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each day is valentines day















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astier de villatte, kobe




日本から友人がパリに来たので会いに行った。


この記事を覚えてくれていた彼女が、「もしかしたら、このブランドではないでしょうか」と、美しい手紙とともに贈ってくれた。


   
  KOBE



「kobeというネーミングもそうですが、この香りがmoetと結びついて忘れがたい香りとなりました」


実物のわたしはレベルが低いが、誰かの記憶の中ではこんな女として生息しているのかと思うと



すばらしい魔法ですな。










洗練された、ほんとうにほんとうによい香り。

箱にはこの「新しもん好き」な神戸人の素敵なイラストとともに、

「六甲山に日が沈む。北野町の異人館の間をそぞろ歩く。
大阪湾を見渡す街角から、暖かいジンジャー、コリアンダー、いちじくの香りが立ち上る...」

と記されていて、故郷を遠く離れた神戸人の胸をしめつけるのであった。

異国暮らしの神戸人は買うべし(笑)。


Sさん、ありがとう!!!!!




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ラブラドール劇場








目線の先はわが家の飼い犬。


飼い主さんは一人暮らしで留守の時間が長いため、時々うちの庭に入れて遊んでやってもいいかなと聞いたら、快く同意を得た(やった!)。


わが家の飼い犬はラブラドール君が鼻先まで寄って来ない限り完全無視するのだが、ラブラドール君はすりよってゆく(かわいー)。で、吠えられる。驚いて飛び上がる。すりよってゆく。吠えられる。の、繰り返し。

散歩中に他の犬に出会っても決して決して吠えたりしない(関心がない。猫っぽい犬なのだ)のに、先住犬の優位にかけて、でしょうか。



お互い慣れて仲良くできるように、わたしはあせりまくりながらネットで「犬 二頭目」などとググっている。

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子供、いらない。




「男女の子供を求める度合いが、欧米、アジアなど主要18カ国の中で日本が最も低いことが9日、英カーディフ大のジャッキー・ボイバン教授らの調査で分かった。同教授は「日本は独自の問題に直面しており、親であることの価値観を再構築する必要がある」としている。」(時事ドットコムのニュース 2/10)

ボイパン教授は「日本人は義務として子供を産もうとしているのではないかと分析」しているそうだ。

ええっ!ホンマに? 現代社会の経産婦として発言するが、子どもを義務として産む感覚って普通なのだろうか? 東条内閣が政権にあるわけじゃあるまいし。皇太子妃じゃあるまいし。
それに「親であることの価値観を再構築」ってどういう意味?「独自の問題」って?子供を求めないのは「問題」なのか?誰にとっての?


日本人が子供を欲しがらなくなった理由は何点かあるだろう。

まず、ゆるくつながって深い入りしない、という人間関係が好まれていること。
居心地のいい友人関係は大切にするが、大切にする条件は居心地がいい限りにおいてであり、迷惑をかけられたり、邪魔されたり、世話をさせられたり、ドロドロな問題を持ち込まれては困る、と。
みなさん「おひとりさま」でありたいわけですな。遊ぶ時も「おひとりさま」がたくさん集まって遊ぶ。時間が来たら帰ることができる。都合の悪い時は顔を出さずに済む。

だから、迷惑をかけられ、邪魔をされ、世話をさせられ、下手をしたら自分の楽しみや将来の夢までも破壊してしまうかもしれない子供はいないほうがいいと思うのではないか(逆に、別の楽しみ、別の夢があり、迷惑をかけ合うからこそ人間は人間になった、と言える)。子供は時間が来ても帰ってくれないし、都合が悪かろうが具合が悪かろうがおかまいなしですしな。
わたしも2歳半の娘にオン/オフのスイッチがついていたらなあ、と夢想したものです。

なぜ日本でこのように考える人が多数になったかというと、やはり社会が「おひとりさま」でも生きて行けるだけの、あるいは生きて行けそうとか、なんとかなりそう、という幻想を植え付けられるだけの、ある意味豊かな社会に成長したからだろう。楽しみも多様化した。
まあしょうがない、という気もする。高度消費社会の副産物。


次に慣習的問題、制度的問題だ。
婚外子差別や養子に対する偏見、それから雇用、教育、福祉の問題など。

日本よりも制度の整っていない国はいくらでもあるが、たぶん日本では、制度的な問題は親が個人で克服すべしという無言のプレッシャーが強いのではないか。
正社員で働くのがキツい、保育園は入園待ち、学費は高い、ベビシッターもハウスキーパーも一般的ではない...

子供は成人するだけで十分と考える親がマジョリティな国がある一方で、日本ではそうもいかない。大学くらいはいれてやらにゃ(そのためにはお金もかかる)とか、母親はこうでなければ、母親のくせに、などと自分自身を含めた「世間」に言われる。
全体的に期待値が高すぎ、選択肢が少なく、断念しなければならないものがあまりに多いように見え、そのほとんどを個人で解決しなければならないのだ。

さぞメンドクサイなあ、と思うでしょうね。わたしも思う。
個人的問題ではなく社会的問題として積極的に変えた方がいい。



今後、子供の数は一時的にしろ、さらに減るだろう。子どもの数が多いとか少ないとか、国が急成長中か衰退中か、こういった社会の状態は一定ではないのだから、過去数十年の右肩上がりとは様子が違うといってパニックになる必要もない。子供の少ない社会へ、よりつつましい国へ、G8ではない国へとシフトして行く方法を考える方が生産的だと思うのだが。

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おばばさま




わたしはいい母親ではないかもしれないが、いい祖母になる自信はたっぷりある。

例のラブラドール君がご近所に来てから、自信は確信に変わった。


人の気をひくために無駄吠え無駄泣きをしているときには決して相手をしてはならぬ、と娘が赤ん坊の頃も、うちの飼い犬が赤ん坊の頃も、心してかかったのだった。でもこのラブラドール君がうちの裏門までやって来てひーひー泣き、窓ガラスからキッチンを覗き込んでわたしの動きを追い、仕舞にはそこに座り込んでしまうと、もう矢も盾もたまらず飛んで行ってしまうんですな。

どうです、いいおばばさまになりそうでしょう。
孫ができたら思い切り甘やかして娘のひんしゅくをかいまくりたいです。


義母は、娘にオランダ語のおばあさんの意である「おーま」で呼びかけることを禁じていて(笑)、「もか」(ママをひねった言い方)を使わせている。実家の母も負けてはいない。なんなんでしょうな、この「高齢の女性」と決して呼ばれたくないという感覚は。老成という観念を持たないアメリカのグローバリズムの影響でしょうか。

わたしはストレートにばば様と呼ばれたい。身体能力が高く、細身でおしゃれなかっこいいばば様になりたいなあ。

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