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夏の午前9時 ギラギラ








空や雲が秋めいてきたとはいえ

今年は暑く雨のない夏

日向はすでに猛烈に暑く
今日の予想気温30度越えを予感させるかのように

東向き側の庭

ギラギラ
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現象









なんと美しい写真だろうか。

検索したら18世紀のネオクラシカル様式のシャトーで、フランス南西部にあるそうだ。
Chateau de Gudanes
写真のクレジットはChateau de Gudanes, by Ann Street Studio

フランスのトゥールーズとスペインのバルセロナのちょうど中間くらい
アンドラ公国の近くに位置する。


ロンドンから車で15時間かかるとGoogle先生は言い

夫は「この週末がフランスの高速道路が一番混む週末」だと
わたしがとうとう暑さで正気を失ったかと笑うが

今すぐ車を飛ばして行けたらなあ
(ちなみに欧州高速道路が混むのは、もちろんバカンスのために
人々が北から南、南から北に10時間20時間かけて移動するからです)


実はこの写真、10年ほどもお付き合いくださっているスィートなスィートなNさんが、
「私のブルージュのモエさんのイメージはこれです」とご紹介くださったのだ。
(カントも、人間が認識できるのは「物自体」ではなくて「現象」だと言っているし!)

ご推察のように喜びのあまり調子にのってしまっているわけだが...
暑さでイカれているだからと大目に見て。
 
Nさんには一生お会いできなくなってしまった。
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chelsea physic garden








7月上旬から続いた酷暑は少しおさまったが、再び30度超えの予報が出ているので、比較的涼しいうちにロンドンのチェルシー薬草園に久しぶりに行ってみた。
ついでの訪問だったにしては、併設のティールームでお茶もして、2時間ほどたっぷり楽しんだ。


チェルシー薬草園は「1673年、薬剤師名誉協会(Worshipful Society of Apothecaries)が薬草栽培のために設立した」Art of Healing(治癒の技術)を研究するための植物園で、設立に尽力したのは大英博物館のコレクションの元をつくったスローン卿だ。彼は当時一級の博物学者で、医師にして蒐集家だった。


まるで魔女の庭のように(魔女は「生死の境目にいる女」であり、薬草知識が豊富)、さまざまな効果を持つ有用な植物5000種以上が効能や原産地によって分けられて植わっている。
「オイルが採取できる植物」「香りの植物」「ビタミンCを含む植物」...「アメリカ原産の植物」「中国・日本原産の植物」そんな具合だ。
繊維を取る植物のコーナーには織物が見本としてかかっていたり、当然蜂をたくさん飼っていたり(運が良ければ蜂蜜を購入できる)、季節柄モンシロチョウがたくさんいたり、樹齢が不明のコルクの木やざくろの木があり、ワクワク要素も充実している。

その中でもわたしのお気に入りは「毒草のベッド(花壇)」。ガイドさんから「イタリアでは女性が瞳を魅力的に見せるためベラドンナを服用し散瞳させていた」「この薬草園で試してしまった女性がいて、病院に担ぎ込まれた」という話を聞く。

一番驚いた話では、つい最近、スノードロップに認知症治療の可能性が発見されたという話だった。日本語ウィキペディアのスノードロップの項目を見てもまだ掲載されていないような話だ。そういう研究は闇雲にされているのではなく、東欧のある地域で古くから頭痛治療に使われていた(額に擦り付けて使っていたという話)慣習にヒントがあったそうだ。


チェルシーの高級住宅街の中に塀に囲まれてあり、ロンドンでもこの辺は「すてきなロンドン」だ。







Chelsea Physic Garden
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夏の午後10時 fera








昨夜は今週2回目だったので、前回食べたものを覚えてくれていて
コースのメニューを変えようかと提案してくれたが

全く同じものをと頼んだ夏らしいメニュー
生牛肉のヨスタベリー添えとか...

早めに食べ始め、レストランを出てこの時間でも
まだロンドンは昼の光が残っているのがいい

夏の夜大好き
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大人にできることはあるか




わたしは、大人の責任とは、未来ある子供達に「希望がない」「どうせ変わらない」と思わせないことと、自分は無力であるとは思わせないことだと思っている。


日本の大切な友達が厭世的な気持ちになっているようだ。

自然災害と酷暑続きのためもあるのかもしれないが、世の中の動きに対して、「庶民がいちいち反応しても何も変わらないから諦めている」とおっしゃる。
特に直接不利益を被るわけではないし、自然災害に比べたら人間のできる悪さは限られているしと。

日本は残念ながら諦めた大人が増えてしまったことによって今の現状があるのかもしれない。


『医科大で官僚のコネのある人が裏口入学させてもらっているのは? 
クールジャパンプロジェクトなんか莫大な税金を使ってほとんど失ってしまったどころかマイナスですよ? 
加計も、不要な施設に何十億と使うなら(<もちろん何十億も不必要な出費があるのはコネのある人が潤うため)、学校にクーラーを設置したり、保育所を増やしたり、被災地にもっとお金を出したりできると思うんですけれど...
カジノだって出資者は外資ですよ。日本にはほとんど利益は回ってこないと思うの...
東京オリンピックも企業や役員は潤うけれど、一方で無茶なボランティア動員...どうなっているんでしょう?』
(なんかすでにトピックが古びているように思えるところが世間の変化のスピードを表していますね)


と言ったら、逆になぜそんなに熱くなれるのかがわからない、どうせ変えられない、と取りつく島もない。


日本(人)には優れた面がたくさんあると前置きした上で言う。
日本人は、このままだと破滅するかもしれないと予想できる状況でも、「精神論でどうにかする」「臭いものにはフタ」「どうせ変えられない」「どうせなら全滅した方が」という思考停止に覆われてしまいやすい人々だと思う。もちろんわたし自身を含めてだ。
まさに彼女が言うように、歴史を通して過酷な自然災害が多発する国だったからそういう心理が形成したのかもしれない。

「どうせ何をしても変わらない」と諦めてしまうのは一種の思考停止だ。
批判的な目を持たず賞賛だけに偏るのも思考停止の一種だ(だから例えば宗教は思考の停止である)。
逆に独裁的な支配者は国民の思考停止を歓迎するだろう(わたしが支配者ならそう思う)。

思考停止がいけないと思うのは、地球上のどこに住んでいようと、この世界は今の自分たちのものだけではなく、人間以外のことも、子供たちのことも、ずっと先の未来のことも考えなければならないからだ。わたしが恩恵を受けてきたように、次世代に豊かな過去、楽しい現在、よりよい未来を受け渡したい。
別に熱くなっているわけではなく、それが当たり前だとわたしは思っている。

もちろん世間に厭世的な気分が広がり、どうせなるようにしかならないとか、縄文時代のシステムに戻れたらとか、鎖国できたらいいのにという気分がわくのも理解できる。
ひとりひとりの力はごく小さく、こんな話に熱くなっているモエは政治家でもジャーナリストでも運動家でもなく、すぐに変化が起こるわけでもないというのも真理だろう。

しかし...

去年、日本の高校生へのアンケートで6割以上の子が「自分ががんばっても社会を変えることはできない」と答えていたのを思い出す。
1人2人そういう子がいても大したことはないかもしれないが、さすがに6割を超えたら大きな変化になる。

大人の責任とは、未来ある子供達に「希望がない」「どうせ変わらない」と思わせないことと、自分は無力であるとは思わせないことだと思う。

幸い、それくらいは世の中に影響力のある人物でなくてもできることだ。

6割の子が社会を変えることはできないと感じているのは彼らの責任ではなく、われわれ大人の責任なのだ。
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