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Brugge Style
思い出とネタ帳
時々、どのようにしてブログネタを確保するのか聞かれることがある。
そういう時に振り返ってみると、やはりネタ帳の存在が大きいと思う。
わたしはメモ魔なので、手元の紙切れやレシートの裏や手帳にどんどんメモする。
浅はかでうっかりものだから、そのメモをなくしてしまったり、メモしたこと自体を忘れてしまったりすることも多いのだが、見たり聞いたり匂ったりさわったり、また頭の中に浮かぶうたかたを、虫取り網で蝶々を捕まえるようにキャッチすることがおもしろいのだ。
この夏、メモした紙がモールスキンの手帳のポケットにたくさん溜った。
これをすべて活用することはできるのか。それとも夜明けの夢のようにストーリーを再構築しようとすればするほど消えてゆくのか...
で、手っ取り早く実際どういうメモを取っているのかを自分用の便宜(今後のネタ準備)をかねて公開しようと思いついた。
笑。
こんなメモを見て思い出し笑いをしながら喜ぶのはわたしだけに違いないけれど。
以下意味不明を補うために補足しながら
...
初夏。ice cream man。
娘にとっては夕方のおやつの喜びアイスクリーム、わたしにとってはトム・ウェイツの曲
イタリア移民が始めたビジネス 初期、客寄せの曲はアカペラの生歌アリアだったらしい
残念なのは近所に来るアイスクリーム・マンの商品が工場生産のアイスクリームなこと 手作りジェラート販売には問題があるのか?
そういえば大陸にはいくらでもあるアイスクリーム屋やジェラート屋というのがこの島にはほとんどない
オリンピック期間中 日本とベルギーからのお客さん
食わず嫌いが多いなら和食に連れて行けと言うな(<ベルギー人)
特に偏食が多いのを、味にうるさく贅沢でシックなことと勘違いしている人物とは同席したくない
欧米の親は子どもの食わず嫌いや偏食に寛容過ぎ
日本人は「食べたことのないもの」「土地独特のもの」を食べたがる傾向がある?
リゾートでも都市でも、旅で一番重要なのはホテル
バアやロビーやサロンの「外出せずずっとここにいたいくらい」な良さが重要
ロビーやサロンができるだけ複数(屋外、半屋外、奥まった場所、図書室の類い、隠し部屋...)あること
最高級ホテルであっても、長居できないような人の出入りがあったり(人気がありすぎたり)、テーブルの配置、ではいけない
ドイツの文房具売り場 キッチン売り場 すばらしきかなドイツ製品
ハンブルグかベルリンには住んでみたい
自転車道の整備
犬連れ行動範囲が広いこと
テラスの多さ!北にあるのにもかかわらず、テラス席の多さは特筆に値する
街の中の空間
英国はリバタリアニズムだったのだ!
グローバル30
各大学の要項や条件を見る限り、日本のトップ大学は「バカでもいいからとにかく英語がそれなりにできる学生」がたくさん欲しいみたいだ。
この資格条件下で集まって来るだろう学生のレベルを考えると、「大学生の学力の低下」に困るくらいの問題ではすまないことになる気がする。
「リングワ・フランカたる英語ができなければみんながやってる競争に参加することもできない」という考え方を日本は変えることができないのだ。
英語ができなければスタート地点にも立てないという考えは、米英の都合にうまいことひっかかっているからで、ひとつの国を支えて行くのは英語力ではなく別の価値基準を生める知性だ。
「みんながもうすでにやってる競争にエントリーすること」ではなくて「みんながぜひ参加したがるような別の何か」を生むことにもっと力を入れてはどうか。
まあわたしのこの「...というわけで誰かよろしく」という態度も大人の態度じゃないな。
前回チェコを訪れたのはチェコスロバキア時代だった(チェコスロバキア分裂1993)
プラハで激安ホテルに一泊 真っ暗な部屋の記憶
モスグリーンの服を着てカレル橋の上で撮った写真
二度と会えない人との別れ
チェコから飛んだ飛行機のトイレの床から下界が見えたこと
僧院だったホテル 今も漂う祈りの雰囲気 祈りは消えないのかもしれない
わたしのなかで聖子ちゃんが70年代とともに終わったとずっと感じていた理由が分かった
正しくは82年頃、三浦徳子が歌詞をつけるのを止めたから
この夏一番の発見!
アンギラへ 意外と近く9時間
カリブ海の海賊
仏領の島、英領島、蘭領の島それぞれの違い
それぞれの国の縮小版 (日本的でさえあるハワイを思い出してみよ)
しかしこれだけ魅力的な島が散らばるこの海、まずどの島へ行くか、というのはみなさんどういう風に決定されるのだろうか(われわれは、BAの直行便があることと、タブレット・ホテルがあることを第一条件にした)
持ち帰った貝殻が英国の空の下で初めて死んだように見えたこと
Roksanda Ilincic 大好き
子供服も出たが、娘のサイズはもうない
子供服にはいいサイズがなく、大人の服は大きすぎる、そんな年齢
ヴィクトリア・ベッカム 再び
ファッションを専門的に修めたデザイナーがパターンの立て方について持っているようなタイプの知識や、天衣無縫なファンタジーは、ヴィクトリア自身は持っていないだろうが、「とにかくスタイルを良く見せることに命をかける」ことに関しては、どんな素晴らしい(特に男性の)デザイナーもかなわない。
「自分はスタイルが良くない」と思っているご本人が自分で着ることを前提にしているからか。
彼女と言えば、豊胸した身体に高価な服をまとってはいるが、どうも安っぽくバカっぽくアカ抜けないイメージがあったのに、いったいいつどんなきっかけでどう変わったんでしょう。
「どのコレクションもワンパターン」という批判に屈せず、今後も「スタイル命」服を作り続けて欲しい。
夏の終わりに聴きたい曲
ルパン三世愛のテーマ(歌唱なしのバージョンで)
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