日本・ベルギー・英国 喫茶モエ営業中
Brugge Style
burlington houseの方へ
王立芸術院(Royal Academy of Arts)の会員になるかどうか悩み中...
元は取れること確実、しかも断然お得なのに、なぜこれほど悩むのか。
先日、ナショナルギャラリーとロイヤルオペラの会員を更新したばかりなので。
あ、そうじゃないな。あちこちで会員になってキリがなくなるのが不安をさそう。
あそこで会員なのに、ここで会員にならないのはバランスが悪いんじゃない? と
そう言い訳しいしい会員資格を増やして行くのか。
キリをつける、とにかくそういうストッパーの壊れている人間なのでねえ。
いいじゃない、アートのためなんだし、
今月エステに行かなかったらいいのであると思いつつ、
いやいや、庶民の妻としてはですな、などと考えてしまう。
服を買うときは「元」とか絶対に考えないのになあ。
そんなことを喉に引っかかった魚の骨のように気にしながら
今日はこれからモローニ展へ。
「なるなる!会員、なるなる!」とまんまと雰囲気にのまれそうな
予感満載。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
陶磁器の国のモエ
金曜日の夜、夫のミーティングが終わのを近所のヴィクトリア&アルバート博物館で待つ。
金曜日の夜は22時まで開いているので夕方遅く入ってもゆるゆる見学できる。
しかも、観光客の方々は夕食に行ってしまわれるのか、上階の方は18時を回ったらもうガラガラだ。
そこでわたしはポーセリンの階に直行。
誰もいないんですよ、ホントに。係員の方に見つかったら、怪盗ルパンに間違われて捕まるのではないかと思うほど、閉館後の雰囲気一杯。
ただただ、世界各国から集められたポーセリンの器が、これでもかと波状に並ぶ、並ぶ、並ぶ...ブルージュの土産物屋だってこんなにものは並んでませんぜ。
時々、作業場で作業に勤しむ青年がいたしりて、こちらの視線を感じてかぎょっとして振り返ったりなさる。
隣りの自然史博物館のスケートリンクのイルミネーションが綺麗で、ああ、あちらはこの世なんだなあと眺めていたら夫からの電話が鳴り、こちらに連れ戻された。しばし、不思議な国で遊び...
その後たらふく食べた。
不思議な国で遊ぶと腹が減るみたいだ。
こんなのが延々
こんな方も
彼は閉館後絶対に動くはず
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
悲しい歌
今月初めのこと。
大人の事情により、ロンドン某所の某イベントのため、あらかじめ曲をリクエストしておくことになった。
「じゃ、ビル・エヴァンスの何かで」
と電話口で夫に言ったら、女性歌手がおられるからもっとふさわしいのを具体的にと責付かれ、頭に浮かんだ最初の2曲
"How Insensitive"
"Good Morning Headache"
を匿名でお願いすることにした。
選曲に深い意味は全然ない。
"Insensatez"は、英語バージョンを生で聞いたことがないのでぜひ英語で、と。
youtubeでは例えばこんな。
"Insesatez" by Astrud Gilbert
"How Insensitive" by Diana Krall
"Good Morning Headache" by Jill Scott
全然意味はないのに、なぜ悲しい恋の歌ばかり一番に思いつくのか、言い訳を考えてみた。
歌には今の自分に欠けているものや、もう失ってしまったもの、どうしようもない現実との距離を埋める効果がある。
恋の語源が元々は「来い」とか「乞う」であった...という話をどこかで読んだ(俗説?)。そのように、今、自分の元にはないものへの距離が恋する気分の本質なのである。ということはわたしに欠けているのは恋愛中の落ち着かない気分なのだろうか(笑)。
だから悲しい恋や失った恋は実に絵に、いや実に歌になるのである。
もちろんハッピーな良曲もあるはずだし、幸せすぎて歌い出したいほどのユーフォリアもあるが、幸せの真っ只中にいる時は実はそんなヒマはない。
そう言えば純粋にただハッピーな歌で好きな歌、ひとつも思いつかない(モーツアルトくらいか)...一方でハッピーな歌でもそのハッピーさがいつか終わるのが怖いとか、夢みたいだとか、終わりや破滅を予感させる歌にはいいのがたくさんある。
幸せな時は純粋な幸せをそれのみで味わい尽くそう。
それを失った時に、最も美しい歌を歌えるように。
みなさまよい週末を!!
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
ミュージック・カップケーキ
白黒のカップはピアノのイメージ、
星はピタゴラスの天球の音楽(の、つもり)、
今年は音楽をテーマに
娘が誕生日に配るお菓子を作ってみた。
絞り出しガナッシュの扱いが難しいことを痛感、
やり直しで予定よりも時間がかかり、
写真を撮ったのは(ご覧の通り)夜半過ぎ。
ベルギーで調達した製菓チョコレートの香りが
キッチンに息苦しいほど充満する中、
今年もアステカの神様が降臨なさいました...
こちらはバースデイケーキざます。
詰めが甘い仕上がりは家庭の味ということでご勘弁頂きたい。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
age of anxiety - 不安の時代
ロイヤル・バレエの3本立てを。
Kim Brandstrup “Ceremony of Innocence"
Liam Scarlett "Age of Anxiety"
Christopher Wheeldon "Aeternum"
前者2本はロイヤル・バレエでのプレミアだった。
わたしは初めての演目を見るときは事前に情報を入れないことにしていて、解説は後から読む。
が、“Ceremony of Innocence"は、「失われた青春を惜しむ男」というのを前もって知っていれば良かった、と思った作品だった。つまり...
エドワード・ワトソン(Edward Watson)演ずる「惜しむ男」の動きの少なさは山のごとし。
公演回数が増えてもっとこなれた時にぜひもう一度見てみたいと思う。
若き振り付け家リアム・スカーレット(Liam Scarlett)による"Age of Anxiety"「不安の時代」。
「語りのロイヤル・バレエ」においても、最も語りの強い部類のバレエである。
この作品は感想をまっ二つに分けたようで、フォアイエで絶賛する人が大部分、そしてわたしを含め「饒舌な割に何か足りないのではないか」と感じた人が数割という雰囲気だった(あくまでも周辺の様子をうかがい、話をした人たちから知り得た範囲で)。
スカーレット作品で、プロットが複雑で語りが強いという点では、切り裂きジャック事件を題材にした"Sweet Violets"の方が数段そうであった。そしてあちらからは完全に充足しているという印象を受けたのに、"Age of Anxiety"は足りないように感じた。なぜだろう。
それはたぶん、「バレエ」鑑賞の基本心得からは全く外れた理由からだ。つまり、以下、わたしは「バレエ」に言われのないいちゃもんをつける(笑)。
かなり現実的な状況設定の中で、主要登場人物4人にバレエを媒体にしてここまでの語りをやらせるならば、全員が全員、ダンスが滅茶苦茶上手いというのは不自然ではないのかと思ったのだ。ああ、この感想、「バレエ」からはみ出てる...バレエを見てこんな感想を抱くのは初めてだ。
バレエが表現の手段なのだから、登場人物全員バレエが上手くて当たり前、お約束、それは分かっているのだが。
20世紀初頭、4人の男女が場末のバアで出会い、それぞれアイデンティティ探しの旅に出る...それを表現する「バレエ」は、現実世界では何なのか。おそらく人物それぞれの内面だろう。しかし、内面を表現するにしても人それぞれの個性があり、滑舌の良し悪しや表現の選び方の上手い下手等と同様、妙に不器用な人がいてもいいはずではないか...全員が全員、踊りがめちゃ上手いというのはいったいどうなのか。足が90度まで上がらず、音感が恐ろしく悪い人がいてもいいのではないか...と「オペラ内に、歌が下手だという個性を持った登場人物がいないのはなぜなのか」というようなアホな感想を拭えなくなった。
なぜだろう。あまりにも現実に近い世界が舞台の上に広がっていたからか。われわれが、アートを鑑賞する時に前提にしている「当たり前さ」を破壊する試みに遭遇してしまったのか? や、脱構築?
「何か足らない」「何か不安定」と人に感じさせ「不安」にさせるのも狙いか? そうならすごいな。
それともわたしは何も分かっていないのか(たぶん)。
分からない。
それとは別にして、スカーレットは彼の振り付けのテーマとして「エロスにドライブされる人間」を描こうとしているのではないか、と強く感じた。
最も好みなのは断然"Aeternum"。
これはマリアネラ・ヌネツ(Marianela Nunez)の真骨頂。彼女の身体そのものの存在感がすばらしい。言うことなし。
「不安の時代」はスカーレットの作品のタイトルだが、3本の基調低音になっているように感じ、そういうとこ、憎いなあ。
今はロイヤルバレエをいつでも見られるところに住んでいるので、すんなり受け入れられる作品ばかりでなく、混乱させられたり、「あれ何?」というような作品をもたくさん見たい。
(写真はroh.org.ukより)
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
« 前ページ | 次ページ » |