、ずっと通い続けたという。
ここにも素晴らしい日本人が!(;´Д`)
日本語コーナーの灯は、こうやって28年間燃え続けてきたんだなあ。
私も及ばずながら学生とともにボチボチ参加し続けよう。