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後藤さん




わたしは芸能界や芸能人についてほとんど何も知らないから、正しい情報を記すことは目指していない、ということを断ってから書き始める。



後藤久美子と言えば、ときどき雑誌のグラビアで見かける、パリでも何度か見かけたことがある、大変綺麗な人、という認識しかなかった。
最近、文章のスタイルがものすごく好きなブログに、彼女のことが詳しく書かれていて、そこから「へえそういう人なのか」とその一面を知ったのである。



この人物の魅力は完全なる現状肯定だ、と思った。


子どもの時分から容姿に恵まれ、その面での自信というのは世間一般以上にあったに違いないが、「今、これでいい」という自信(根拠はないかもしれないけれどそれでも十分)が醸し出す、常に「素」の状態が彼女の魅力なのだ。


わたしが芸能人一般に興味がないのは、彼らが注目をおねだりする仕方が「見苦しい」からである。


「素」や「自然体」(<ああイヤな言い回し)を売りにしている芸能人はよくいる。でもその多くは「自然である」ように見せかけているだけの大根役者(だってわたしが見ても偽物だと分かるもん)に過ぎないと思う。

たいがいの人間はそのように世間に向かって自分をより良く見せようという努力をする。
人からこう思われたいとか、感心されたいとか、認められたいとか。
自然体だと思われたいとか、自然体だと感心されたいとか、自然体だと認められたいとか(笑)。

その結果、言い訳をしたり、説明をしたり、媚を売ったり、ブログを書いたり(笑)に忙しくなる。
一方、彼女はそういうことをしなさそうにわたしには思えた。そんな必要がないのだ。
それゆえ人付き合いもあっさりしていそうな気がする。



ここで手前味噌、わたしは以前も書いた祖母の教えを思い出す。

「外面も内面も美しく努めるのは自分の家の内だけにする。
そして外出時はのびのび自然のままに振る舞う。
つまり外出時に美しくありたいなら普段から身も心も常に美しく生きるしかないのである。」


わたしは彼女が美しい心持ちの人なのかどうかは知らないが、「ええかっこ」する必要がない人というのは見苦しくない、つまり美しいのだな、としみじみ感じたのである。





その点、特に容姿に恵まれて産まれて来た人というのは「素」で平気な可能性が高いので得である(こういうことを損得で考えるのが恵まれていない人の悪い習慣である)。
そういえば以前塩野七生氏かどなたかが書かれていた。すなわち絶世の美女トロイのへレナは服装にも化粧にも全くこだわらなかったはずだ、と。


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