近江八幡のヴォーリズ建築のシリーズの第8回で池田町洋館街の写真を紹介します。
以下、過去のシリーズ記事にリンクしておきます。
第1回 近江八幡のヴォーリズ建築 on 2019-3-27 その1 アンドリュース記念館
シリーズの第1回はヴォーリズが初めて建築設計したアンドリュース記念館について
紹介しました。但し、表題はGoing Nuts アンドリュース記念館での飲食となっています。
第2回 近江八幡のヴォーリズ建築 on 2019-3-27 その2 近江兄弟社学園 教育会館とハイド記念館
第3回 近江八幡のヴォーリズ建築 on 2019-3-27 その3 ヴォーリズ記念館(旧ヴォーリズ住宅)
第4回 近江八幡のヴォーリズ建築 on 2019-3-27 その4 クラブ ハリエ 日牟禮カフェ
第5回 近江八幡のヴォーリズ建築 on 2019-3-27 その5 近江八幡教会
第6回 近江八幡のヴォーリズ建築 on 2019-3-27 その6 近江八幡市立資料館
第7回 近江八幡のヴォーリズ建築 on 2019-3-27 その7 旧近江兄弟社地塩寮(近江八幡教会牧師館)
池田洋館街の概要
ヴォーリズらが土地を取得して住宅地とし、人々に「アメリカ町」と呼ばれた一帯。
パートナーとして活躍した吉田悦蔵の住宅や2軒が接するダブルハウスさらに
武藤邸、ウォーターハウス記念館など味のある洋館が並ぶ。
上の写真は現地説明板
説明板に書かれているようにW.M.ヴォーリズは1905年、 滋賀県立商業学校
(現滋賀県立八幡商業高等学校)の英語科教師として来日します。
しかし、ヴォーリズは2年足らずで商業学校の教壇を降りています。
1907年には 近江ミッション(近江基督教伝道団)を創設。さらに1908年には完成した
ばかりの近江八幡YMCAに寝泊まりして 京都YMCA会館新築工事現場監督を担当。
同会館内に建築設計監督事務所を開業します(後のヴォーリズ建築事務所)。
商業学校の卒業生である吉田悦蔵もヴォーリズと共に活動しています。
1910年 にはいったん米国へ帰国し、メンソレータム社の創業者ハイドと出会う。
10カ月の滞在後、建築家のレスター・チェーピンらを伴って日本に戻る。
建築家のレスター・チェーピン、吉田悦蔵と3人で「ヴォーリズ合名会社」設立する。
その後、村田幸一郎をはじめとする商業学校の卒業生が加わりヴォーリズ建築事務所
に発展していきます。
上の写真は設計指導をするヴォーリズ氏
出典:近江兄弟社メンソレータム資料室のパネル
上の写真はヴォーリズ建築事務所の内部の様子
出所:近江兄弟社メンソレータム資料館のパネル
ウォーターハウス記念館
上の3枚の写真はウォーターハウス記念館 平成21年に登録有形文化財(建造物)に指定
以下は文化庁のデータベースからの引用です。
ウォーターハウス記念館本館(旧ウォーターハウスレジデンス主屋)
通りに東面して建つ。木造3階建、東西棟の切妻造スレート葺のシンプルな外観になる。
東面北寄りに差掛け屋根のポーチを突出させ、北側に階段や水まわり、南側に居間や
食堂を配し、2、3階を寝室や書斎、客間等に充てる。
ヴォーリズの初期の設計になる住宅建築。
建築年代:大正2年(1913)/平成20年(2008)改修 所在地:近江八幡市池田町5-21
登録番号:25-0278
登録年月日:平成21年(2009)8月7日
尚、門及び塀も 登録番号25-0279(2009年8月7日)として登録されています。
門と塀に関する説明文
通りに東面する敷地正面に建つ。0.48m角、高さ1.9mの煉瓦積の柱を間口4.0mに建てる。
塀は南に4.2m、北に7.9m。門柱と同じ大きさの煉瓦柱を建て、柱間に煉瓦を2段に積む。
焼成時変形煉瓦を使い、太めの目地で、風趣ある構えをつくる。
上の写真はウォーターハウス記念館の看板です
次に紹介する吉田悦蔵邸の北隣にあるのがウォーターハウス記念館です。
ウォーターハウス(Paul B .Waterhouse)も、初期の近江ミッションに加わり、
宣教活動に取り組んだ伝道家の一人です。プリンストン大学出身で、学生時代には
レスリングの選手でもあったスポーツマン。ヨットの操縦に長けていたことから、
近江ミッションの湖畔伝道船、ガリラヤ丸の船長として活躍しました。
そのウォーターハウスが妻とともに住まいとしたのが、こちらの住居です。
吉田悦蔵宅
上の4枚の写真は吉田悦蔵宅 大正2年(1913)に建築されたもの。
外観から改修されているようだが何時改修されたかは不明
池田町に3棟残るヴォーリズの洋風建築の中で最も南側にあるのがこの「吉田悦蔵邸」です。
吉田悦蔵は、来日間もないヴォーリズが八幡商業学校の教師として初めて教鞭を執った
時の教え子の一人でした。ヴォーリズの説くキリスト教の精神に感化されて15歳で
クリスチャンとなり、1907年(明治40年)には、ヴォーリズらと『近江ミッション』
(近江基督教伝道団)を結成しました。終生、師友ヴォーリズの傍らにあって
その近江伝道を支えた人物です。
(吉田邸は現在も住居として使用されており一般公開はされていません)
ダブルハウス
上の3枚の写真はダブルハウスと呼ばれる建物です。
正式名は旧近江ミッション・ダブルハウス。大正10年(1921)の建築です。
池田町の洋風街で最も北にあたるのが、このダブルハウスと名付けられた住宅です。
その名の通り2件続きの家が二世帯住宅となっている建物です。
建築時はヴォーリズの両親や、アメリカ人技師の入居先となり、
その後近江ミッションで働くアメリカ人スタッフの暮らす住宅となりました。
こちらも現在は一般の住宅(M邸)として使用されています。
以前は佐藤、諸川両家が利用されていましたが現在はM邸となっているようです。
旧I邸・近江八幡家政塾
ここまでが洋風建築でヴォーリズが設計した和風建築として旧I邸・近江八幡家政塾が
吉田悦蔵邸に隣接してあります。昭和11年(1936)の建築です。
吉田悦蔵の妻、清野が昭和8年(1935)に、自宅で「近江八幡家政塾」を発足させ、
昭和11年(1936)に自宅の隣で婦人教育のために使ったとのこと。
上述の吉田悦蔵邸の左手に僅かに写っていますが全部の写真はありません。
旧ヴォーリズ邸(現存せず)
現存していない建物であるが旧ヴォーリズ邸の建物も池田町5丁目の一角に存在して
いたようです。Wikipedia(池田町洋館街)によれば 1914年(大正3年)の築(現存せず)
たねや本店2階喫茶室に旧ヴォーリズ邸在りし時代の洋館街の陶器製模型が
展示されており、当時の街の雰囲気にふれることができる。